第14話 レ トロワ ゼトワル
明けて翌土曜日。
朝食を終え、暫しゆっくりとした時間──もちろんメイドの
本日、その白百合はユウキが初めて見る余所行きの私服を纏っており、その姿たるやそんじょそこらのアイドル裸足──どころかもはや天上の女神も斯くやといった趣で、ユウキも照れ臭いのを我慢しつつ慣れないなりに精一杯誉めたたえてみたのだが、残念ながら経験の乏しさからくる語彙不足は否めず、自分が覚えた感動を上手く彼女に伝えられたかどうかはわからない。
──一応「ありがとう」って笑ってくれたんだし……まあ、よしとしよう。
さて、時刻は既に午後の一時を回り、そろそろ遅めの昼食にしましょうかという話題が出たところで、ユウキは自分の中のある変化に気がついた。
(なんか、あっという間だったような)
女性の買い物は長い。
これはもはやこの世の真理の一つであり、ユウキ自身それを経験則として知っていた。無論、過去に彼女や女友達が居たなどという浮いた話ではなく、親子でアウトレットモールなどに出掛けた際に母親が見せる異様なまでのバイタリティから得た教訓だが(それに付き合わされたユウキと父親は持久走並みの疲れを覚えた)。
だが、今はどうだろう。
疲れ自体はある。しかしそれはどちらかといえば心地好い疲れであり、充足感や満足感といった言葉に置き換えられる類いのものだ。もっと言うなら趣味や遊びに没頭した後に感じるそれに似ている。
つまり、
(楽しかったってことだよね)
そうなのだ。さっきまで、ユウキは明らかに買い物を楽しめていた。以前は買いもしない物を「ああでもない」「こうでもない」とやっている母親のことなどまったく理解できなかったのに、今日の自分は無意識のうちに買い物自体に──突き詰めれば店に並んだ商品を眺めるというただそれだけの行為に──歓びを見いだしていた。
(やっぱり変わってる。というか、こうしてる間も現在進行形で変わってきてる?)
実は今日、ユウキは白百合の私服を借りて着ている。
白百合家で過ごしている間は、ユウキの母親が用意し白百合が届けてくれた「勇気」の頃に着ていた私服を着用していたのだが、今朝、迎えに来た白百合はなぜか山のように自身の私服を抱えており──あとはまあ、そういことである。白百合や沙織里がやたらとガーリーなワンピースやらスカート類を勧められるなか、ユニセックスなシャツとデニムを選んだのは羞恥心からくるせめてもの抵抗だった(こう言うと変態みたいだが、着た瞬間は白百合のいい匂いで全身が包まれたようで心臓が高鳴りっぱなしだった)。
それがどうだ。今やそれをほとんど意識せずに過ごしている。なんなら、午前中に買ったものの中にはスカートタイプの服もそれなりにあって、試着するのが多少恥ずかしかったものの、白百合に褒められれば悪い気はせず、勧められるまま購入してしまった次第である。呆れるほどの手のひら返し、朝令暮改も真っ青だ。
これはやはり体だけでなく、中身のほうもだんだんと女性的になってきているのか。いや──
(根本的な部分では割と最初からかも)
今の体になってからすぐ、鏡の前でこっそり裸になってみた際にも、見慣れぬはずの女体であるにも拘わらず、性的な興味や興奮は一切覚えず、それに多少の違和感はあっても忌避感までは生じなかった。鏡に映っていたのはあくまでも自身の体と認識・納得できており、要はまったく嫌とは感じなかったのだ。
それの意味するところはつまり、
(僕はあの日目覚めた瞬間からもう女の子だったんだろうな)
外見がこれだけ変わっているのだから当然、中身──特に脳の作り──も変わってしまったのだろう。嘘か真か精神は肉体に引っ張られるという話もある。専門的なことはわからないが、ホルモンのバランスとかそういうのも影響しているのかもしれない。
(……けど、さすがにトイレ事情の違いには戸惑ったよなあ)
初めてでもどうすればいいのか全くわからない、なんてことはさすがになかったのだが……結局、恥を忍んで女性看護師さんのお世話になってしまった(彼女が懇切丁寧してくれた一連の「W.C.レクチャー」は思い出すといまだに顔から火が出そうになる)。
(………………まあ、
──果たしてそのとき、自分は大丈夫だろうか?
(さすがに不安しかない……)
「──キ、──ユウキ!」
「! えっ、あ……な、なに?」
気づくと、隣に座る白百合に肩を揺すられていた。
「……どうしたの? 急にぼうっとして。もうすぐ着くわよ」
「──そ、そっか、ごめん。少し疲れたのかも。なんかちょっと、ぼんやりしちゃった」
「大丈夫? このまま帰りましょうか?」
「えっ、いや、大丈夫! ぜんぜん平気だよ」
「そう? つらかったら無理しないでちゃんと言うのよ」
「うん、そのときはそうさせてもらうから。……ありがとう」
「うーん」
じぃ……と、しばし白百合は気遣わしげにこちらを見つめていたが、
「……まっ、どうやら大丈夫そうね。でも、無理ならすぐに言うこと。しつこいようだけど約束よ?」
最終的にユウキの言葉は強がりではないようだ、と判断したらしい。「約束する」と頷きを返せば、「よし」と満足そうな微笑みが返ってきた。
──と、そうこうしているうちに二人を乗せた車はとある高級ホテルのロータリーへと滑り込み、ポーチ前で静かに停車した。今日の昼食はここの最上階に入っている三つ星レストランで取ることになっている。
(うわ、すごい)
あらかじめどこに行くかは聞いてはいたものの、ユウキ──というか真田家──の普段の生活レベルを鑑みるなら下手をすれば一生訪れないような場所だ。正直、腰が引けるし気も引ける。
(場違い感!)
に戦くが、しかしびびりまくっているユウキの内心など知るわけもなく、待ち構えていたドアマンがこなれた所作で優雅に後部座席のドアを開いてしまう。この場合、ドアとはつまり左側のドアで、左側の座席に座っているのは白百合ではなくユウキである。
──どうすりゃいいの!?
(お手本……お手本が欲しかったです……)
ドアを押さえてくれている渋い壮年のドアマンをチラ見し、開口部から流れ込んでくる初夏の空気を肌で感じながらそう切に思うも、全ては今更である。こうなった以上、とにかく降りるしかない。
──と、そのとき。
「ふふっ、大丈夫。普通に降りればいいのよ」
背後から可笑しそうな声がした。
「フツウ……」
──普通ってなんだっけ。
一瞬そう思ったが、白百合の声に励まされ、ギクシャクとロボットのような動きながらユウキはどうにか車から外へと出た──ところで、
「あ」
そういえば──。ふと思い立って、車内のほうへと振り返り、自身に続き車から降りようとしていた白百合へ、右の手を差し出した。
「え」
しかし白百合は、彼女にしては珍しいきょとんとした表情を浮かべる。
「あ」
それを見て、
(や──、やっちまったああああああ!?)
ユウキは急に我に返った。
ああ──! 僕ってば何を考えているんだろう……!
いや、我ながらきっと何も考えてなかった。あえて言うならシチュエーションに流された。映画に出てくるような場所、映画に出てくるようなドアマン、映画に出てくるような
(き、消えてしまいたい……)
かくして極限まで高まったユウキの混乱と緊張そして後悔、さらには間抜けにも伸ばされたままの右手であったが──
「ありがとう」
ユウキにとって、救いの女神となってくれたのはまたしても白百合
彼女はくすりと微笑むと、差し出された手を取り、そのままユウキのほうへと体重を預けるようにして優雅に降車する。
「白百合さま、本日はようこそ当ホテルへ」
車外へと降り立った白百合に、ドアマンが恭しく頭を下げた。
「こんにちは、室井さん」
当たり前のように挨拶を交わす二人は既知の間柄であるらしい。
(す、住む世界が違いすぎる)
「どうぞ」
ドアマンの室井氏が開けてくれた重厚なガラス扉を、白百合と二人肩を並べつつ潜る。広々としたロビーには暖色のシャンデリアが輝き、昼間だというのにまるで夜のような趣があった。
(セレブが夜会とかしてそう)
実際、そういう用途でも使われるに違いない。
夜会といえば……、
「ね……ねえ、白百合さん? 僕、このまま入ってきちゃったけどいいのかな? こういう所って、たしかドレスコードとかあるんじゃなかったっけ?」
気になったことを小声で尋ねる。
別に今日はパーティーのために訪れたわけではないが、高級なホテルやレストランにはそもそもドレスコードが設定されている場合があることをユウキも知識としては知っていた。
白百合の服装はスマートカジュアル~インフォーマルといった雰囲気があるが、ユウキのほうはといえば白百合の私服を借りているだけあって安っぽさなど微塵も感じられないものの(むしろたぶん高級ブランド品だろう)、シンプルなシャツにデニムのパンツという組み合わせはどう見てもカジュアル色全開であり、自分たちの年齢もあってこの場では完璧に浮いている。
「──まあ、ここも一応はあるわね。でも平気よ? あらかじめ断りを入れてあるから」
「そ、そうなんだ」
断れば許されるんだ……。って、そういう問題? わからないけどさすがはスーパーセレブ。ユウキの庶民的思考からは及びもつかないことをいとも簡単にやってのける。
(もう気にするだけ無駄な気がしてきた……)
ユウキは半ば諦め思考を放棄した。おとなしく白百合の後についてロビーを横切り、エレベーターホールへ。二基ある大型エレベーターのうち片方が運良く待機していた。
タイミング的なものなのか今は他に利用者の姿はなく、白百合の操作で二人を乗せたエレベーターは最上階を目指し動き出した。
(エレベーターはセルフなんだな)
エレベーターガールは居ないのだろうか。
いや、あれはデパートに居るんだっけ?
そういえばベルボーイは?
(うーん。わからないことだらけだ……)
「落ち着かない?」
「うん、まあ……こんなすごいところ、生まれて初めて来るからね」
たぶん、よほどキョロキョロしていたのだろう。少々恥ずかしくなって頬をかく。
「ふふっ、これからはこういう機会も増えるでしょうし、そのうちユウキも慣れるわよ」
「あ、あはは……。慣れる、かなぁ……(ていうか、こういう機会が増えるってどういう意味!?)」
自分と白百合は一体今どういう関係なんだろう。昨日までは「クラスメイト以上──友人未満」ぐらいだろうと思っていたのだが、こうして休日を一緒に過ごしているからにはもう友人といって差し支えないのではないだろうか。
──向こうはどう思っているのだろう。
勘違いでなければあの日からこっち、白百合の言動にはユウキに対する親愛があふれている。まあ、それでもやはり「どうしてそこまで」という疑問は拭えないのだが……。
けど──
(僕と白百合さんが友達か……)
もしそうなら率直に言って嬉しい。
きっと
自身を見舞ったTS現象についてはいろいろと思うところもあるが、結局は死なずに済んだわけだしこうして白百合と親しくなれただけでも役得と言っていいのかもしれない。
「ふふ」
「なあに?」
「え?」
「今、笑ってたでしょ?」
「えっ、僕、笑ってた?」
「ええ、楽しそうに『ふふ』って」
「………………(わあああああ! なにそれ恥ずかしいんだけど!)」
「ふふっ、照れることないじゃない。私も今、すっごく楽しいもの」
「そう……なの?」
「ええ、そうよ。午前中だけでもいろいろなユウキが見られたし」
「そ、そう」
自分なんかといて白百合が楽しいのならユウキとしても嬉しいが、その「いろいろ」に先程のエスコートモドキ(マジでなにやってんだよ僕……)が含まれているのなら──死ぬほど恥ずかしい。
(どうか忘れてください……!)
ユウキは耳が熱くなった。
「それにね? 私
「! それって……」
つまり──
「あ、今更だけど……その、私とユウキはもうお友達、ってことでいいわよね……?」
「もっ、もちろん!」
そんなの大歓迎に決まってる。ユウキは激しく頷いた。
「ふふふ、よかった」
「~~~っ」
期せずして、聞きたかった言葉が聞けてしまった。
(──今日という日は僕にとって人生最良の日かもしれない──)
じぃーん。
割と大真面目に、ユウキはそんなことを思った。
※
エレベーターを降り、いよいよレストランの前までやって来ると、再びユウキの緊張はピークに達した。
(ひえええ……)
さすが三つ星……わかっちゃいたが格調が高すぎる。
というか……、
「いらっしゃいませ、白百合さま。本日はようこそ当レストランへ。スタッフ一同、心よりお待ちしておりました」
(なんか、どう見ても偉そうな人がお出迎えなんですけど!)
やたらと姿勢が良く、高級そうなスーツをびしりと着こなし、日本人離れした顔にロマンスグレーの髪と口髭を生やしたイケおじが、店の前で二人──というか白百合をだろう──を待ちかまえていた。
「んもう……。支配人? わざわざ出迎えなんてしなくてよかったのに……。今日はお友達とランチをしに来ただけよ」
「これはすみません。久方ぶりにお嬢さまがお出でと聞いて少々張り切りすぎました。はっはっは」
「はぁ……。まったく」
二人の気安げなやりとりに、ユウキが目をぱちくりさせていると、「支配人は私のおじいさまのお友達なの」と、白百合がそっと教えてくれた。
「じゃあ、せっかくだから案内をお願いしようかしら」
「もちろんです。っと、その前に初めてのお客さまに自己紹介をば──」
イケおじがユウキを見て柔らかく微笑む。
「マドモアゼル。ご挨拶が遅れました。当レストランの支配人を務めます唐沢と申します。以後、お見知り置きを」
支配人の唐沢氏は口上を述べると軽く頭を下げた。
「あ、その……真田といいます。よろしくお願いします」
客観的にはともかく、主観としてはまだ自分を半分以上男だと思っているユウキとしては、決して唐沢氏にときめいたりしたわけではない──。そんなことはないのだが……、
(なんか俳優さんみたい)
なんとなく赤面してしまい、しどろもどろに。
イケおじはそこに居るだけでイケてるオーラが凄かった。自分の父や祖父とは全然違う生き物だ。たとえばもし、ユウキが男性のまま年を取ったとしてもこうはなれなかっただろう。……そもそも母親似で女顔だったし。
──と、
「……む。ちょっと支配人?
「!」
──うちの!?
途端にもじもじしだしたユウキを背に庇うように、白百合が割って入った。
「相変わらずお盛んなようで。けれど、少しはご自分の年齢も省みられてはどうです? 奥さまに言いつけますよ」
「えっ……、いや、あの、お嬢さま? 私は別にそんなつもりでは──」
「大体、いまどき『マドモアゼル』なんてフランスではとっくに禁止用語でしょうに。三つ星を冠するフランス料理店の支配人がそんなことでは、内外に示しがつきませんよ」
「──っと、はは……これは手厳しい。つい昔の癖で。以後、気をつけますのでご容赦を」
「……まったく、調子がいいんだから。いーい? ユウキ。あなたはかわいいんだから、こういう不良爺みたいな輩には気をつけなきゃダメよ」
「う、うん。わかった」
ユウキは熱を帯びた顔で俯くように頷いた。すでに赤面の理由はすっかり差し替えられてしまったのだが、白百合がそれに気づくことはなく、彼女はやれやれと肩をすくめた。
(天然! 白百合さん、天然……!)
……まったく、この美少女はひとの気も知らないで。
白百合の──おそらくは無意識のうちに出た──身内認定が嬉しいやら恥ずかしいやら。
この子が男に生まれていたのなら、きっととんでもない「たらし」になっていたのではないだろうか──などと、若干、失礼なことを考えていると、
「(パチッ)」
「!」
唐沢氏と目が合い、ウインクをされた。
それ自体は非常に似合っているのだが、なかなかに懲りないおっさんだな、と思っていると。
「……(フッ)」
と、彼は口元を僅かに緩めてみせた。さらにその鳶色の瞳は白百合のほうを優しく見つめており……、
(──ああ、なるほど)
ユウキはなんとなくその意味を悟った。
先程、エレベーターの中で本人が語っていたように、これまで白百合には同世代の友人らしい友人がいなかったのだ。彼女の祖父と友人だというこの唐沢氏も、もしかするとそのことを知っていたのかもしれない。
(孫……みたいな感覚なのかもな)
昔から知っている孫みたいな女の子が、おそらくは初めて友人を連れてきて、さらに少しからかってみれば彼女がやきもちのような態度まで見せたことが嬉しかったのだろう。あくまでも想像だが。やっぱりただのスケベ爺かもしれないが。
(でも……)
たぶん、そう大きくは間違っていないだろう。
そう思って白百合にはわからないよう唐沢氏に小さく頷いて見せれば、
「……(ニッ)」
欧米人のような深い縦皺の笑みが返ってきた。
本当に往年の映画俳優のような御仁である。
「ちょっと、本当に奥さまに言いつけるわよ」
しかしながら残念?なことにそのダンディな微笑みも、白百合とっては再び嫉妬心を掻き立てられる要因にしかならなかったようだが。
ユウキはこっそりと苦笑いを浮かべた。
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