第32話 パワープレイ(4)

「えっ、転入?」


 ユウキが再び目を覚ましたのは既に正午も間近に迫った頃だった。二度寝が思いの外深くなってしまったのは決して絢音の人肌が心地よかったからではなく、昨日、いろいろな意味で気疲れしていたからだと思いたい。


 ──と、まあ昨夜から今朝にかけて起こったアレコレは、無闇に振り返ってもただ徒に恥ずかしくなるだけなので一旦置いておくとして。絢音から「別の学校に転入しないか」と持ちかけられたのは、ユウキにとっては朝食──他の者にとっては昼食を終え、例によって沙織里の給仕によるお茶の席が始まってすぐのことだった。


「ええ、ちなみにあなたはこの先どうしようと思っているの?」

「えっと……」

「ああ、ごめんなさい。言い方が悪かったわ。これは決してあなたに決断を急かしているわけではないし、ましてや現状を咎めているわけでもないの。私としては好きなだけここにいてほしいと思っているわ。それは信じてちょうだい」

「う、うん」

「その上で聞きたいのだけど、もう一度学校──つまり高校に通うつもりはあるかしら? もちろん進学のためなら大検を受けるという手段もあるし、なんならあなたの経歴に『高卒』を付与するぐらいどうとでもしてあげられるわ」

「え」


 白百合家スゴすぎない? もはやマンガの世界である。


「……リアルでそんなことできるとかどんだけよ」

「はは……お金の力は絶大ですねー」


 遥と笙子も似たようなことを思ったらしく小声で戦きあっている。

 ただまあ、


「えーと、学歴詐称とかはちょっと……」


 きっと、いや、たぶん絶対にバレないのだろうが、そこまでしてもらうのも悪いし、何よりさすがに良心が咎める。


「もちろん冗談よ」

「そ、そう。そうだよね? あはは」

「私としてはそれでも構わないのだけれど」

「え」

「むしろそうしてほしいのだけど……それでずっと──」

「あの……?」

「──! こほん。ま、まあ、真面目な話あなたのことだから変にズルはしたくないだろうと思っていたわ」


 露骨に取り繕われたが突っ込まないほうがいいのだろう。きっと突っ込んだら負けだ。


「そこでこんなものを用意したの」


 絢音がそう言うと、


「どうぞ」


 傍にいた志桜里がA4サイズの小冊子を差し出した。


「あ、すみません。……これは」


 それはグラビア版のパンフレットだった。表紙上部には「学校法人白百合学園学校案内」と印字されている。


「とりあえず見てちょうだい」


 絢音に促され、ページをパラパラと捲る。

 学校案内というだけあり、学園の歴史や教育理念、校風の案内に始まり、学園内に設けられたさまざまな施設が写真付きで紹介されていた。最大の特徴としては──


「女子校……全寮制」


 らしい。そこはまさしく女の園である。


「ええ、今のあなたには丁度いいんじゃないかと思って」

「丁度いい?」

「ええ、今のあなたは女の子になったばかりで、こう言っては悪いけどいわゆる『女子力』が不足していると思うの」

「えっ……と、うん。そりゃ……まあ、ね」


 たしかに、この先ずっと女性として生きるなら女子力なるものがあるに越したことはないのかもしれないが、如何せん既に十七年近く男性として生きてきたのだから、こればかりは急にどうこうできるものでもない。


「そこで女子校よ」

「うん?」

「ほら、学ぶの語源は『まねぶ』だって言うでしょう?」

「……聞いたことはあるかも」

「まあ、語源の話が本当かどうかはわからないけれど、何かを覚えようと思ったら、人の真似をするのが手っ取り早いのは確かよ」

「あ~……職人の弟子が師匠の技を見よう見まねで盗んだり、外国に住んでると自然と現地の言葉を覚えるみたいな」

「そういうこと。人は必要に迫られれば意外となんでもできるものよ。習うより慣れよ、朱に交われば赤くなる──この場合は朱に交わって赤くなれ、ってところね」

「なるほど……」


 転入に少し気持ちが傾く。女子力云々の話は抜きにしても、高校ぐらいはちゃんと卒業したいという気持ちもある。……まあ、またなんか流されているような気もするが。

 

「ちなみに名前から既に察しているかと思うけど──そこはうちの系列の学校法人なの。私も中学はそこに通っていたわ」

「そう、なんだ……?」

「今、そこにいないことを不思議に思う?」

「まぁ……その、少し」


 何かあったのだろうか。興味本位はよろしくないが、絢音は自分が離れた場所を勧めてきているわけだから、こちらにも聞く権利くらいはあるだろう。たぶん。


「私が絢音だからよ。下級生は仕方ないとして、同級生も上級生も、それどころか先生がたまで、誰もが私の背景にある『家』のことを意識して謙るかおもねるかなんですもの。端的に言ってつまらなかったの。まあ、言ってしまえば会社に経営者一族が平で入社してくるようなものだから、そういう反応も理解はできるというか、言ってもどうしようもないことではあるのだけれどね。でもまあ正直、窮屈だし退屈だったわ」

「……そっか」


 どんなに恵まれた立場に生まれても、人間である以上ままならないことはあるらしい。結局、悩みなんて人それぞれだ。


「ああ、でも決して変な学校じゃないからそこは安心して。こういう言い方もどうかと思うけど白百合学園はいわゆる『お嬢さま学校』だしね。今言ったのは、あくまでも私にとってはあまり面白味がなかったというだけの話。きっと違うはずだもの」


 ん?


「今度は?」

「ええ、あなたがそこへ転入を希望するなら私もついていくわ」

「えっ!?」

「……そんなに驚かれると心外なのだけど。勧めておいてあとは知らんぷりだなんて、そんな無責任なことできないわよ。第一、知り合いもいないところにいきなり一人きりじゃユウキも心細いでしょう?」

「いや、でも……」


 さすがにそこまでしてもらうのはどうだろう……。


「大丈夫なの? 周りは知らない女の子ばかりよ?」

「うっ……」

「それとも私がついていったら迷惑……?」

「え! いや、そんなことないよ!」


 うん、それだけはない。


「そう、よかった。なら、言い方を変えるわ。私があなたについて行きたいの」

「ふぁっ!?」

「せっかくこうしてお友達になれたのだもの。これからも同じ学舎で過ごしたいと思うのはわがままかしら?」

「友達……」


 ああ、うん。はい友達、友達ね、友達。なんでこの子はこう、いちいち勘違いしそうな言い回しをするのだろう。毎回思うがもう少しこちらの心臓に配慮してほしい。


「だめ?」

「だっ、ぜんぜん、駄目じゃない……です」

「よかった! これでこれからも一緒ね! やったわよ、遥、笙子!」

「え?」

「いや、キョトンとすんなよ。うちらもそこに行くんだよ」

「へ?」

「よろしくお願いしますね」


 なんで?


「ああ、そうだった。ユウキのご両親には既にご了解をいただいているから安心してちょうだい」

「え」

「各種根回しが無駄に終わらなくてよかったわ」

「………………」


 僕、まだ行くとは行ってないんだけど……。


「ちなみにユウキさま、わたくしどももご一緒いたしますので」


 沙織里がニコニコとしながらよくわからないことを口にする。


「はい?」


 わたくし


「志桜里も一緒よ」


 お二人は大卒ですよね?


『………………(にっこり)』


 ──アッハイ。もういいです。


 ユウキは理解を諦めた。

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