第五話 染められた者
小柄な体、灰色がかったブルーの髪、そしてあの服装も……夕方に見た時と全く同じ姿で、少年はか弱く胸を押さえて蹲っていた。
「……手紙を盗み見たのはお前か」
少年は黙っていた。ゆっくりとした息遣いが、しばらく続く。
「……シュリイカ。答えろ」
メドは少し驚いた。彼は社交界でも必要最低限の名前しか記憶せず、興味のない人は苗字すら覚えたことがなかった。会食の話では一度もその名を聞かなかったというのに、どうやって思い出したのか。
「命令するなよ……
メドは久しく、傀儡師を罵倒するその言葉を耳にしていなかった。あれだけ師に酷い仕打ちを受けながらも、傀儡師を前にその言葉を突きつけるとは、何とひねくれた度胸を持っていることか。
しかし当の本人は、気にもとめず至って冷静だった。
「シュラト派は平和主義だったはずだが、これはどういうことだ」
派閥の名でやっとメドは合点がいった。有力な家であれば彼が覚えていても不思議なことはない。
傀儡師は優勢であり、常に上に立つという思想を持つオルヴェーニュに対し、シュラトは道化師を中心に霊長二種平等思想を掲げ、戦いを望まず平和を重んじている。両者は対立しつつも政治以外で争うことはなかったが、ここ数年の傀儡師の態度にシュラト派は苦悶の表情を浮かべていた。
「お前が……悪いんだ」
「お前が……」
「オレが、契約を断ったからか」
「いいや……どうってことないね。僕はオルヴェーニュを探るために家を回ってただけなんだから……」
「偵察のために接触して、オレの計画を知るや否や、止めるために殺しに来たのか?……もっと考えて動け。衝動に任せてやることじゃない」
「お前みたいなやつが一番危険だ。平等な世界に変えるという思想は災いを招く。世の中を変えるということは、争いを生むということだ。考えていないのはお前の方だ。その安易な考えが道化師を殺すんだ。戦争では決まって道化師が敗北してきた。それを知っていてお前は……」
全身を震わせてシュリイカは訴えかけた。彼の目の奥には光がなく、その心には濃く影がかかっている。平等思想の立場。虐げられる道化師。……歴史の中でも種族同士の争いは確かに傀儡師の勝利が多く記録されている。
力関係は対等であるはずが、それでも道化師が負け続ける訳。それは、神獣に死の概念がないところにあった。
これは神獣がはるか昔に肉体を捨て、魂で存在していることに由来している。故に幽膜はまとう本人を傷つけさせず、簡単には死ねない。それは逆に、神獣は人に死をもたらすことができないのを意味していた。
生死をかけた戦争においては、道化師の力は圧倒的に不利だったのだ。
「僕たちを、皆殺しにする気か……!」
こんなにも必死にもがいているのに、少年の目は悲哀に満ちていた。彼の行動は正常な判断ができないほど追い詰められた結果なのか、同じ貴族の立場だとしてもディノにはとうてい理解できない世界だった。思想が違えば考え方も変わる。同情したところで、少年の心が救われるほど簡単な話ではない。誤解を解こうとも、彼が受けた傷は癒されない。
「どうせ平等なんて形だけだ。お前たちは道化師に圧力をかけて自分たちを有利にしてきた。どうせ戦争を仕向けて僕たちを殺す気なんだろ。なあ、そうだろ!」
シュリイカは四肢を獣の足に
「シュリイカ。お前には世の中を見通す力がない。血迷ったからと言ってこんなことをしでかせばそれこそ戦争の発端になる。オレはこれでも嫡男だからな。お前だってわかってるだろう」
部分的な変化は神獣の力が半減する。一心不乱に殴りかかる手を受け流すのは容易くなったが、これでは話し合いにはならない。
「メド」
白虎が飛び出し大口でシュリイカを捕える。脚で地面に押さえつけると、ディノは近づいて片膝をついた。
「教えてやろう。オルヴェーニュ派の傀儡師は"天秤の上で同等"であるという本来の在り方を忘れ度を越した支配を何年もしてきた。とっくに道化師は限界を超えているだろう。オルヴェーニュはその怒りを利用して戦争をしかけようと企んでいるんだ。いいか。オレたちが何もしなくても、いずれ起こることなんだよ」
シュリイカは瞼をひくつかせ宙へ目を泳がせた。
「もしそうなればオレは真っ先に派閥を潰しに行く。一度始まってしまえば敵味方の区別はつかなくなるからな。予定より早く地位を手に入れたらそれで解体するつもりだ」
まあ、オルヴェーニュがどう仕掛けるかによるが。と付け加える。
「とにかくオレは、派閥を壊して社会をリセットしたい。霊長二種を正しい均衡に戻すんだ。本当の意味で対等になれば、そうすればオレたちは、もっと気楽に生きられるようになるはずだろ。お前もそれを望んでるんじゃないのか」
「……そんなのは理想だ……」
乾いた声で言うと、シュリイカは力なく笑った。
「上手くいくもんか。道化師は一方的にいたぶられて終わるだけ……。僕は、僕はその前に傀儡師を殺らなきゃ、僕が」
白虎が耳を立ててある方を向いた。そこからは葉が擦れ合う音が聞こえ、隙間からライトがチラついていた。逆光でよく見えないが、人がそこにいる。
「誰だ」
ディノが声をかけると、人影は駆け足で近づいて来た。
「悪い、監視員の者なんだけど」
長髪の黒髪を後ろにまとめ、尖っているがどこか愛嬌のあるつり目が特徴の男が姿を現した。その手には自分の身長よりも長い槍が握られている。
「ここらへんで麒麟らしき神獣がいたって聞いて……え、どういう状況だ?」
男は絶妙な雰囲気を漂わせた二人と一匹を見比べ、白虎に踏みつけられている対象を見下ろし、困惑した。
「迷惑をかけてすまなかった。お詫びはするからどうか許してくれ!この通り!」
ディノから一部始終を聞かされた男は真っ青になって平謝りをした。シュリイカを渡すと、男は片手で彼の手首を拘束した。そんな彼はというと、今や力なく頭を垂れている。
変化を解いたメドは尋ねた。
「君はこの子のパートナーなのか?」
「いいや。ちょっと諸事情でこいつを見張ってるんだ。任務に行った隙にはぐれちまって、慌てて探してたんだが、こんなところまで来てたとはな」
やれやれといった調子で肩を竦める。色々と言いたいことはあるが、あえて細かな説明を省いているのを見るに、彼らの関係を追求をするのはやめておいた方がよさそうだ。
「だいぶ心が病んでるみたいだから、休ませてあげてくれないか。ペアでもパートナーでも、仲間なら気を使うべきだ。人を攻撃してしまうなんてよっぽどのことがあったんだろう」
男は複雑そうにへらりと笑う。
「そう……だよな。こいつは一線を超えちまった。俺がしっかり見てなかったせいだ。反省させるから、だから上にはこのことを報告しないでくれ……お願いだ」
まっすぐな視線にメドは戸惑った。いくらなんでも、殺しに来た相手を許せる器は持っていなかった。事の重大さは男も当然わかっているはずなのに、彼は必死にシュリイカを庇おうとしている。
「……こっちも面倒なのはごめんだ。条件付きでその頼みを聞いてやる」
腕を組んでいたディノは少年を指さす。
「見張り役ならこれから徹底的にこいつを監視しろ。シュリイカをまともな状態に戻し二度とオレを襲わないようにするならこの件は忘れてやるぜ」
病んでいたにしろ、彼が暴走した原因は自分にあるとディノは思っていた。会食で会ったあの夜、シュリイカから見た自分はきっと、戦争を誘発するとても恐ろしい獣に見えたのだろう。危険な思想を持っているというのは、あながち間違いではないのかもしれない。戦争前に計画が広まってしまえば、皆おなじように混乱に陥るだろうから。オルヴェーニュからしてみれば、ディノは反逆者も同然だ。
「……わかった。約束する。絶対に」
「道化師の失態は傀儡師の責任だ。そうだろ」
ああ、と男は重々しく頷く。少なくとも、背負う覚悟はあるようだ。
「最後に名前を聞いておこう」
「ゲイツ・ティオルドだ」
「オルヴェーニュ派の末席か。覚えとくぜ」
はっとしてゲイツは背筋を伸ばした。
「……失礼しました。オルヴィス様。気が動転して立場を失念しておりました」
「ああ……そういうのはいい。生活を思い出すから嫌いだ。ファーストネームで呼んでくれたら助かる」
心底いやそうに眉を寄せるのを見て、ゲイツは気まずそうに「はあ」と生返事をした。
ぼんやりとしていたシュリイカは、少し落ち着いたのか頭を上げて目だけをこちらに向けた。恨めしいのか、哀しいのか、どちらとも言えない表情で唇を固く結んでいる。
ディノは顔を寄せて静かに問うた。
「計画のこと、カイレムに話したのか?」
間をあけて、彼はゆるりと首を振った。それでもう、満足だった。
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