駆け落ち

伊砂リオテ

駆け落ち

「必要なのは…まずは財布と、

あっ、灯里のための酔い止めの薬もだな。」

俺は今、家出の支度をしている。

いや、詳しく言えば駆け落ちの準備だ。

俺の両親は物凄い毒親だ。

彼女を連れてきてみた時には

物凄く猛反対された記憶がある。

「こんな子と付き合っちゃ駄目よ」

そんな言葉を吐かれた時から、

駆け落ちする決断が出来たのだ。

俺は自分の部屋を見回す。

「お世話になったよ、じゃあな。」

決別をする気持ちを高めるため、

俺は一人で口に出して言ってやった。

既に日付は変わっており、

電気のスイッチを押せば俺の部屋は真っ暗だった。

俺は自分の部屋から立ち退いた。

そこから階段を降りる前に、

灯りが付いていないかを確認した。

階段の先はリビングになっており、

父親が稀にドラマを見ていることを知っている。

だが俺の心配は杞憂に終わったようだ。

階段を降りる度に鳴る木の軋む音が

朝方の時よりも非常に大きく感じる。

俺は今から高校に行くのでも、

夕飯を食べに行くのでもない。

彼女の、灯里と共に今の状態から逃げ出すのだ。

灯里はとても優しく、思いやりがある。

そんな優しい灯里と付き合うことを、

何故両親は反対するのだろうか。

だが、そんな悩みもここまでだ。

リビングは非常に暗く、

どうせなら食べ物をくすねようと、

俺は冷蔵庫を開け、中を物色する。

灯里の好きなお菓子でも持ってってやろう。

俺は板チョコを4つ程取り出した。

そしてリュックの中の品を再確認し、

すぐさま玄関へと足を向ける。

俺と灯里は、高校3年に差し掛かるところだ。

そこまで俺達は、高校に入学した時から

一緒にバイトをしていたのだ。

将来一緒に暮らす時のため、である。

少し気恥ずかしさも覚えてしまうが、

「このお金でどんなことしたい?」

と笑顔でいつも話をする灯里を思えば、

そんなことはどうでも良く思えた。

ただ、そのお金が駆け落ちに使うことになるとは

俺も灯里も想像はしていなかったが。

靴を履き、姿勢を正す。

「よし。行ってきます。」

誰に聞かせるわけでもない言葉を口に出して

俺はドアノブに手を掛けた。



深夜の住宅街というのは、

本当に猫の子一匹いなかった。

いつも歩いている道だというのに、

時間帯だけでこんなにも変わるものなのか。

灯里の家は、自宅から5分もかからない。

そうこう考えていれば、

自宅のドアが開き、そこから灯りが漏れていた。

立っていたのは、父親だった。

「おい!何してるんだ!?

 早く家に戻って来るんだ!」

あらん限りの声量、ではないが

もしかすれば母が起きるくらいの声量で

父親は俺のことを呼んでいた。

早く、逃げなければ。

両親と共にいても、俺は幸せにはなれないのだ。

全力で俺は暗闇の住宅街を駆けていく。

後ろから父親の声が聞こえるのは、

俺が走ってからすぐのことだった。

「お前、色々苦しいことはあるけどよ!

絶対に馬鹿な真似はよすんだぞ!!」

馬鹿な真似?

違う、両親達が失態を侵してしまったのだ。

俺達のことを認めてくれないから、

こんなことになってしまっているんだ。

俺は両親を脳内でだが、全力で責め立てた。



息切れが激しくなってきたときには、

もう俺は灯里の家の前にいた。

なんとも妙な話だが、

灯里の家はなんだか俺の記憶と違う。

夜中だということに気付き、俺はホッとした。

時間帯の違いだけで、こんなにも変わるものなのか。

そして、灯里へとメッセージを送った。

インターホンだなんて押してしまえば、

灯里の両親達が起きてしまうかもしれない。

メッセージに既読が付いた。

暫し待っていたら、灯里は家から出てきた。

「お待たせ、インターホン押してって言ったのに。」

「まあまあ、音が鳴ってしまうだろ?」

灯里はいつも通り綺麗だった。

背は理想的な高さで、顔も凄く整っている。

私服はいつもとは少し違うが、可愛らしい。

肩にはショルダーバッグを掛けている。

そして、勿論内面もだ。

灯里の気遣いはお節介過ぎず、

人のために自分を犠牲に出来るような人だ。

前までポニーテールだったのだが、

最近は髪を切ったのか、ショートカットになっている。

「えっと、よろしくね。」

「うん、よろしく、灯里。」

少し変な会話だなと思った。

「そうだ、少し厄介なことがあったんだ。

父親に駆け落ちがバレてしまっててな、

もしかすれば警察とかも来るかもなんだ。」

「そうなんだ、でもそれは大丈夫だよ。」

凄いと思った。灯里は強い人だ。

「流石だな、なら早速行こうか。」

俺は灯里と歩き始めた。

「これからはどうするつもり?」

暫く歩いていたら、灯里は震えた声で俺に質問した。

やはり、慣れないことで不安なのだろう。

顔も下を向いている。

こういうところは、俺がしっかりすべきだ。

「ホテルを拠点にして過ごそうかなと思ってる。」

「ホテルとか高いよ?ずっと過ごせないよ。」

「ひとまずの案だ。そのことについては、

また後で考えることにしよう。」

我ながら頼りないと思ってしまった。

これだと灯里の心配は解けやしない。

「とにかく!大丈夫だ。俺が付いてるからな。」

灯里は黙って頷いていた。

自分でもこの駆け落ちは無鉄砲だと思う。

だが、俺達の気持ちを両親にわからせる

唯一の方法なのだ。仕方がないのだ。

俺が何度話しかけても、

灯里は薄い反応ばかりであった。



「ここだな、このホテルが1番近いし、

値段もそこまで高いわけじゃなかった。

予め予約しておいて良かったよ。」

気付けば街中の方まで来ていた。

人もまばらではあるが、行き交っている。

稀に俺達のことを不思議そうに見るのが

少しばかり気に障った。

「とにかく、早く中に入ろうか。」

灯里も頷き、俺達はホテルの中に入る。

中は豪華絢爛で、

ネットで確認した値段が嘘じゃないか不安になる。

それと同時に、高校生だとバレないかどうかも。

奥に受付の女の人が見えたので、俺が尋ねる。

「すみません、予約をしていた――」

俺がそう言い終える内に、受付の人は目を剥けた。

「あの、申し訳ございませんが…」

だが、受付の人が灯里を視認したかと思えば

「ああ、ご両親でしたか。失礼しました。

お部屋は8階の803号室となっております。」

そういいながら受付は鍵を差し出していた。

ありがとう、と灯里が鍵を受け取った。



「灯里がそんなに大人っぽく見えるなんてな」

俺は先程の不満を今夜泊まる部屋で漏らしていた。

確かに、予約をする時に色々と嘘を書いていて

内心泊まれるかは冷や汗をかいていたのだが

なんだか少し負けてしまった気分だ。

「ハハハ……まぁ、人によって見方は違うからさ……」

灯里はずっと不安気な様子である。

「なぁ、どうしたんだ灯里。

確かに、凄いことしちゃってるけどさ。

前まではもっとワクワクしてただろ?

私達の本気具合をわからせてやろうね!ってさ。

何かあったのか?」

俺は思ったことを口にしてみた。

おかしいのだ。

先程から、灯里の怖がり具合が予想より大きい。

俺にだって、警察や両親、金銭面のことで

不安点はかなりあるのだが、

灯里はなんだかそれとは違う不安を

抱いているように見えたのだ。

灯里は少し考えたような素振りをしてから

「あっ、うん、全然平気だよ。

ちょっと、親といざこざがあってさ。」

灯里の顔が少し曇っていた。

「そっか、大変だったな。

ひとまず、今日はもうゆっくりしようぜ。

もう寝ちまおうか。」

「うん、賛成。」

灯里が少し嬉しそうだったので、

不意に俺にも笑みが溢れる。

「着替えはどうする?」

「私はこのままで寝るよ。」

「そうか、じゃあ俺もそうするか。

おやすみ、灯里。」

「うん、おやすみなさい。」

俺は灯りを消して、ベッドに身をおいた。

意識が遠のいていくのは、思ったより早かった。



目を開ければ、灯里は既に着替えていた。

いつも着ている私服とはやはり少し違っていた。

「おはよう、今からどうする?」

灯里の顔に迷いがないように見えた。

「そうだな……いつ警察とか親が来るか分からない。

早くに捕まってしまったら、

証明はなんだか…しにくいからな。

電車とかに乗って少し遠くに行こうと思う。」

「正確には何処に行くの?」

「そうだな、もう少し都会の方かな。」

「あ〜、ならあの辺りとか?」

灯里は色んな場所を提案してくれた。

昨日よりも俄然にやる気があるように思える。

俺は安心感を覚えながら、

灯里と行き先を決めることにした。

そうして目的地はすぐに決まり、

チェックインを済ませて、最寄りの駅へと向かった。

「そうだ、灯里。酔い止めは持ってきたか?」

「えっ?ああ…忘れちゃった…」

「ほら、持ってきといたぞ。」

俺はこのことを予想して酔い止めの薬を

持ってきていたのだ。

良いところを見せることができて、

少し誇らしい気持ちになった。

「ありがとう、飲んでおくね。」

「おう――あっ、少しトイレにいってもいいか?」

「お手洗い?うん、大丈夫だよ。

ゆっくりしてきていいからね。」

俺は灯里に感謝を述べながら

駅構内のトイレに向かった。

用事を済ませながら、

俺にはあることが気掛かりだった。

だが、その気掛かりなことが

自分にもわからないのである。

この靄がかかってしまったような、

この不自然の正体は一体なんなのだろうか。

そう思慮を巡らせていると、

見覚えのある人が

辺りを見回していることに気付く。

一目で見て、人を探しているとわかる仕草だった。

そして、出で立ちと顔を見て俺は確信した。

間違いない、俺の母親だ。

俺は顔を背けながら、あえてゆっくりと歩く。

母親からは見えない死角に入ったとわかれば、

俺は駆け足で灯里のいるところへ向かった。

「急ごう!早くホームに行っておこう!」

「待って待って、どうしたの?」

「親がいるんだ!早く行こう!」

俺は煩わしい気持ちで灯里に声をかける。

早く、早くしなければ不味い!

俺達は両親から逃げなければならないのだ。

「落ち着いて。あのね、


駆け落ちはやめないかな?」

一瞬灯里が何を言っているかわからなかった。

「おい、何言ってるんだ灯里。早くしないと……」

「ちゃんと、親に説得した方がさ、

合理的で最も良い方法じゃないかな?

駆け落ちなんて、悪いことしかないよ?」

「確かにそうかもしれないけどさ、

灯里、どうして急にそんなこと言うんだよ?

前までの灯里と、全然違うぞ?」

「それよりも。ね?帰った方がいいんじゃない?」

「どうしたんだよ灯里!」

俺には何がなんだかわからなかった。

ともかく、灯里は何かおかしい。

一体何が起きているんだ?

確かに、灯里の言うことも正しいと思う。

いや、普通は駆け落ちなんてしないのだろう。

だが、何かがおかしい。

「え?ちょっと、待って!」

俺は灯里の手首を掴んで駆け出していた。

「ちょっと、待ってって!話をしてみようよ!」

「ごめん灯里!!とにかく来てくれ!」

俺にはこんなことしか言えなかった。

そして既に止まっていた電車へと乗り込んだ。

それからすぐにアナウンスが聞こえ、

電車のドアは閉まり、電車は加速し始めた。

親にはバレていないだろうか。

そもそも、どうしてここがわかったのか。

GPSか?いや、そんな話は聞いたことはあるが、

スマホのGPS機能を俺はオフにしていた。

灯里を一瞥する。

灯里はまた疲れているようだった。

「ごめん、私が間違ってたかも。

やっぱり駆け落ちを続けるよ。」

「いや、お前の考えも間違ってないと思う。

ただ、あのまま諦めるのもなんか尺でさ…」

我ながらだらしがないことを言っていると思う。

電車に揺られる灯里が、別人に思えた。



電車から降りて、灯里が疲れているようなので、

今日は早めに休むことにした。

すぐにホテルを見つけ、手続きを済ます。

部屋に入るなり灯里は椅子に座り込んだ。

「今日も、休んでおくか。

働く場所とか、色々探しておくよ。」

「うん、ありがとう。」

灯里はまた震え声で返事をしている。

「なぁ、どうしたんだよ灯里。

本当に何か、あったのか?大丈夫か?

言いにくいことなら言わなくてもいいんだが…」

「いや、大丈夫。」

灯里は基本なんでもいつも

俺を頼ってくれていた。

俺が灯里の支えになって、灯里は悩みを打ち明けて。

お互いにとても幸せになれていたのだ。

だが、今は何かおかしいのだ。

俺はハッと思い、灯里のバッグを調べた。

「あっ!やめて!!」

俺はバッグの中から酔い止め薬を見つけた。

灯里の乗り物酔いは常人よりも非常に激しく、

酔い止めがなければまともにいられない程だ。

なのに、なぜこの酔い止め薬には

一切使われた形跡がないのだろう?

俺は灯里を一瞥する。

「なぁ、どうして、なんだ。」

灯里は俺の言いたいことがわかったらしい。

そして顔が非常に歪んている。

そしてその歪みが、一気に解放させられていた。

「あのね!私は、灯里じゃないの!

いい!?灯里はね、もう亡くなったのよ!」



彼と灯里については、近所では有名だった。

随分と皆がフレンドリーなこの住宅街では、

彼と灯里が付き合ったという情報は

瞬く間に広がり、皆が彼らを祝福した。

そんな住宅街の雰囲気が私も好きで、

彼と灯里を良くしてやっていた。

だが、悪魔というものはこの世に存在するらしく、

灯里は病に侵されてしまったのだ。

その病は先天性のもので、治ることはない。

そして、余命も僅かしかなかった。

彼の心情だなんてものは、考えたくもない。

愛すべき彼女がいて、

お互いに信用しあっていて、

私達は助けあってこれからもずっと一緒にいようと

約束しあっていたのも私は知っていた。

それを突如、訳の分からないものに

壊されてしまう彼を見たくなかった。

そうして暫く経ってから、

彼について近所の人に私は聞いてみた。

そこで驚きだったのが、

彼はどうやら立ち直っていたらしいのだ。

なんとも凄い話だ。

私なら自殺でさえ躊躇わないだろうとも思う。

だが、それを彼は、耐えたのだ。乗り切ったのだ。

私は彼のことを心から尊敬した。

けれど、彼は立ち直ってはいたのだが、

元の彼ではなかったのだ。

彼は、灯里を探しているのだ。

灯里が亡くなったことを、信じていないのだ。



呆然としながら彼は私を見つめている。

火に油を注ぐような行為かもしれない。

けれど、もうおかしな点はバレているのだ。

ならば、真実を伝えてみるしか仕様が無い。

「確かに辛い出来事だった!

私達に貴方の辛さだなんてわからないし!

でも!絶対に私達は貴方を助けるから!!」

私は精一杯の声量で彼に訴える。

だが、彼には何とも響いていないらしい。

「灯里は、どこだ?」

「だからっ、灯里はね!」

「死んでなんかいないんだよ!!!

皆が皆、灯里は死んだ死んだって言って、

灯里のことを蔑ろにしているんだよ!」

「蔑ろになんかしていない!

本当に、事実を言ってるだけなのよ!」

彼は獣のものと思えるような雄叫びをあげながら、

私へと飛び掛かって来た。

喉元に手をかけられてしまう。

このままでは、殺される。

力の差は、圧倒的だ。

「お客様!一体何を!!」

従業員が気付けば騒ぎに駆け付けていた。

数名の従業員に取り押さえられ、

彼は連れていかれようとしている。

離せっ、離せっ、灯里をどこにやったんだ、

彼の声がずっと頭の中で反響していた。



「彼女の病は、治りません。」

医師のうわ言。

「灯里ちゃんのこと、忘れないであげてね。」

家族の虚言。

「灯里はもう、亡くなったのよ!」

灯里を模った女の戯言。

「私が死んでも、幸せに生きてね。」

灯里の嘘。

みんなみんな、俺に嘘をついている。

理由はわからないが、

俺と灯里の邪魔をしようと世界が動いているのだ。

いや、違う。

違うのかもしれない。

灯里は本当に死んだのかもしれない。

だが、それが本当なら俺にはもうどうしようもない。

そんな事実に俺は耐えることはできない。

ならば、ならば、そんな現実見せないでくれ。

彼女の笑顔、声音、香り、言葉、仕草。

幻でもいい、灯里を見せてくれ。

それが見れないっていうのなら、

少しくらいは、現実から逃げてもいいじゃないか。

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駆け落ち 伊砂リオテ @ISKROT

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