46.愛称はエルに決まった
お母様の言葉は聞こえなかったフリで流し、ナサニエルの頬を突く。ぷにぷにと柔らかな手ごたえに頬が緩んだ。可愛いわ、本当に。母乳を与えて育てると情が湧くと言われ、貴族では滅多に行わないとか。モンテシーノス王国では、胸の形が悪くなると言われたわ。
どんな理由があっても、私はナサニエルを母乳で育てたいと思う。もちろん、母乳が出たから言える言葉だけど。人によっては産後の体調が悪かったり、体質でお乳をあげられない女性もいると聞いた。どちらにも該当しなくて良かったわ。
ナサニエルの大きな目がぱちりと瞬き、小さな手がきゅっと私の指を握る。赤ちゃんって意外と力が強いのよね。握られた指を揺らせば、笑うようにナサニエルの表情が綻んだ。声を立てて笑うのはいつかしら、這って悪戯し、立ち上がってはらはらするのは? どの瞬間にも立ち会いたい。
「おお! やっと面倒な仕事が終わった。ひいじぃじだぞ、ナサニエル」
「お義父様と同じお名前だから、エルと呼びましょうか」
お祖母様の提案で、ナサニエルの愛称は「エル」に決まった。ひいお祖父様を愛称で呼べたのは、亡くなられたひいお祖母様のみ。お祖父様はお母様の隣に椅子を寄せて座り、そっとエルを受け取った。お祖母様が穏やかに微笑んで、エルにショールを貸してくれる。
家族に受け入れてもらえて、本当に良かった。一度嫁いだら戻る場所がないモンテシーノス王国では、こんな未来はなかったわ。出戻りが許されて、女性の自立が進んだカルレオン帝国ならでは、ね。あたたかな光景に目が潤んだ。
「どうぞ」
ハンカチを差し出され、オスカル様に頷く。借りて目元を優しく押さえた。強く拭いたら化粧が取れてしまう。促されて空いた椅子に腰かけ、ふと気になった。
「お祖父様、ひいお祖父様は参加なさらないのですか?」
「父上か。そろそろ書類が終わると思うが」
そんなに大量の書類を預けたのかと驚く。私がお母様と一緒にお目にかかった5年前は、ひいお祖父様はまだ皇帝陛下だった。それを考えると、現役世代だと思うのに……終わらないほど積まれたなんて。お気の毒だわ。
同情した私を察したように、大扉が開いた。ひいお祖父様の登場に、貴族が慌てて道を開ける。頭を下げる彼らの間を悠々と歩くひいお祖父様は、玉座の前で左に曲がって階段を上った。挨拶したい貴族が後ろにいても無視だ。
すたすたと近づき、私の髪を撫でて額にキスをくれた。お祖母様の譲った椅子に座り、でれっと顔を緩める。厳しい表情で凛々しかった顔が台無しだ。構ってもらって機嫌のいいエルの頭を撫でて、愛称が「エル」に決まったと聞いて頬を緩めた。
「そうか、わしもエルと呼ぼう」
皺の多いひいお祖父様の笑顔を見て気づいたけれど、玄孫なのよね。皇族は政略も恋愛も結婚が早いから、お祖母様もまだ60代だった。お母様なんて、30代後半なのに。
徐々に貴族の結婚年齢は遅れていると聞くけれど、こうやって家族が揃うと早い結婚も悪くないと思うわ。ひいお祖父様にエルが出会えたんだもの。
「お久しぶりです、お祖父様」
オスカル様の挨拶で、私はぱちりと瞬く。そうよ、年齢差をそれほど感じなかったけれど、オスカル様はお母様達の世代だったわ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます