26.セルラノ侯爵夫人でなくなる日

 リリアナは、目の前にデザートを並べられると目を輝かせた。この時点で、先ほどの問いの答えをもらっていないことを忘れたみたい。ほっとしながら、オスカル様へ視線を戻すと、まだ顔を赤くしていた。


 首も耳も鼻も……心配になるほど赤い。それを見たら治ったはずの熱がぶり返すように、私もまた赤くなった。その様子をちらちら横目で確認するお母様が、ぐっと拳を握る。お父様はすごい勢いで口に食べ物を放り込み始めた。


「まだ早い、やっと帰ってきたのに」


 呟きながら、ぐいっと白ワインを飲み干す。そこで肉料理の大皿が追加され、今度は赤ワインが用意された。そちらも一気飲みしたお父様は、赤い顔で「ふん」と意味不明の威嚇をした。その先は顔を覆ったオスカル様だ。


「まだやらん」


「いいじゃないか。細かいことを言う男は度量が小さいぞ」


「小さくて結構」


 お父様と大叔父様の言い合いを、お母様は「あらあら、殿方は子どもね」と笑って仲裁に入る。これが大人の女性の余裕なのかしら。私ではこんな風に収められる気がしないわ。


 むすっとした顔ながら落ち着いた二人は、黙って料理に手を伸ばした。そこでまた狙いがかち合い、同じ肉で攻防戦が始まる。呆れたと笑ったお母様が、ひょいっと横から肉を奪った。これまたお母様の勝ちね。


「すみません、動揺しました。リリアナが失礼な発言をしましたね。お詫びいたします」


 オスカル様にとって、失礼な発言なの? では赤くなったのは照れたのではなく、羞恥心から? 残念に思いながらも、離縁成立までは人妻なのだからと自分に言い聞かせた。


「ああ、そうだった。大事な手紙が来ていたぞ」


 執務室で見つけたと言いながら、大叔父様は白い封筒を取り出す。一般的な封筒よりひと回り大きく、黒い封蝋は見覚えがあった。あれは皇帝陛下からの正式なお手紙や書類に捺される封印だわ。


 じっと見つめる先で、すでに開封された封筒からお父様が書類らしき紙を取り出す。すぐに笑みを浮かべてお母様へ回した。じっくり目を通したお母様が「いい知らせよ」と私に差し出す。お祖父様の几帳面な文字が並ぶ手紙は、穏やかな文面だった。


 二枚目が書類で、表題が「離縁届受理書」と記されている。結婚を承認した教会が、夫の有責で離縁を認める旨が続く。最後に夫の代理人としてモンテシーノス王国カルロス王の印章が押され、妻である私の代理人はカルレオン帝国のリカルド皇帝の署名があった。お祖父様が発行した書類で、教会の承認も得ている。


 私はもう、セルラノ侯爵夫人ではないの?


 ほっとしたら、手が震えた。心配したお母様が書類を封筒に戻す。それから立ち上がり、私の肩を抱き寄せた。お母様の胸に顔を埋める形になって、馴染んだ香りに気持ちが緩んだ。頬を涙が伝う。


「いいのよ、泣いても」


 優しく促すお母様の胸で、静かに涙を流し続けた。こんなに早く離縁が成立したのは、お祖父様を始めとした多くの方が動いてくれたお陰だわ。受け入れてくれる場所があり、大好きな人が待っている。私は恵まれていると実感した。


「離縁成立、ですか? これは……おめでとうございます」


 一番にお祝いを口にしたのは、オスカル様。お父様や大叔父様もお祝いの言葉を投げかける。同時に、リリアナが言葉に乗っかった。


「おめでとうです」


 微笑ましい彼女の言葉に、私はようやく涙が止まった。悲しくない涙って、突然流れて止まるのね。

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