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「遅いぞ?どうしていつまで経っても直らないんだ?約束が守れない人間なんて屑だぞ?んん?」


 今日も担任教師による、クラス全員の前での吊るし上げ。

 ギャハギャハと下品な笑いが教室に満ちる。


 達悉は俯いたまま、何も言う事が出来ない。

 理由は分かりやすい。

 彼の遅刻の原因であり、同じくホームルームが始まった後に教室に入った筈のナオが、素知らぬふりで席についているからである。

 ナオの行いを暴露したところで、「ああ、いつものか」で終わり。

 酷い時にはナオの所業に、「それ面白いな!今度やってみよう!」となる事もある。


 名戯達悉とは、彼らの共用の玩具でしかない。


 だから、耐え忍ぶ。

 見ざる、聞かざる、言わざる。

 どれだけ辛くても、それが一番の対処法だった。


「またみんなに罰を考えて貰わないとな?ん?この時間無駄なんだよなあ?あーあー!誰のせいかなあ?」

 この世界の法律では、ナオに逆らった者が悪。ナオが気に入らなかったものが悪。ナオが黒と言った者が悪だ。

 ここは、ナオの王国だ。

 だから悪いのは、ナオを何かで不快にさせてしまった彼自身である、と達悉は考えている。

 いや、「何か」ではなくもっと具体的に、彼の「弱さ」がいけないのだと自覚していた。

「せんせー!アツシくん、爪伸びてます!」

 言われて確認するが、言う程だらしなく長いわけでもない。

 が、彼らが駄目だと言うのなら、不適切な状態なのだろう。

 直さなくてはいけない。

「よし、今日は爪切りでいこう」

 ナオの一声で、決まった。

「でもバレない?」

「バーカ、足の爪があんだろ?」

「そっか、逆転の発想!」

「どこがだ間抜け」

 愉しげな会話に囲まれ、席に着く。

 ホームルームが終わり、一時間目の数学の担当教師が入って来る。

「名戯!教科書はどうした!?」

 そんなもの、とっくにシュレッダーにでもかけたみたいに散り散りだ。

「忘れました…ゴメンナサイ…」

「またか!隣の奴見せてやれ!」

「はあい!」

 机を寄せてくる男子。

 が、それは決して達悉を助ける為ではない。

「おい、何ノート出してんだ」

 低くドスの利いた声と共に、なけなしの財産を引っ手繰られる。

「お前、俺から借りるんだから、誠意を持ってしっかり覚えろよ」

 意味が分からずキョトンとしていると、

「ここに、書け」

 腕を引っ張られ袖を捲られ肌を示される。

「授業終わった後に復習するからな。間違えた分だけ腹かタマに一発だ」

 彼は仕方なく、言われるままボールペンで板書を写す。当然スペースは足りず、文字はグチャグチャ、急いで書くから痛みも覚えるが、そんなことでは許してくれないだろう。

——勉強しなきゃ。学費を払ってる母さんの頑張りに報いなきゃ。母さんに楽をさせるんだ。勉強しなきゃ勉強しなきゃ勉強しなきゃ………

 想い空しく、授業の半分も理解出来ていないのに、チャイムが鳴る。

 10分休みにナオが近づいて来て、達悉を甚振っていた男子のアイディアを聞く。

 彼は見慣れた、掌を開閉する仕草をとりながら、

「オモロ!採用!」

 とはしゃぎ始めた。

 どうやら点数稼ぎに成功した男子に腹を殴られながら、達悉は板書を出来るだけ多く頭に入れようとする。

 が、日直の女子がすぐに消してしまった。



 そのようにして時間が過ぎ、

 昼休みがやって来る。

 この時間が一番の楽しみと言った人間は、きっと食べ物が命の残骸だと忘れているのだ。

「アーツーシーくぅん?」

 ナオを中心としたクラスメイト達に、達悉は教室の中心に据えられた席に座らされる。

 机の上には弁当箱。上履きと靴下を自らの手で脱がされ、王の目の前で公開処刑が始まる。

「爪切りあった?」

「無い。ていうかあってもこいつに使いたくねー」

「おいこれ見ろよさっき捕まえて来た」

「うわー、ようやる。それいけるかな…?おい近づけんなって!」

「何事も挑戦って言うしな」

「おいアツシ鋏出せよ。それで切ってやる」

「裁縫セットの糸切り鋏にしようぜ!先が尖ってるヤツ!」

 彼の周りで、着々と準備が推し進められる。

 まず掃除用具入れにあったビニール紐で達悉の手足が縛られ、

 爪切り役と弁当のアレンジ役が決められ、ナオの席とそれぞれの見物席がセッティングされる。

「残さず食べろよ?」

 そう言って食事に投下されたのは、ミミズや足を抜いたゴキブリ・蛆虫みたいな白い生き物。

 これはもう毎度の事。だが、慣れる事など無い。

 特に今日は、母親が空いた時間を見つけて作ってくれた手料理。それを泥土で汚され傷つかぬ筈が無い。

 虫は入っていようといまいと、気持ち悪くなること自体は同様。

 ただ生きたまま盛り付けられピクピクと蠢いているところを見ると、普通以上に彼らの生命力を感じてしまい、臓腑の重さは倍増してしまう。

 これを、手を使わずに食べなければならない。

 更に足下では、下手くそな手つきで爪が処理される。

 というより、剥がされている。

 爪奥の神経が集中した場所に時節乱暴に刃が入り込み、その度に電流が駆け巡るが如き痛みに襲われる。

 指の肉との狭間にあるを剝ぎ取られ血が滲む傷口をほじくられる。

 暴れて気を紛らわすことも許されず、刺激を逃がせないから鈍る事もない。

 その間にも、弁当は食べなければならない。

 そうでなければ、作ってくれた母や殺された命に、申し訳が立たない。

 歯と歯の間でブヨブヨとした何かを噛み潰し、その汁が喉奥に滴り落ちる。

 口内を生臭さと生きようとする足搔きが満たしていき、口蓋をウネウネと意志あるかのように撫ぜる。

 爪先が消失したのか、切り落とされたのかと不安になるほど、境界が滲んでいく。

 麻痺したことで痛みが忘れられたのではなく、むしろ足指を伝って上へ上へと犯されることで、感じる部位が徐々に広くなっていっている。

 化物に足先から齧られて、それでも息の根を止めることすら許されず、消化されていく感触を追い遣る場所が無いような。


 このままだと、彼の全てが苦痛へと変換されてしまう。


「もう……、もうやめて……」

 許しを請う彼の髪を掴み、その耳を口元に引き寄せて、ナオはニヤケ混じりに語る。

「アツシくんはさあ、なんで罰を受けてるのか分かってる?」

「ぼ、ぼくが、みんなのことを、不愉快、に、させてるから…」

「はい外れー」

 縫い針で指先を刺され身体がビクつく。

「まだ分かんねえかなあ!?お前の存在そのものが迷惑なの!お前みたいな電波クンのせいで、毎日毎日注意が乱されて勉強に身が入らないんだよねー。それに、うちのクラス全員がお前と同じ変人に見られるとか、ねーよなあ!?」

 耳朶を叩く野太い恫喝に涙目を返すことしかできない。

「ごめんなさい…!ぅぅぅううう、ごめんなさい………!」

「泣いても謝ってもお前がイカレてるせいで俺達が厭な気分になる事実は変わんねえんだ!だったら、一生の奴隷として、玩具として俺達を楽しませて、帳尻合わせなきゃいけねえんだよ」

 「違うか?」、まるで笑わぬ目にそう問われ、「はい」と弱々しく返してしまう。

「『クソつまんない僕を面白くしてくれてありがとうございます』。ほら、言え」

「つ、まらないぼくを、おもしろく…ぶっ」

 それが彼に許された発言。

 自らが虐げられる今を正当化すること。

 それが完了してしまえば、歯止め無しに断罪は続いた。




 彼が解放されたのは、昼休みが終わる直前。


 暴れ狂って泣き叫び、「このまま吐いたり漏らされたりしたら清掃が面倒」、そういった理由で放逐された達悉はトイレへと駆け込んだ。

 膜の向こうから聞こえるような遠のいたチャイム。

 水が流れる音だけに集中すれば、幾らか気分が楽になる。

 身体から出せるもの全てを絞り出し、壁に手を付きフラフラと外に出る。

 気力は尽き、体力は最初から望むべくもなく、ただ義務感だけで支えられ、崩れていないのがおかしいくらい。

 もう目を閉じて、頭から寝転んでしまおうか。

 床が固い?どうせアパートの床と同じだ。

 意識を放り捨て何も感じなくなる、そんな甘ったるい思いつきにしがみつこうとし、


「タッくん?大丈夫?」


 その声を聞いて慌てて踏み止まり姿勢と服装と正して振り向いた。

「あ、アンちゃん。ありがとう、へ、へっちゃらだよ」

 浜邊はまあんず

 達悉の隣のクラスのクラス委員であり、小学校から付き合いがある幼馴染である。

 黒髪ロングで優しくて美人とくれば、当然学校内でも人気の女子トップ走者。

因みに達悉も片思い中である。

昔から彼の数少ない理解者であり、何かと気に掛けてくれる拠り所である。

そんな彼女は両手指をモジモジと絡み合わせ、気遣わしげに彼を見る。

「ご、ごめんね…、私に勇気が無いばっかりに…」

「あ、ああ、あアンちゃんが気に病むことじゃないよ!ぼ、僕が色々足りなかった部分も原因なわけだし、そ、それにこれくらい何てことないよ!」

 どう見ても強がっている彼は、少女の目には痛々しく映る。

 だが、達悉はこの一瞬で蘇っていた。

 好きな女の子の前で恰好をつけようとする心理と、「誰かに気に掛けて貰えている」という救いが、彼に息を吹き返させたのだ。

 それに、彼女を巻き込みたくないという使命感もあった。

「何か耐えられない事があったら、その時は私に言ってね!出来る事は少なくても、私は味方だよ!」

 暖かい。今朝目覚めてから、初めて暖かい外気を吸ったような気がする。

 肺腑が柔らかく揉み解され、呼吸も随分楽になった。

「うん、わ、分かった。あぁ、ありがとうね。アンちゃんからは、ゆ勇気を貰ってばっかり——」


「名戯!」


 怒鳴るような喚び声。

 担任だ。顔を真っ赤にして達悉を睨んでいる。

「こっちに来い!お前という奴は!愚鈍なだけじゃなくトラブルばかり!」

 返事を聞かず、その耳を掴み連行する。

 引き千切れるような痛みに顔を顰め、一度離すよう頼んだが叶わず、そのまま着いたのは校長室。

 何故か矢鱈と高級そうな木製扉を開くと、中には頭を下げる校長と客用のソファに腰掛ける中年女性。

 彼女は達悉が入ってきたのを見るや、キッと射殺すように睨みつけ、

「この人です!間違いありません!」

 金切り声が場の空気を引っ掻き鳴らす。

 沈痛な面持ちの教師陣を前にして、達悉はただ困惑するしかない。

 これは、何を糾弾されているんだ?

「あ、あの~、僕、どういったご迷惑を——」

「ご迷惑ぅうう!?アナタ!私のスニちゃんにあんなことして、『どういったご迷惑』ですってえええ!?」

「す、スニ?」

「スニズ!ウチの猫ちゃんです!」

「は、はあ…」

そう言われても、心当たりが無い。

「え、えっと、僕はね、猫さんに酷い事はしてないですよ?ひ、ひ、人違いなんじゃ?」

「いいえ!私は確かに見ました!アナタがやったんです!」

「あの、やったって、あ、な、何を…?」

「こちらの方が飼われていた猫が、切り刻まれて路上に捨てられていたらしい」

 横から校長が呻くように声を出す。

「カッターのような刃物で、全身を傷つけられていた」

「だから、ぼ、僕は…!」

「この目で見たのよ!アナタ——」


——スニちゃんを踏みつけにしていたでしょう!?


 踏みつけ、

 足で、

 

 


「あ…」


 あれは、

 いつもの幻覚ではなく、

 本当に?


「あ、でも、あれは、ま、間違って踏んじゃっただけで、き、き、気付いてなくて…」

「つまり、猫を踏んだことは認めるんだな!?一度嘘を吐いたんだな!?んん!?」

「え?えっと、でも、あの、わざとじゃなくて、あ、ぼ、僕は、切ったりは——」

「私が駆け寄った時、アナタ逃げ出したじゃないですか!」

「あ、え、それは」

 何と言えばいい?

 「いつも命を潰しているように感じているので、現実に踏んだ実感が紛れて分かりませんでした」。どう考えても、頭がおかしい奴としか思われない。

 そして、実際そうなのだから、手の施しようが無い。

「馬鹿野郎!腐った根性しやがって!」

 なんとか分かって貰おうと、激怒する担任の方を向き、


 クラリ、

 立ち眩みのようによろめき熱病に浮かされたみたいに頭蓋内が響く。

 右の握り拳を振り抜いた担任を見て、熱く突っ張るような左の頬を感じて、殴られた、それを後から理解した。

「自分が弱いからって、更に弱い奴に当たるなんて最低だ!その上、それを隠そうと言い訳と嘘を重ねるなんて、見苦しい!」

 駄目だ。

 彼の言い分を聞く耳を、そもそも持っていない。

 達悉の言は真に受けず聞き流す、そういう思考回路が既に通っている。

 それ以外の者も、「他の人間がこいつを責めているんだから、こいつが犯人なんだろう」と、そうやって凝り固まっている。

 こうなると、万が一別人がやった証拠が出ても、認識を改めさせるのは困難。

 

 尻餅をつきながら、恐る恐る見上げる。

 それが分かっていても、彼は縋るように見廻す自分を止められない。

取り巻くのは、軽蔑と憎悪の目。

 案の定、ここに彼を助ける者は一人も居ない。

 

 ここは、牢獄だ。


 彼を私刑に処す為の、檻だ。


 無事に抜け出す方法も分からないまま、


 それから彼が罪を認めるまで、


 出る事は出来なかった。

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