第21話 お泊まり会(5)

(……どうしてこんなことに……)


 白百合家のだだっ広い浴場──普段は住み込みで働く使用人たちに開放されているらしい──の片隅で、ユウキは湯船に身を浸し膝を抱えて縮こまっていた。


 ──落ち着かない。


 手持ち無沙汰に鼻の下までお湯に浸け、意味もなくぶくぶくとやってみたりするものの、やはり……


(……もうね、口から心臓が飛び出そうなんですけど)


 落ち着けるはずがなかった。

 もうあと数分──いや、数十秒もすれば全裸になった同級生たち──それぞれタイプは違うものの、もれなく美少女である──がこの場に現れるのだ。


 今となってはユウキ自身、がわだけであれば我が身が少女となってしまったことをさほどの違和感もなく受け入れることができているが、翻って中身のほうはというと……実のところまだ「思春期の少年的」な感覚がほとんど抜けきらずにいて、正直けっこう悩んでいる。


 客観的見地に立てば、同性同士で──常識的な範疇において──肌を見せ合うことに必要以上に躊躇いや羞恥を覚える必要などないのだ。堂々としていればいい。


 無論、そういったことに対する考え方や感じ方は千差万別であり、たとえ同性同士であっても他人に身体を見られたくない、見たくもない、そういった意見はあるだろう(例を挙げるなら男性であれば主に下半身の一部に、女性であれば上半身の一部に強いコンプレックスを抱いている者は一定数いる)。


 だがそういう問題ではないのだ。ユウキ自身、今の身体に関して特にコンプレックスに思うことはない。背は低いがそれは元からだったし、パッと見スタイルだって悪くない。顔も以前から女顔でむしろそれがコンプレックスだったため、いっそ今のほうが違和感がないくらいだ(ちなみにかわいいかどうかはわからないし置いておく)。


 ──だから自分が見られる分にはいい。


 同性でも、さすがに股を開いて見せろと言われたら全力で断るが、胸くらいであれば別にいくら見られても構わない(もちろん、どうしたって気恥ずかしさはあるが)。

 というか今日の昼間までの時点で、日々お世話になっているメイドの沙織里をはじめ、絢音たち同級生の友人三名、それにランジェリーショップの店員さんたちなど既にそれなりの人数に生乳を見られているし、なんなら触られてすらいる。


 ──だから問題はそこではない。


 そう、そこではないのだ。ユウキが思うに問題は、自分が同性である女の子たちのあられもない姿に対し明らかに性的な興奮を覚えてしまうことにある。

 沙織里を絢音を遥を笙子を──その身体を──ふとした瞬間に「男の子目線」で見てしまう自分がいること、それこそが最大の問題なのである。

 恩人や友人である彼女たち同性を「そんな目」で見てしまう自分にユウキは強い忌避感を覚える。


(僕はやっぱり男なのかな? でも……)


 目下悩みの種である性的指向は別にして、既に女性として過ごすことに自体には違和感はない。


「~~~~~~、はぁ……」


 思い切り伸びをして、それから力を抜き、浴槽の底にズルズルと臀部を滑らせ全身を湯船に沈めていく。

 すると脱力しきった身体は途中でぷかりと湯船に浮かび上がった。それなりに主張する小山が二つ、ふるふると湯面に揺蕩っている。


(なんか……、スライムみたい)


 ──自分のなんか見てもそのくらいしか思わないのに。


「う゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~」


 意図して変な声を出す。意図した割に意味なんてものはない。


(ほんと、どうすりゃいいのさ……)


 だんだんとドツボに嵌まっていく思考。

 しかしそれは──


「うおおお~~~っ、スッゴー! なんこれ、マジ大浴場じゃん! ──って、んなあ!? ど──、ドザエモン!?」


 唐突に。

 頭上から降ってきた遥の大声によって、強制的に打ち切られたのであった。



  ※



 先に行った遥が、土左衛門などど穏やかではない単語を叫ぶものだから、我が家にそんなものあるはずがないだろうと思いつつも、絢音は気持ち急いで現場へとたどり着いた。

 するとそこにあったのは──


「待って、待って。遥さん、僕は死んでないよ」


 そんなことを言って、仰向けで湯船に浮かぶユウキの姿であった。


「……いや、わかってるけどさ……ノリだよ、ノリ。わかんだろ。つか、あんたそれなにしてるわけ……?」


 遥が呆れたように言う。絢音も若干呆れた。やっていることはまるで子供のそれだ。後から来た笙子も同じ光景を見て明らかに困惑の表情を浮かべている。それはそうだ。誰だって反応に困る。


「気にしないで」

「いや、無理言うなし! めっちゃ気になるっつーの!」

「……そこは、ほら。土左衛門とでも思って」

「思えるか! 仮に思えても水死体を気にしねー人間がいるかよ!」


 それはそう、遥が正しい。絢音もそう思う。

 それにしても……


「ユウキ、あなたどうして目を瞑っているの?」

「………………。諸事情により適切な行動を」


 ──ああ、うん。


(なんだ)


 そういうことね。

 絢音はおおよその事情を察した。目を瞑っていることに関しては、だが。

 ユウキがなぜああして湯船にぷかぷかと浮いているのかについてはさっぱりわからない。まあたぶん、それこそ何か「諸事情」とやらがあるのだろう。


(別に堂々と見ればいいのに)


 本人がはっきりとそう口にしたわけではないが、どうもユウキの精神は未だ男女の狭間で揺れ動いているようなのだ。だから絢音たちに対してまだどこか壁がある。


 ──いや、壁は言い過ぎか。


 若干の自惚れがあることは否定しないが、ユウキは自分たちに対し既に十分に心を開いてくれている。少なくとも絢音はそう信じているし、実感もある。

 だから自分たちとユウキの間に横たわっているもの。それは決して壁というほど大袈裟なものではなく、あえていうなら「遠慮」と呼ぶべきものだろう。


 ユウキが彼から彼女になり、そしてお互いを友人と呼べるようになった今も、彼女は自分が私たちに対し完全な同性として振る舞うことに内心抵抗を感じているに違いない──と、絢音は予想する。そして、その理由にも心当たりがある。


(気にしすぎなのよ)


 彼女──いや、ここは男性だった頃も含めてあえて「さなだゆうき」と呼ぼう──は優しい。言葉を選ばず言えば気弱だ。だから自分がまだ絢音たちを、肉体的には同性を「オンナ」、つまり異性として見てしまっていることに気を病んでいるのだ。


 オンナはオトコの視線に敏感である。


 だから絢音はユウキが時々「そういう目」で自分を見ていることには気づいている(視線に肉体の性別は関係ない。要はそこに込められた感情の問題だ)。それは沙織里や遥、笙子にしたって同じだろう(笙子はわけても敏感だろうと思われる)。


 これは完全に想像でしかないが、もしかしたらユウキもまた自身が女性になったことで初めてその手の視線の感触を実感として理解するようになったのかもしれない。


 だからこそ自分が「そういう目」を絢音たちに向ければそれは当然のように気づかれるし不快に思われるだろう、とそんな風に考えているのかもしれない。

 けれど──、


(それがどうしたっていうのよ)


 今のユウキは誰が見たってかわいい。とてもかわいらしい女の子だ。そんな子が、舐め回すように見てくるならともかく(仮にそうだとしても絢音は平気だが)、恥じらいつつ遠慮がちにチラチラと視線を送ってくるくらいで誰が不愉快になど思うものか。むしろいじましくて抱きしめたくなる。なんなら意地悪してわざと見せつけてやってもいい。


(ふふふ……)


 慌てるユウキを想像すると胸と下腹部がキュンとしてしまう。


(いけない、いけない)


 けど、こんな風に思ってしまうのはきっと自分だけではないはずだ。沙織里は当確として、遥も笙子も……それにたぶん志桜里だって。みんなユウキの魅力にヤラレている。


(ううん。もっとだわ……そう──、私たちはユウキにイカレてる)


 彼が彼女に性転換を果たして以降、彼女は目には見えず言葉にも表しようのない不思議な魅力を纏うようになった。


(以前からとてもかわいらしくはあったのだけど)


 しかし今はそれだけでは説明できない「ナニカ」がある。

 いわゆるフェロモンの一種だろうか。……わからない。が、別に構わない。

 大事なのは……


(絶対にこの子を逃がさないこと──)


 湯船に揺蕩うビスクドールのような少女を見つめ、そっと目を細めると、絢音は小さく舌舐めずりをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る