第三話 望みの重石



 それから二人は、赤煉瓦の寮へ戻った。吹き抜けになった四階建てからは、寮生たちの声が時たま聞こえてくる。夕方から任務に出る者が多いため、人はあまりいないようだ。半円のフロントから臙脂色の絨毯がに伸び、二階へと続いている。まっすぐ進んでいると、右手にある共有スペースの入り口で数人が立ち話をしているのが見えた。その中に見覚えのある顔があったが、無視して階段へ足をかける。すると彼らのうち一人がディノに気づき、呼び止めた。

「よおディノ。調子はどうだ?」

 狐を連想させるつり上がった細い目と、前髪を重たくカットした深い藍の髪。派閥の名を冠するオルヴェーニュ家の次男、カイレムである。同じ派閥で同級生でもある彼とはもちろん顔なじみではあったが、ディノにとっては一番関わりたくない部類の相手だった。

「そこそこだよ」

 一言返して二段ほど上がる。

「おいおいどこ行くんだよ。せっかく会ったんだし話をしようじゃないか。あれから契約はできたのか?いい相手がいないなら俺から何人か紹介してやってもいいんだぜ」

 カイレムは手すりに腕をかけ寄りかかる。オルヴェーニュであれば既に昨晩の会食は耳に入っているはずだが、あえて遠回しな言い方をしているのか、こちらの出方を伺っているようだ。

「遠慮しておく。会食はあまり好きじゃないんだ。息が詰まるからな」

「じゃあどうするつもりだ?まさかそこの道化師と組むって言うんじゃないだろうな?」

 と、後ろに立つメドを指した。鼻につく言い方にディノは片眉を上げる。

「だったら何だ」

「大問題だね。名のある家でもないド田舎の道化師と組んで誰が得するんだ?オルヴィス家に泥を塗るつもりか」

「お前には関係ない話だ。オレの事情に首を突っ込まないでもらえるか」

 小さな舌打ちが聞こえた。せっかくこの俺が、という傲慢な気持ちとともに、カイレムの表情は歪んだ笑みから苛立ちに移り変わる。

「気にかけてやってんだろディノ?将来的にはお前と手を組んで獅子団で活動したいと思ってるんだ。そのためにもお前にしっかりと地位を築いてもらう必要がある。反抗期もほどほどにして、よ〜く考えてくれよ」

 念を押すように言うと、仲間を連れて寮を出ていった。ディノはそのうちの一人をじっと目で追うと、再び階段を登った。

「あの子、さっきの……」

「ああ。昨日の今日でカイレムが引き入れたんだろうな」

 取り巻きの中にいたのは、先程ディノが救った少年だった。目が合った瞬間そらされてしまったが、今日のカイレムがやけに機嫌がよかったのを見ると、

「だとしたら、オレの計画を漏らされてる可能性もある」

「な、馬鹿か。あれを喋ったのか?」

 焦りを滲ませたメドに、どうってことない、とディノは口端を上げる。

「いずれわかることだからな。徐々に情報が流れる方がこっちも動きやすいだろ」

「でも、今は時期が悪すぎるんじゃ」

「だからこそ、タイミングを見計らいやすい」

 メドの部屋に本を置くと、ディノは振り返る。

「さて、今日の任務の作戦を立てようか」

 任務は毎度、各部屋のポストに手紙で届けられる。黒い封筒に銀の封蝋が押されたそれは、任務を割り当てられた本人のみ開示する権利があり、手紙一枚につき、パートナーやペア同士で情報を共有することが可能だ。

 普段は実家から通っているため部屋を持っていないディノは、こうしてメドの方へ届けられる手紙で内容を把握している。

「……ん?」

 ポストを開けたディノが眉をひそめた。

「やられたな」

「え?」

 メドに見せた手紙は、学院のマークが浮かんでいるはずの封蝋の部分が、半分に破かれていた。

「⋯⋯は。嘘だろ」

 真顔になったメドは封筒を受け取り中身を確認する。

「盗まれてはいない⋯⋯情報が欲しくて覗いたのか?」

「違反するだけでも高いリスクがつくんだがな。大層な目的でもないとなかなかできないことだ」

「すぐに報告しよう。理事長に申し出て別の人に任務を⋯⋯」

 ディノはいや、と首を振った。

「こんな直前に代わりが用意できるとは思わない。それにこれに関しては大いに心当たりがあるぜ」

 折り畳まれた紙を開きながら封筒を机に置いた。

「買われた恨みならいくらでもあるが、直近で言うとカイレムあたりだな。計画を知られたんだとしたらオルヴェーニュもおかんむりの内容だし、あいつならやってもおかしくない」

「だったらなおさら報告すべきだ。カイレムは謹慎になった前科もある。彼が何かやろうとするならきっとろくなことにならないぞ」

 先程のなめるようなあの目を思い出す。次男として生まれ将来的な立場が約束されなかった彼は、昔からその高い地位だけに固執してふんぞり返っていた。兄が家督を継ぐ頃には自分が謳歌している後ろ盾の力は失われる。だから今のうちに人脈を広げ獅子団の位につこうと考えているのだ。

 獅子団とは、皇室や政府からも独立した少数精鋭部隊である。昔は王室に仕えていた正式な組織だったが、時代が進むにつれて王の権威が脅かされると、早々に独立して活動するようになり、現在では政府と協力関係を結んで安定した地位を保っている。

 皇室付き近衛師団とほぼ同格でありながら、様々な特権を持つ獅子団に憧れを持つ師も少なくない。カイレムもその一人で、オルヴィス家の長男であるディノと入ればあらゆる恩恵が得られると算段しているのだ。わかりやすく単純な彼の人生設計に巻き込まれたくなかったが、自身の計画を妨害するとなると話は別である。

「あいつとは一回ちゃんと拳で語り合わなければと思っていたんだ。今日くらい相手にしてやってもいいだろ」

「そんな安請け合いを⋯⋯、あとで後悔しても知らないぞ?」

「と言っても、まだカイレムだと決まったわけでもなし。どちらにせよするべき精算は早めにしておいた方がいいだろ」

 心なしかメドは、彼がこの展開を悪くないと言っているように聞こえた。どうして無意味な傷を作ろうとしているのだろう、と複雑な感情を滲ませ、口を固く結ぶ。

 そんなメドを見て、ディノは紙の折り目をいじった。

「……お前には負担ばかりかけてしまってるが、あくまでオレだけが前線に立って戦うつもりだ。よければ今回も後ろで支えていてくれないか」

 彼はお願いごとのように優しく諭した。止めることこそ無駄なのだとメドは察する。彼は進むことしか知らない。

「急に、しおらしくなってどうしたんだ。やると言うなら協力するとも。このくらいで重荷に感じてちゃ君の道化師は務まらないからね」

 貴族の人間となれば問題は永遠に尽きることはない。我々は死ぬまで争う生物だから。

「俺の前に立とうとしなくていい。ディノ。隣合ってこその傀儡師と道化師だろ」

 二人は視線を交わすと、口端を上げて笑ってみせた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る