第四話 しじまの焦燥


 派遣先はヴェルリッヒ郊外。学院が守護する防衛登録地域の一つである。町の外にある森の奥深くには、巣窟が二つほど存在し、そこから湧いてくる妖魔を掃討することが今回の任務だ。

 町はそれぞれ四方向に分かれて配属され、ディノたちはそこから最も巣窟に近い方角を担当することになった。

「階級が低いやつらで助かったぜ」

「むしろ不都合だよ……誰かが仕掛けてくるかもしれない時に」

 戦闘服に身を包んだ彼らは、二十時時二十八分に現地に到着した。分厚い上着をはためかせ、指定された位置まで歩いて行くと、政府の紋章が刻まれた懐中時計を取り出す。蓋を開けて左右のスイッチを二度押すと、点滅して送信完了の文字が浮かんだ。

 師の任務状況を電波で管理するシステム。怠慢や不正を防ぐために局が開発チームと手を組み作り出した機械だ。開始と終了時に位置を確認するために信号を送ることが義務づけられている。

「よし、やるか」

 ディノが視線を送ると、メドはほぼ同時に袖を捲りあげ、薄い霧をまとわせた。

 だんだんと濃くなるそれは彼の全身を覆い獣を形作る。人間の二倍ほどに体が巨大化し、白銀の毛並みと黒い縞模様、アイスブルーの瞳の瞳孔は細く尖り、彼は神獣・白虎となった。

 霧が解けて身震いをすると、二歩ほど足を動かし目の前に広がる森へ意識を集中させた。ずっと先にある巣窟から妖魔が出た気配はない。まだ目覚めてはいないということだ。

「なら早いところ巣を潰しに行くのがよさそうだな」

 白虎の胴体を軽く叩くと、低くした背中に跨り森へ促す。自分たちだけで向かう気か、と白虎は彼を見つめた。

「大丈夫だ。もしものことがあれば応援を呼べばいい」

 街灯やランプのひとつもない森は、手元すら見えないほど暗く静かだった。しかし獣には暗闇など関係なく、目を仄かに光らせて茂った道のりを歩いていく。

 地中を巣食って生きている妖魔は、基本的に夜行性であり早くても日が沈む頃から活動を始める。師と似たエネルギーの結晶を持つ妖魔は力を補充するために結晶を持つ我々を襲うが、何も持たない人間を喰らい養分にするのもよくあることだった。

 妖魔は強くなるほど単体で活動する習性がある。仲間同士で結晶を奪い合い、時には共食いをして成長し、力を得るからだ。結晶をより多く取り込んだ個体は強大な敵となる。そういった妖魔を担当するのは政府直属の軍隊のみで、学院の師徒は討伐する資格を持っていない。

 学院そのものが政府直属といっても、師徒は戦力拡充のために集められた兵隊にすぎない。

 懐中時計のチェーンを引いて胸に掛けると、ライトをつけて視界を確保した。背中から滑り降り辺りを見回す。

 茂みの中で木が、数本ほど倒され重なり合っていた。その近くには大きく地面が口を開き、深淵を覗かせている。これが妖魔が掘ったとされる巣穴だ。

「もう一つは確かこっちだったか。地図では近くに記されてたが、実際はどうかな……」

 メドに待機するよう言うと、ゆっくりと斜め左方向に進んだ。三分ほど歩いてようやく同じような穴を見つける。周りに新しい足跡はない。

 戻ってそのことを報告すると、再びディノは背中に乗った。

「穴は一定の範囲内にいくつかある場合、中で繋がってるのがほとんどだ。メド、そこに向かって吠えてみろ」

 白虎はそろりと穴に近寄った。

「そうしたらもう一つの穴に走れ」

 返事の代わりに喉を鳴らす。ざわりと毛が逆だったかと思うと、覇気を感じ取ったように周りの木々が震えた。

 大気を吸い、咆哮が渦を巻いて穴へ吹き込まれる。

 爆速で通った空気が轟音を響かせた。白虎は走り出しもう一つの穴へ行くと、距離を取ってディノを下ろす。

 足から、微かな振動を感じる。咆哮で起こされた妖魔が驚いて蠢いているのだ。振動は徐々に強くなっていく。ディノは剣を抜いた。

「さあ、蹴散らすぞ」

 頭が見えたかと思うと、一気に数十体の妖魔が穴から溢れかえった。白虎よりも一回り小さいが、それでも人間を覆い尽くせるほどの巨体だ。虫のような口に鉤爪の脚が六本生え、毛深い胴体に先の尖ったしっぽが揺れている。灰色の煙をまとい、妖魔はそれぞれの方向に散るが、一体がディノを認めると連鎖して全体が彼に狙いを定めた。

「メド!」

 正面から襲いかかる妖魔に剣を振り下ろし、白虎は呼応して群れへ突進した。

 長い夜が、また始まる。


「雑魚が多すぎる……」

 三十分ほどかけて妖魔を片付け、二人は逃がした残りを追って森を駆けていた。他の取り逃した分は別方角にいたペアに任せ、一体一体を確実に仕留めに行く。

「ったく、記録書の数字が適当なんだよ。正確に書かないと次の繁殖期が把握できないだろうが!」

 町に近づかせないよう内側から回り込み、白虎の脚力で追いつく。二体のうち一体がこちらに飛びかかるが、ディノが足の付け根から胴体を切り裂き迎え打った。

 そして最後の一体を白虎が踏みつけて止める。ディノは首を落とし、動かなくなった体を裏返させて胸部を解体しようとした。

「待って」

 切っ先が刺さるほんの一瞬で変化へんげを解いたメドが、来た道を凝視する。

「妖魔があそこに」

「あいつら抑えきれなかったのか」

 仕方ない、とメドの肩を掴み、白虎になった彼に乗って急いで向かう。

 無事にそれを倒すと、念のため妖魔の死に損ないがいないか森を巡回して確認を行った。駆けつけてくれた師を定位置に帰し、警戒を続けてもらい、一時間後、最初の巣窟の穴へと戻った。

「綺麗に浄化したみたいだな。あとは見張っておけば今夜は大丈夫だろう。作業をして暇潰そうぜ」

 ディノは周辺に転がったいくつもの死体の中のひとつを、白虎に手伝ってもらい裏返した。

 剣で切込みを入れて胸部をえぐる。体内から黒い粘液がどろりと流れ出た。掘り返すようにして何度も剣を回し、引くと、粘液に混じって不規則な形の固形物が落ちる。

 指先で持ち上げ、懐中時計のライトで照らす。艶のある不透明な結晶だ。ところどころに紫色の筋が通り、結晶を立体的にさせている。透き通った清浄なラヴィとは正反対だ。これが妖魔の核となるもの。命を狩る欲望の根源。

「今日は大収穫だな。ラボに提出すればいくらか謝礼がもらえそうだ」

「どれだけ持って帰る気?バックに詰めようにも限界がある」

 結晶を回収するのもまた師に与えられた任務である。その多くは研究に使われるが、また新たな妖魔を呼び寄せないための対策としても大事な作業だった。夜だけではなく、昼も派遣された部隊もこの作業を担い、徹底した浄化のもと二次災害を防いでいる。

「それに、素手で触るのはよくないぞ」

 メドは取り出した黒手袋をはめて、ナイフで解体を始める。

「妖魔に対して潔癖だよな。白虎になると平気で噛み付くくせに」

「あれは俺じゃなく幽膜が喰らいついてるだけだ。やつの味なんて知らないよ」

 ボストンバッグには次々と結晶が入れられていった。胸を裂いて取り出しては黒血を振り落とすのを繰り返し、刃物が擦れる音以外は全てが静かで、作業中彼らは、特別何かを話すことはなかった。

「ディノ、俺はあっちに行くから……」

 どのくらい経ったのか、メドはいったん腰を上げて、穴の傍に折り重なっている妖魔の方へ移動した。

「落ちるなよー」

 そんなへまはしない、とメドが振り向いた。するとなぜか、懐中時計のそれとは違う光が、ぼんやりと木々の向こうで揺らめいているのが見え、思わず動きを止めた。

「あれは……?」

 ディノも彼の視線に気づいて立ち上がる。

 敵ではない。温かさすら感じるその光は、妖魔のようにおどろおどろしいものではなく、もはや神聖さすら感じた。

 はっと息を飲み、メドは幽膜をまとった。

「来るぞ!」

 一瞬の判断だった。ぼやけた光が急激こちらへ接近し、ディノは反応したものの、剣を構えるのが間に合わなかった。彼が遅かったのではない。があまりにも速すぎたのだ。

 地面を蹴り、ディノを跨ぐようにして変化したメドが光に激突した。

 衝撃波とともに、反動で双方が後ろに弾け飛ぶ。

 巻き込まれてディノも吹き飛んだ。

「っぐぅ、メド、大丈夫か!」

 白虎は頭を振って起き上がり、喉を鳴らして前方を威嚇した。

 その先にいたのは、鹿の胴体と龍のような頭を持った、金色の神獣だった。そこらに立つ木が小さく見えるほどに高く、なぜここまで存在感のあるものに気づけなかったのかとディノは疑問に思った。

「おそらく麒麟だな……でかい図体のわりにすばしっこいやつだ。気をつけろ」

 それ以前に、なぜ神獣が自分を狙ったのかがわからない。まさか手紙の件と関係しているのか。

 白虎が呼びかけるように鳴いてみせるが、麒麟は何も反応を返さない。直立不動かと思いきや、右足で土をかくと、俊敏に彼らと距離を詰める。

 盾になろうと白虎は立ちはだかるが、麒麟はあっという間に裏に回って首を大きく振る。ディノは今度こそ剣を使い攻撃を防いだ。

 が、先程のようにぶつかり合った瞬間、衝撃波が火花となって飛び散り、振り切った右手はビリビリと震えていた。

 神聖濃度の高い神獣と、不浄を祓う精神の力は互いに影響しないため相性が悪い。力は干渉することなく反発し、優劣は濃度の違いによって差が生まれるのみ。戦いにおいては純粋な実力勝負となるのが普通だ。幽膜には死の概念はなく、精神の力はラヴィに干渉でき、それぞれの能力で対等に戦える。

 勝ち負けは、能力の扱いがどれだけ長けているかで決まるのみ。

「瑞祥とされているからか元から濃度が高いみたいだな。ただ暴れるだけでも厄介だ」

 逃げても、この速さでは意味が無い。白虎がいくらディノを守ろうとしても追いつけないのが現状だ。

「一発でも当たればこっちのものだ」

 攻撃を受け流しながら、ディノは剣先に力を集中させ、精神を研ぎ澄ました。

 剣の軌道が、振るう度に歪んだ空気となって宙に現れ始めた。力が溜まっていく。衝撃波で、手の感覚が鈍くなっていく。横から麒麟に頭突きをした白虎に彼は言う。

「隙を作れ。ほんの一瞬でいい」

 麒麟は器用にすり抜け離れたが、また大回りをしてディノの死角から突こうとする。

 白虎が必死に四肢を動かしても届かぬ速さ。光の化身とも言える素早い体に、対抗する手はひとつ。

 咆哮が緑をかき分けて麒麟に直撃した。勢いを消され浮遊した麒麟は、足をばたつかせ横に倒れていく。

 ディノは平行に剣を構え、胸を狙ってまっすぐに刺した。

「破!」

 どっと重い波動が、剣先を中止に広がった。

 紅く燃える炎のような、眩しい波紋だった。

「ぐあっ」

 ラヴィが刺激されたせいか、弾き飛ばされたとたん変化へんげが解けて、少年が地面に倒れた。

 その姿に、二人は目を見開く。

「あの時の子じゃないか……」




 

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