10.思い知らせてやらねばならぬ――SIDE先皇

 その日、カルレオン帝国の宮殿に激震が走った。間に小国を挟んだ先にあるモンテシーノス王国に嫁いだ末孫からの手紙に、先皇ナサニエルは「何だと!?」と大声で叫ぶ。怒りが滲む手は、かろうじて孫娘の手筆による紙を破くことを堪えた。


 代筆だったなら、粉々になるまで千切られていただろう。冷徹な第21代皇帝として名を馳せたナサニエルは、帝国では知らぬ者がない愛妻家だった。最愛の妻はすでにいが、彼女が遺した子どもや孫を大切に慈しむ。家族の枠に入った者を何より大切に守ってきた。


 そんな彼の逆鱗に触れた手紙は、末の孫娘フェリシアが産んだ一人娘バレンティナに起きた事件が記されている。そもそも、ナサニエルは末孫が他国に嫁ぐことは反対だった。フェリシアの夫アウグストに不満はない。しかし夫婦に帝国内で爵位を与え、いつでも会える距離で暮らして欲しかった。


 アウグスト・バジェ・エリサリデは、モンテシーノス王国の伯爵家に生まれた次男だ。もしそのままなら、彼が帝国の皇孫であるフェリシアを娶ることは不可能な身分差があった。騎士として功績をあげ、商人さながらの手腕で財産を築き、アウグストは一代で伯爵家を興したのだ。


 すべては愛した女性を妻に望むためだ。その心意気に納得したからこそ、モンテシーノスの王族と交渉して孫娘の夫に侯爵位を与えさせた。王国に基盤を持つアウグストを信じ、孫娘も託したのだ。可愛いフェリシアが溺愛する一人娘バレンティナは、美しく成長した。皇族の名に似合う慈悲の心も持ち合わせている。


 他国に根付いた孫娘夫婦。セルラノ侯爵夫人となったひ孫を、ナサニエルは認めた。だからこそ腹が立つ。目に入れても痛くないと表現するに相応しい彼女らを、格下のモンテシーノス王国の侯爵家風情が侮ったことを。貶めるような手を使ったことを……思い知らせてやらねばならぬ。


 ナサニエルが最初に手を打ったのは、エリサリデ侯爵アウグストを含む一家を帝国に移す準備だ。迎えの軍を派遣し、新しい公爵として迎える手筈を整えた。皇帝になった息子リカルドは迅速に対応する。時間をかけて見極める案件はゆっくりと、喫緊の問題は速やかに。


 皇帝としての貫禄も身に着けたリカルドに満足しながら、孫娘フェリシアへの返信をしたためる。怒りのままに書き連ねた一枚目を執事に投げ渡した。彼がフクロウ便を用意する間に、息子リカルドから届いた任命書の複写も発送手配する。


「先皇陛下、一度にご用意ください」


「ならば、今しばし待て」


 もう一枚重要な手紙が残っている。呆れ顔で注意した家令の前で深呼吸し、小さな紙を手に取った。フクロウが運ぶので大きな手紙は無理だと分かるが、なんとも書きづらい。受け取った側も読みづらいだろう。しかし急いで届けたかった。


 ナサニエルのごつごつした手が、小さな紙へ器用に文字を収めていく。書く途中でひ孫の気持ちを想像して、胸が詰まった。零れた涙に書き直そうか迷うが、結局そのまま送る。届いた手紙は傷ついたバレンティナの心を癒してくれるだろうか。


 痩せてしまったというひ孫が心配で、ナサニエルは家令に屋敷や使用人の手配を命じた。公爵家に相応しい格のある屋敷を用意しなくては。傷ついたバレンティナに寄り添える貴族令嬢の友人も必要だし、痩せた彼女に美味しい料理を作る料理長も遣わせよう。玄孫の乳母も選定して、それから……指折りながら数えるナサニエルに、家令は溜め息を吐く。


「大旦那様、いい加減になさいませ。それらはフェリシアお嬢様のお役目にございます」


「わかっておる!」


 怒鳴っても頭の中は、孫やひ孫、まだ見ぬ玄孫との未来に浮かれていた。

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