79.あの子から奪わないでくれ――SIDE父

 良かれと思って、私はモンテシーノス王国に根を下ろした。私の生まれ育った国だ。愛してやまぬ妻のフェリシアは、皇女の地位を捨てて付いてきてくれた。何もかも恵まれ、仕事も家庭もすべて順調だ。そう思った矢先、一人娘は恋に落ちた。


 相手は同格のセルラノ侯爵家だが、成り上がりの私と違い由緒ある家柄だ。少なくとも国王が7代目の国で、初代国王時代から存在する古参貴族だった。妻の実家であるカルレオン帝国とは比べられぬが、立派な家門だ。跡取りのベルナルドに、娘は夢中だった。


 恋愛結婚に憧れるバレンティナを政略で利用する気はなく、本人の希望するベルナルドとの結婚を許した。フェリシアは渋い顔をしたが、結婚させずに一生手許に置くのもおかしいと説得する。あの時のフェリシアは、納得できないが受け入れる姿勢を見せた。


 後で知ったが、ベルナルドの態度や口調に違和感を覚えていたらしい。だが断る決定打がないので、私や娘の決断に従った。それが誤りだと判明したのは、初孫に当たるナサニエルの出産直後だ。まず感じたのは、生まれた報告がなかったこと。すでに我が家に情報は入っているのに、会わせようとしなかった。


 次の異変は、愛娘と連絡が取れなかったことだ。執事を通じて連絡を取ろうとしても、なぜか遮断される。ここですぐ動くべきだった。だが初子の誕生で混乱しているだけと、私は静観してしまう。逆に妻フェリシアは顔色を変えて、すぐ行動を起こした。


 我が子の危機に対する母親の本能よ、と後に彼女は笑った。その本能が僅かでも、私に備わっていればよかったのに。そう悔やんだのは、窶れて呆然自失のバレンティナを連れ帰ったフェリシアの涙を見た時だ。娘の前では我慢して気丈に振る舞う彼女は、寝室に入るなり泣き崩れた。


 皇族の血を引く女児を王家に入れたい。だから跡取り息子は不要と言い切られた。可愛い孫は行方不明で、見知らぬ女の子を育てるよう説得された。愛した夫、頼りにしていた義親達に裏切られた娘の辛さを、母であるフェリシアは堪えきれなかった。


 事情を聞いてすぐに調査し、ニエト子爵家を特定する。ナサニエルが生まれたあの日、女児が生まれた貴族家はニエト子爵家だけだった。それも産婆によれば、赤子は間違いなく女児だったはずだと。その証言を元に取り返した男児が、ナサニエルだ。


 カルレオン帝国の皇室特有の瞳は蜂蜜色で、目元も娘にそっくりだった。金の髪もフェリシアや私譲りと考えれば間違いない。証言を集めた書類と帝国の後押しを添えて、モンテシーノス国王へ陳情書を出させる。拉致された女児は、すぐに王家の騎士団により保護された。


 ニエト子爵と同じ緑の瞳、子爵夫人そっくりの金茶髪。どちらも間違いないと判定され、ニエト子爵は可愛い娘を取り戻した。もし気づくのが遅れ、ある程度成長した後で戻されたとしたら……家庭はぎこちなく、温かさを失っただろう。


 我が家も含め、子爵家の不幸も防げたことに安心した。ニエト子爵家に何ら落ち度はない。我が子を攫われた被害者に過ぎず、フェリシアはニエト子爵家をアルムニア公国へ匿う手筈を整えた。


 ようやく慌しかった身辺が落ち着きを見せた矢先、バレンティナに新たな試練がのし掛かる。強盗犯には厳しい処罰が下されたが、バレンティナの耳には入れなかった。屋敷内での情報統制を行い、アルムニア大公令息オスカル殿にもきっちり釘を刺す。


 これ以上、あの子から何も奪わないでくれ。与えられるだけの幸せな人生を送って欲しかった。思わず嘆いた私に、オスカル殿は静かに同意した。


 今度こそ、娘が満たされるよう。それだけを祈り、私は今日も皇帝陛下の治世を支える。娘や孫の生きる未来に、少しでも良いものを残せるように。

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