80.人の優しさが見えるようになったわ
医師の診察は三日に一度、薄暗くした部屋で行う。光が判別できるか確めるためだ。お母様が必ず立ち合い、私の手を握ってくれた。先日のお散歩で光を感じた話をすれば、医師は安心したように大きな息を吐いた。
「光を感じる場合、見えるようになる確率が上がります。やはり一時的なショックによる失明でしたね。安心しました」
本当に良かった、何度も繰り返しながら医師は帰路についた。他人である私の視力回復に、ここまでお医者様が喜ぶものかしら。その理由は、お母様が知っていた。ひいお祖父様とお祖父様が、宮廷医師である彼に「絶対直せ」と命じていたのだ。もし直らなかったら……そう考えると胃が痛かったのだろう。
「悪いことをしてしまったわ」
「あの二人に、そう言ってやればいいわ。反省しないんだから」
お母様はからりと笑い、少し先の話を始めた。一緒にピクニックへ行って、手で摘まめるお菓子で簡単なお茶会を開く。それからお行儀悪く芝に寝転びたいのだと。先日のお散歩が楽しかったリリアナが、自慢げに話した所為ね。確かに芝で横たわるのは気持ちよかったわ。
「ぜひご一緒させてください」
「もちろんよ。お父様も誘って……オスカル様の予定も聞いてリリアナと参加してもらいましょう。それから、温泉に行きたいの。一緒に入りましょうね」
「ええ。ありがとうございます、お母様」
お礼が自然と口を衝いた。お母様の予定はすべて、目が見えなくても楽しめるものばかり。お散歩を経験したから、ピクニックが楽しいのは知っている。温泉も五感で感じる場所だわ。たとえ見えなくても、いつもと違う湯の感触や匂いを楽しめるはず。
聞かなかったフリで、お礼のことにお母様は触れなかった。手を伸ばして、お母様の指先を掴む。やや冷たくて、すごく不安にさせていたことに気づいた。そうよね、親になった今なら私にも分かる。我が子が見えなくなれば、代わりたいと思うのが親の気持ちだもの。
「お母様、見えなくなって人の優しさの意味が分かった気がします。触れ方ひとつに愛を感じますわ」
触れる前に声をかける、触れる際に軽く触れて離れてから触り直す。簡単そうなことだけど、見えていた時の私には出来なかった。知らなかった気遣いよ。
出歩けなくなって、友人達とのお茶会もなくなった。すぐに私のことなど忘れてしまうと思ったのに、週に一度小さな贈り物が届く。それは棘のない薔薇や香りのいいハーブの花束だった。ミニブーケと呼ばれる片手で持てる大きさばかり。焼き菓子が添えられていた。
リリアナに蓋を開けてもらうと、手で摘んで食べられるお菓子で、昼下がりにリリアナと並んで頂く。見えなくても楽しめるものばかり。昨日届いたのは、小さな鈴だった。リリアナの説明では、束になった鈴の髪飾りだとか。
お願いしてリリアナにつけてもらった。彼女のいる方角が、音で判断できる。友人の有り難さが身にしみた。近々、宮殿の庭でお茶会を予定してみようかしら。前回のように床に座って、お礼を直接言いたいわ。
お母様はぜひそうなさいと同意した。お父様の許可も得て、侍女や執事の手を借りて準備を進める。お茶会の間は、侍女の手を借りたら平気なはず。エルはバーサが面倒を見てくれるし、リリアナも隣でお茶会デビューすると言い出した。
お茶会当日、朝起きて眩しさに目元を手で押さえた。びっくりしたわ。見えていた頃の癖で、つい目を開けて……っ! ドキドキする気持ちを抑えて、深呼吸する。気のせいかも知れないから、叫ぶのはもっと先よ。
分厚いカーテンの間から入ってくる光に背を向けて、上掛けを頭から被った。ゆっくり、目を開く。
「っ! 見える……」
まだぼんやりだけど、物の輪郭や光がはっきり感じられた。すぐに滲んだ涙で視界は歪み、ぼやけ……瞬きするたびに戻る。見えると叫ぼうとしたのに、震える喉から声ではなく嗚咽が漏れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます