第28話 お泊まり会(9)
相変わらず室内は緊張と静寂──否、あえて言おう、
「そろそろ寝ましょうか」
絢音がそう提案したのは居間に戻ってからおおよそ一時間が経った頃。正面に座っていたユウキが「くぁ」とかわいらしい欠伸を漏らしたのがきっかけだった。明らかに眠たげなユウキは当然として、その姿を見たからか特に誰からも反対意見はなかった。
寝室については歓談の間に神崎姉妹以外の使用人に命じ既に用意を済ませてあった。来客用のツインルームにわざわざもう一台ベッドを運び込ませ、二人につきベッド一台を割り当てる。
こんなこと面倒なことをするのは初めてだが、友人同士、同じベッドで眠るなんて如何にも「お泊まり会」っぽくていいんじゃないかと思った。それについては使用人たちも同意見だったようで、快く引き受けてくれたのは幸いだ(まあ、主の命令を断れるかどうかは別として)。
ちなみに神崎姉妹を果たして友人という枠に含めていいものかは微妙なところだが、既に巻き込んでいるし彼女たちは絢音にとって姉も同然なので最後まで付き合ってもらうことにした。
と、ここまでは滞りなく進んだが、当然ながら問題はあった。
言うまでもなく「誰が誰と同衾するか問題」である。ユウキは一人だけ同衾そのものに困惑していたが他の者は違う。絢音自身を含め誰が誰と寝たいかなど一目瞭然。五人が五人とも獲物を狙う猛禽の眼差しでユウキを見つめ、その合間に互いを牽制しあっていた。
──面白い。
友人同士で仲の良い友人を取り合う、これもある意味絢音にとって憧れていたシチュエーションの一つであった。
ここで家主の強権を振りかざし、強引にベッド割りを決めてしまうことは簡単だったが……友人との付き合いでそんな無粋な真似はしたくなかった。絢音の一番は無論ユウキだが、遥も笙子も今や大事な友人たちであり、神崎姉妹についても絢音は彼女らがユウキに抱いている好意を無下にするつもりはなかった。
絢音自身、どうしてなのか上手く言葉には言い表せないのだが、ユウキを好きになって以降、その気持ちは日々加速するばかりなのに、不思議と彼女を自分一人で独占しようとは思わないのだ。自分がイチャイチャしたいのはもちろんだが、ユウキが他人──今のところ主に沙織里とだが──とイチャイチャしているのを眺めるのも「これはこれで……」と許せてしまう。
まあ、同性はともかくその相手が男性となればきっと──いや、絶対に許せないし、何より独占はしなくともユウキの一番はやはり自分でありたかった。
……その点、現在のところ一歩リードしているのは沙織里だったが、それは絢音自身が命じた仕事もあってのこと。それを理由に今夜ユウキと同衾する権利を与えないというのは少々公平性を欠く。自分たちは友人であり仲間──誰も口にはしないが皆ユウキを中心とした同盟のような関係にある。ならばチャンスは平等であるべきだ。
──ただし、勝つのは私よ。
絢音は歓談中に遊んでいたトランプから六枚のカードを選び皆の前に広げて見せた。ルールは簡単だ。カードの内訳はハートとダイヤとクラブがそれぞれ二枚ずつ。全員でカードを引き、同じマークを引いたもの同士が同衾する。ただ、それだけ。
絢音がシャッフルしたカードをテーブルに並べ、一人ずつ好きなカードを引いていく。その順番は事前にじゃんけんによって決められ「遥→沙織里→ユウキ→笙子→絢音」となっていた。
『………………』
一瞬の沈黙。
「いくわよ」
絢音の掛け声でそれぞれが手にしたカードを一斉に披露する。
『!!』
勝負?の結果──、神崎姉妹が仲良くクラブを引き、遥と笙子がダイヤのペア。残るハートを引き、見事ユウキとの同衾を勝ち取ったのは絢音だった──。
あれからもう優に一時間以上が経っている。ちなみに絢音が先ほど「手を握ろうかな」なんて思い立ってからも、体感では既に十分以上が経つ。
(一体なにをやっているのよ……私は)
とは思うものの、シーツの間を静かに滑らせ、ユウキのほうへと伸ばしかけた手が一定の距離から先へは頑として進まない。手汗が酷いことになっている。もはや誤魔化しようがない。緊張しているのだ。
今までだって物理的な接触は何度もあった。この度にユウキは照れながらも受け入れてくれたではないか。なのに……。
(どうにもダメね……)
絢音は今日まで自分がこんなにも臆病だとは思わなかった。
伸ばした手が──、
ユウキの手に触れた指先が──、
拒絶されたらどうしよう──。
そんな風に考えてしまうと、絢音はもうまんじりともできなかった。
しかし一方では冷静な自分がそれを否定する。
大丈夫──、
ユウキはそんな人ではない──、
自分の魅力を信じなさい──。
絢音は自身の女性的魅力を否定しない。特別ひけらかすつもりはないが、客観的に見て「白百合絢音」は魅力的な少女だ。そして絢音にとっては幸運なことにユウキの性的指向は今も男性のそれである。自分の容姿はユウキに対して武器にはなってもマイナスにはならないはず。
(………………くっ)
しかし、動けない。
(この嫌な静けさが悪いのよ……!)
特殊な訓練など積まなくとも、案外、人は他者の気配に敏感なものである。ましてやそれが暗闇と静寂の
それによれば──
(まだ全員起きてるわね)
ユウキは単に緊張して眠れないのだと思うが(その緊張の原因の大半を今、自分という存在が占めているのかと思うと……どこがとは言わないが濡れてしまいそうになる)、他の四人は違うだろう。
明らかに──、絶対にこちらの様子を窺っている。
(出歯亀はやめなさい、と言いたいところだけれど……)
今の状況で声を上げるわけにもいかない。それに──
(もし、逆の立場だったら、と思うと……ちょっとね)
同情というか、自分が同じことをしなかった、などとは口が裂けても言えない。
(まったく、仕方ないわね……)
そう思って軽く鼻から息をつくと、ふ、と肩の力が抜けたような気がした。
「………………」
手汗をシーツでそっと拭い、再びユウキに向かって手を伸ばす──。今度はもう、途中で止まることはなかった。
「……っ」
指先がユウキの手に触れた瞬間、彼女が小さく身動ぎした。
──しかし、それだけだ。
(……よかった。嫌がられてない)
逸る気持ちを抑え、恐る恐る、まるで尺取り虫のように指を動かしユウキの手を探る。開いたまま手のひらを下に投げ出されたその右手に、絢音は自らの左手を重ね……ゆっくりと慎重に指を絡めた。
『っ……』
ユウキが息を飲んだのがわかった。それは絢音も同じで──ついでに周りの四人もだ。
(……いや、どうしてわかるのよ……)
絢音は若干呆れたが、それはある意味お互い様なのでまあ仕方ない。
(ふふっ、ユウキの手……小さくてあたたかい)
絢音自身、華奢な手をしているが、ユウキの手はそれ以上だ。かわいらしくてつい、にぎにぎしてしまう。その度にユウキがぴくぴくと反応を返してくれるのも嬉しくて堪らない。
しかし、一つだけ問題が──
(うぅ……て、手汗が……)
そう、緊張はだいぶ緩和されたのだが、今度は興奮して体温が上がってしまったのか再び手汗が滲んできたのだ。
(ど……どうしよう)
一度離してまたシーツで汗を拭ってからもう一度繋げばいい。それが一番だ、というか普通に考えてそれしかない。
けれど──
(離したくない)
いや、実質的に離せない。これでユウキが眠っているならともかく、彼女はまだ起きている。せっかく受け入れてもらったのに、こちらから急に離したら変に思われないだろうか。そう思うと離せない。離す前に一言、断りを入れられればいいのだが……
(そんなの恥ずかしい……っ、無理よ)
自分たち以外の全員が聞き耳を立てているなか「手汗が……」とは乙女的に言い出しにくい。絢音が手汗をかいてしまう気持ちだって、たぶん皆わかってくれるだろうが……やっぱり、それはなしだ。なんか負けた気分になる。
(はぁ……仕方ないか)
結局、絢音は黙ったまま一旦、手繋ぎをほどくことにした。手汗については当然ユウキにもバレているだろうし、だったら今から一度手を離しても彼女は察してくれるだろう、とそう判断した。
──が、
(えっ?)
諦めていざ離そうと、ユウキの指の股に差し込んだ自分の指を抜こうと手を動かした瞬間、
(ユウキ──?)
開かれていたユウキの手がきゅっと握られ、絢音の指が抜け出すのを阻害してきたのだ。
(……どうして……?)
と思うが、
「~~~~~~っ」
それを遥かに上回る歓喜が全身を駆け抜けた。
(私──、ユウキに求められてる──!)
──ああ、今すぐ抱きしめたい!
──抱きしめてキスをしてめちゃくちゃにしたい。
が、さすがにそれは自重する。如何せん、今は皆の耳目がこちらを窺っている。やっぱり初めては二人きりがいいしシチュエーションだって大切にしたい。
というか、よくよく考えればまだ自分の気持ちを伝えたわけではないし、そもそもユウキの気持ちだってわからない。
ここで強引に迫ったりしたら、それはもうただの痴女だ。変態だ。
(……あ、でも沙織里は……いや、うん。あれはこの際埒外ということにしましょうか、うん)
と、そうこうするうちにだんだんと落ち着いてきた。
(ま、仕方ないわね)
ユウキが
──そう、ユウキにはまだ伝えていないが、本当に今後「機会はいくらでもある」のだ。
(ふふふ……楽しみね)
ユウキを中心とした「これからの生活」に想いを馳せ、絢音はゆっくりと目を閉じた。
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