手紙に込められたスリルホラー

<<やがて、岡本はこの村にはおかしな風習があるのに気づいた。老人も子供も、男も女も、みんな揃って面をつけているのである。>>

 お面を付けていることに、「やがて」気付くことなど起こり得ないでしょう。村中、誰も彼もが面をしていれば真っ先にその異常さが目に付くのが道理です。なので、この一文で、なるほどこの物語はリアリスティックなものではなく、どこか不合理な事がまかり通る形容しがたい世界であることが伝わりました。
 面は、マスクのメタファなのかもしれません。これは私事ですが、このご時世となって、異性と初対面の折にマスクを取ったお顔を見てみたい、という欲が浮かぶことがあります。そして、マスクを取らせることが出来ない――マスクを外してくれとは言えない――為に、却ってその方へ興味を強くする、なんてことがありました。こんな経験をしている私だからなのか、面はマスクのメタファなのではないか、と推察する訳です。
 物語前半は、そんなところから、この不可思議な世界観においても、等身大の共感を持てました。
 中盤以降、物語は怒涛の展開を迎えます。女をさらい、二人での生活に苦痛を感じ、そして殺す。三千字足らずのショートショートでこれだけの展開を内包できたのは、それが手紙という形式で伝聞された物語だからです。一方で、三千字に詰め込んだことにより、物語としてはいくつかのギャップがあるように感じます。しかし、それも手紙という男による恣意的な編纂が許される伝聞によってもたらされたギャップとも受け取れます。
「半ばに差し掛かった頃だった。」から、殺した女の顔に「歪んだ顔の、鬼が僕を見ている。」と、ここまでが言わばこの物語のサビに当たるようなもので、まさか殺すとは、と思わせる切迫感がありました。
 最終盤、筒井筒が出てきます。私はこれを知らなかったので調べてみますと、幼馴染の二人が結婚するという『伊勢物語』に収録されているお話だとか。この文脈に現れる筒井筒から見ると、この男と手紙を受け取った「私」は幼馴染、もしくはそれに同する女性なのだと分かりますね。

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