第29話 サンデーモーニング(前)

 温めの湯中を揺蕩うようにふわふわと意識が浮上していく。


「………………。ん……むぅ」


 薄目を開けると既に室内は明るんでいて、カーテン越しに射し込む光と体内時計……というか空腹感から察するに、おそらくは七時ぐらいだろうか……と、ユウキはいまだボンヤリとした頭で予想する。


「ふぁ………………ふぅ」


 なんだかいつもよりやたらと気持ちのいい朝だ。目覚めスッキリ、という意味ではなく、このままいくらでも惰眠を貪りたくなる、という意味で。ちょっとおかしな表現かもしれないが、欠伸すらも気持ちいい。


 白百合家の邸宅は隅々まで空調が行き届いているため、現在のような梅雨時であっても不快指数などとはそもそも無縁の空間なのだが、それにしたって今朝のこの心地よさは群を抜いていた。


(あぁ……気持ちいい……)


 本当にいつまでも寝ていたくなる。特に右手を中心に半身を覆うこの適度な圧迫感と包み込まれるような温もりはなんだろう。まるで体半分だけ人肌に温めた「人をダメにするクッション」に埋もれているようだ。


 ──もっとこの感覚を味わいたい。


 ユウキは芽生えた欲求に抗うことなく、その「なにか温いもの」に向かって寝返りを打ち──


「おはよう、ユウキ」


 女神と鉢合わせた。


「!?」


 精緻を極めた芸術品のような目鼻立ち、抜けるような白い肌にはシミはおろか毛穴一つ見当たらない。そうだ、彼女こそまさに天上から舞い降りた女神──。


「どうしたの?」


 女神さまが不思議そうに仰られる。


「え……っと」

「ん?」


 寝起きだからか普段よりも若干雰囲気が幼い。なんだかひどく人間味がある。──というか彼女は元から人間だ。なんだ女神って。


(ああ……)


 そうか、昨夜は一緒に寝たんだった。


「おはよう……絢音さん」

「ん、おはよう、ユウキ」


 まだ顔も洗っていないはずなのに目やに一つ見当たらない。歯磨きだって絶対まだなのに呼気はミントのように爽やかだった(もちろん気のせいだが)。やはり女神か。その神々しさに目眩を覚え、果たして自分のほうは大丈夫だろうかと心配になる。


(……いや、てか──!)


 思わず変な心配をしてしまったが、まずはそんなことを意識してしまうこの体勢、この距離感がおかしい、という事実に思い至り、途端に焦りを覚える。


 現状を客観的かつ端的に言葉にするなら、二人は今ベッドで抱き合っている、ということになる。


(はわわわわわわわわわ!)


 顔が一気に熱を帯びる。女の子と一夜をともにした──言いかたぁ!──というだけでも大事件なのに、その女の子は誰もが憧れる美少女で──


(──って、昨日はお風呂も一緒だったよ!)


 そして互いの裸を余すところなく見せ合ってしまった(ちなみにその相手は絢音だけではない)。というか、ユウキにいたってはもっととんでもない姿──痴態──をさらしている。主にどこかのちょっとおかしいメイドさんのせいで。


(うぅ……僕、ちょっと流されすぎじゃない?)


 自分はこんな人間だっただろうか。


(寝るときだって、なんだかんだ絢音さんと手ぇ繋いじゃったし……)


 初めに繋いできたのは向こうだが、握り返したのはユウキである。あのときはそうするべきだと思ったが、今思い返すと完全に調子に乗っていた。


 精神に男としての感覚を確かに残していながら、肉体が「女の子同士」であることを免罪符に結構な不埒を働いている気がしてならない。


(ごめんなさい……! 昨日は皆のこと、エッチな目で見てました……。僕は女の子の皮を被った、ただのスケベ野郎なんです。女なのに女の子に欲情する変態なんです)


 もうしばらく会っていないが、自分たちの息子が今やこんなことになっていると知ったら両親はどう思うだろうか。情けなくて泣きたくなる。


「どうしたの? なんだか苦しそうよ? 具合でも悪いの?」


 絢音が気遣わしげに顔を寄せてくる。

 そのまま額を合わせられた。


「!?(──って、近ぁあああ! 近いよ絢音さん!?)」

「……ん、熱はないみたいね……ふむ、つまりそういうことね」


 慌てまくるユウキをよそに、彼女は何やら納得顔を浮かべる。


「えと……あの?」


 そろそろ離れてもらえると助かるのですが。


(これ以上は心臓が……ががが)

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