第27話 お泊まり会(8)

 白百合家のとある客間はかつてない静寂と緊張に包まれていた。入浴とその後の各種ケアを終え、居間に戻ったのが二十三時過ぎのこと。


 沙織里がお茶を用意し、ここへきてずっとテンションの高い笙子を中心に三度みたび歓談は催され、絢音もまたそれを楽しんだ。


 薄闇の中、白い天井を見つめながら思う──


(こんなふうに私が家に友人を招く日がくるなんて思わなかったわ)


 それは絢音の率直な想いだった。

 

 幼少期──いや、生まれた時から絢音は「特別」だった。年の離れた兄がいるため、幸か不幸か「跡取り」として見られることはなかったが、ならそれで絢音の価値が低く見積もられるかと言えば、まさかそんなことはあるわけもなく──。


 絢音は祖父や両親そして兄からも蝶よ花よと愛でられて育ち、小学校に上がる頃──徐々に社交の場にも顔を出すようになると、途端に婚約の申し込みが殺到するようになった。


 いわゆる政略結婚。世界に名だたる白百合グループと是が非でも姻戚関係を結びたいと願う者は世の中に掃いて捨てるほど存在する。


 幸い、白百合家嫡流は祖父母の代から二代続けて恋愛結婚をしており、また跡取りである兄が「絢音は家に縛られず自由に生きて欲しい」と言って強力に守ってくれたため、それらの話は全て申し込みの時点で不成立となったが。


 それでもやはり絢音自身が学校に通うようになれば他者との関わりは避けられないし、ある程度は家の力で制御するにしても子供同士のことでもあるし完璧にというのは難しい。野心ある大人たちはそこに勝機を見出だした。


 ──政略結婚が無理なら絢音を直接落とせばいい。


 いつしか小学生の絢音の周りには、自家の躍進を懸け絢音と近しい間柄になろうとする者と、関わり合いを避け距離を置く者とに二分されるようになる。


 それを嫌い、中学は自家のグループ企業の運営する女子校に進学したが、そこで待ち受けていたのもやはり上流階級の子女による忖度とおもねり、そして疎外感である。


 結局、何もかも自由なはずの絢音が手にしたのは、家族以外に特別な存在などいない、作れない、そんな無味乾燥な日々で、それは中学を卒業するまで続いた。本当につまらなかった。


 しかし絢音は柔ではない。もう一度立ち上がり、高校では進学先を白百合家とは運営上一切関わりのない私立翔山高校に決める。今度は共学の進学校だ。何かが変わればいい、とそんな風に思った。


(……まあ、結局、なんとかの浅知恵だったわね……)


 正直、白百合家のネームバリューと、いまどきの高校生──絢音もそのいまどきの高校生なのだが──のネットリテラシーを甘く見ていた。


 入学式早々、まず容姿で注目を集めてしまい、続いて「白百合」という名字で一部の者に勘づかれ、そうなれば翌日にはもうすっかり調べられており、「今年の新入生には白百合家の令嬢がいる」と学校中にバレていた。


 絢音にとっていきなり躓いた形だったが、そこで少し予想外だったのは、絢音の出自を知っても露骨に謙る者やおもねる者が少なかったことだ。


 一番多かったのは距離を置く者だったが、それも「関わり合いになりたくない」というよりは、「畏れ多くて近づけない」といった感じで、どことなくアイドルのような扱いだった。


 あくまでも普通を求める絢音としてはそんな扱いまた辟易としたが、少なくとも「白百合家の娘」としてではなく、絢音個人として見られているという点に関してはまあまあ及第点と言えたかもしれない。

 しかし、


(あそこで中途半端に満足……納得? していなければまた違う未来もあったのかもしれないわね)


 そう、結局はこれまで自分に友達と呼べる人間がいなかったのは自分のせいだったのだ。歩み寄りが足りなかった、というとなんとなく上から目線だが、事実、絢音に足りなかったのはそれである。誰かが来てくれるのを待つのではなく、自分からも誰かとの距離を詰めてみるべきだったのかもしれない。否、きっとそうすべきだったのだろう。そんな簡単なことに今更ながら思い至った。

 ただ、


(………………まあ、それも結果オーライというか……)


 そっと視線を動かし、同じベッドで枕を並べている少女に意識を向ける。


(ユウキ……)


 薄闇にぼんやりと浮かぶ白い肌。その瞳は閉じられており、規則正しい呼吸は一見すると眠っているように見える。


 ──が、間違いなく狸寝入りだ。


 背中に当たるマットレスから微かに……しかし絢音にとってはしっかりと……彼女の鼓動が伝わってくる。


(ふふっ……ユウキったらすごくドキドキしてる)


 かわいい。愛おしくてたまらない。二週間と少し前まで単に気弱で凡庸なクラスメイトの一人に過ぎなかったはずの「少年」が、今では絢音にとって世界で一番愛おしい「少女」になった。


 おかしなもので、絢音はこれまで別段同性愛者でもなんでもなかったのに、少女になったユウキを見た瞬間からすっかり彼女の虜となった。少年の頃は「よく見れば整ってはいるが極めて普通」だったその容姿が、少女になって完全に花開いた。


 絢音は自身を客観的に美人であると自覚しているが、愛らしさという点ではユウキの圧勝だろうと思う。もはや性別なんて関係ない、絢音はただが欲しい。


(私は今、素晴らしい初恋をしているわ)


 ユウキやそのご両親には悪いが、絢音のこれまでの無味乾燥な人生も、ユウキの身に降りかかった苦難すらも、全ては今この時のために用意された天の采配だったのではないかと思えてしまう。


 ──こんなの狂ってる。


 と、冷静な自分が囁く。しかし、きっともう引き返せない。少なくともこの先、ユウキなしの人生なんて絢音には考えられない。


(……て、手ぐらい握ってもいいわよね)

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