39.晩餐の延期で社交界デビュー?

 お医者様は、帰り際に名乗った。宮廷医師として働く彼は、子爵の肩書を持つ優秀な男性医師らしい。有能な彼は、月の半分を街の人々の治療に当てる人格者だった。


 オルタ子爵の地位も遠慮して何度も断った末、孤児院への支援とセットで受け取ったとか。家令サロモンが持ち帰った情報を聞きながら、朝食を摂る。昨夜はお母様と私でナサニエルの看病をした。


 薬を布に塗って貼り付ける方法をテレサから教わり、ナサニエルの首や胸を冷やす。夜が明けたばかりで、今はお母様がナサニエルを見ていた。食べ終わったら交代で、今度は私がナサニエルに付き添う。


「大変だったな」


 心配そうなお父様も、昨夜は結局眠れずに部屋をうろうろしていた。幼く小さな命の危うさに、誰もが眠れなかったようで。目の下に隈が浮かぶ侍従もいる。暖炉を焚き続けた執事ティトや、氷を砕いて用意した上で夜食も作った料理人達。皆に感謝が浮かんで、お礼を口にした。


「小ナサニエルを心配するのは、家族なら当然だ」


 お父様の優しい言葉に、涙が滲む。もし私一人だったら、ナサニエルを前に泣くだけだったかも。すぐに動いてくれた、お母様や使用人への感謝が尽きない。


「晩餐は予定を延期してもらった」


「え? でも」


「どちらにしろ、ナサニエルやティナが参加できない晩餐会に意味はない」


 お父様は延期を手配したと言い切る。でも昨日も予定を変更してもらったのに。申し訳ない気がして迷う私に、後ろから声がかかった。


「大切なひ孫や玄孫に無理をさせるなら、晩餐会などせずともよい」


 振り返った私の赤みがかった金髪を、ひいお祖父様が撫でた。困ったように笑う顔で、すぐ近くの椅子に腰掛ける。


「晩餐会など、いつでもできる」


「ありがとうございます」


 皇帝陛下であるお祖父様も同じ気持ちだと聞き、ほっとした。そこへ思わぬ報告が追加される。


「アルムニア大公代理として、オスカルが挨拶に来るぞ。折角だから、夜会を開くとしよう。その頃には、ナサニエルも回復するはずだ」


 夜会? 久しぶりに聞く単語に、ぱちくりと目を瞬く。ナサニエルをみごもってから、セルラノ侯爵家を出なかった。夜会やお茶会もほとんど断り、屋敷に引き篭もっていたから……かれこれ1年は遠ざかっていた計算になる。


「そうか、帝国の社交界は初めてだったな」


 お父様が私の不安に気づく。頷いた私に、ひいお祖父様は肩をすくめた。


「わしのひ孫だぞ。皇孫であるティナは主役も同然だ」


 ひいお祖父様の一声で、帝国の社交界にデビューが決まった。子連れで参加出来るのかしら。控室があれば可能よね、お祖父様に頼んでみましょう。ナサニエルを置いていく選択肢がない私は、そこまで考え……慌てて立ち上がった。


 ナサニエルの熱を測らなくちゃ。それにお母様に朝食を摂っていただかないといけないわ。挨拶を済ませて、大急ぎで部屋に戻ろうとする。その肩をひいお祖父様がぽんと叩いた。


「わしも一緒に行こう」

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