第33話 エピローグ

 ユウキたちの白百合学園行きに神崎姉妹がついてくる──。


 よくよく考えればというか、本来は考えるまでもなく当たり前の話なのかもしれないが、それは学生としてではなくあくまでも使用人──従者としてであった。


 一瞬でも彼女らが学生服に身を包んだ姿を想像してしまったのは、最近、ユウキ目線で実はいろいろとぶっ飛んでいることが判明した白百合家の主従ならば「そのくらいのことはやりかねない」と思ったからだ。まあ万が一実行された場合、いくら沙織里たちが美人姉妹でも、どう見てもアダルティな雰囲気が漂う二人の学生服姿は傍目には如何わしいコスプレにしか映らなかったであろうが。失礼だろうとは思いつつもユウキ自身たぶんそうとしか見れない。

 

 ただ、ひとつ言い訳をするなら、生まれも育ちも庶民のユウキからしてみれば、学校へ通うのに使用人が──送り迎え程度ならともかく──わざわざ泊まり込みで同伴するなどという発想自体があり得なかったのである。

 こればかりは自分の身に起きた超常の現象TSFを棚に上げてでも「ファンタジーかよ」と突っ込みたくなるのも無理からぬことではなかろうか、とユウキは思う。


 さて、そんなカルチャーギャップに頭痛を覚えた日からさらに二週間近くが経ち、カレンダーの日付は既に七月の半ばを過ぎていた。本日は世間的には翌月曜日に海の日を控えた三連休の初日であり、学生的には前日に一学期の終業式を終えたばかりの夏休み初日である。目下モラトリアム期間を過ごすユウキはそのどちらにも当てはまらないが。


 ユウキは相変わらず白百合家のお世話になっていた。ここへ来てから既に凡そ一ヶ月。本当はこれほど長く居座るつもりではなかった。しかしとにかく居心地は良かったし、ユウキが「そろそろ」という空気を出すと途端に絢音や沙織里から発せられる「帰らないで」という無言の圧をはね除けることができず、これまで帰宅は延び延びになっていた。


 ──とはいえ、ぶっちゃけそれは嘘ではないが真実でもない。適当な言葉を当てるなら建前である。ユウキの帰宅がここまで遅くなった最大の理由は、いわば「最大の親不孝」をした両親に会うことに対する怯懦にあった。

 

 さまざまな偶然──いや幸運が重なり(TS現象については果たしてどう捉えたら良いのか、いまだにわからない)、その上で絢音たちの尽力があった結果、ユウキは今もこうして生きているが、一度は両親を残して先立とうとしたのだ。その事実は重く、決して消えることはない。


 はっきり言って、ユウキには両親に合わせる顔がなかった。

 一体、自分はどんな顔をして、どんな言葉を交わせばいいのか──。考えても答えなど見つからず、時間はただ徒に消費され、その間にユウキのしたことといえば、両親と白百合家の人々の厚意にただ甘えることだけだった。


 ユウキは改めて思い知った。自分は──弱い。


 両親が「勇気」という名前に込めた願いに恥じぬよう、子供の頃に大好きだったあのアニメの主人公に負けぬよう、十七年間、なるべく人に頼らず精一杯突っ張って生きてきたつもりだったが、今にして思えばそれはとんだ勘違い、大間違いだった。


 自分が勇気ある行為、あるいは選択だと思って続けてきた生き方は、ただ意地っ張りで独りよがりなだけだった。困ったとき、人に相談する、頼ることはまったく恥ずかしいことではない。もし恥ずかしいと感じるなら、その恥ずかしさを乗り越えることこそ本当の勇気ではないか。そんな簡単なことですら絢音に言われるまでわからなくなっていた。


 ──だから「勇気」はいじめに屈した。


 と、ここまでわかっていてなお、ユウキはたかが両親に会うための勇気が出せない。


 ──出せなかった。


 だから荒療治に踏み切ることにした。


「──ユウキ? あまり顔色が良くないわよ?」

「大丈夫」


 今、ユウキは絢音に車を出してもらい(もちろん運転は志桜里だ)、凡そ一ヶ月ぶりとなる帰宅を果たすべく自宅を目指していた。


「無理……はまあ、してるわよね。はぁ……ねえ、本当に大丈夫? お母さまは無理しなくていいっておっしゃってるんでしょあ」

「うん……でもいい加減にしないと」


 本当はぜんぜん大丈夫じゃない。昨夜、母親にメッセージアプリで唐突に今日帰宅することを伝えてから一睡もできていない。こうしているだけで血の気は段々と引いていくし、脇の下からは変な汗が止めどなく滲んでくる。


「……もう。あなたのその頑固というか意地っ張りというか……ぜんぜん直ってないじゃない」

「そこはほら、三つ子の魂百までって言うし」

「呆れた……と言いたいところだけど、まあ、そうね。私だって自分の性分を一ヶ月やそこらで変えられるとは思えないわ」


 絢音は呆れながらもユウキの吐く軽口に同意を示した。まあ、どちらかといえば「処置なし」と思われたのかもしれないが。


「──けど、帰宅するにあたって私に同伴を求めたところは大きな進歩ね。そこは褒めてあげる」


 花丸をあげましょう、と絢音は微笑む。


「そりゃ、僕だって学習するからね。それにほら、僕はもう女の子だし。だったら、なんかもういいかなって」


 僕は弱い。ならもういっそ開き直って「か弱い存在」として強かに生きてやろうと思ったのだ。「こうなったらもう甘えられるところにはとことん甘えちゃおうかと思って」と、多少の自虐も込めておどけて見せる。


「あら、いいわよ? 好きなだけ甘やかしてあげる」


 ほら、おいで。と絢音が両手を広げる。


「え……っと。その、物理的な話ではなくてですね?」

「んっ」

「いや、車の中だし……。それに走行中は危ない……よ?」

「んんっ」


 絢音がなおも「こい」とアピールを繰り返す。


「……その」

「もう、何をヘタレてるのよ。『女の子同士』でしょうに」


 絢音がぶすくれ、運転席からクスクスと遥の笑い声がする。……恥ずかしい。


「……………嫌、ではないよ?」

「ふうん……わかったわ。なら、別に走行中じゃなければいいのね?」

「え」

「そういうことなら、続きはユウキの家に着いてからにしましょうか」

「ええ!?」

「何を驚いてるのよ。玄関の前で思いきり抱きしめてあげる」

「ちょっ」

「『勇気』、足りてないんでしょ? 私が目一杯注いであげる。それとも要らない?」

「………………」


 そう言われてしまうと……


「………………お願いします」

「任せなさい」


 僕はこの先もずっとこうしてこの子に甘やかされていくのだろうか……。それも悪くない、とユウキは思った。

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