第12話 パワープレイ(2)
「………………ん」
いつの間に寝てしまったのだろう。
「──ぐッ!? つぅ……っ」
後頭部にズキリと痛みが走り、
「くそっ、あんだよ……?」
寝ている間にぶつけたのだろうか──?
どんな具合だと患部に手をやろうとして──
「あ?」
それができないことに気がついた。
「──はあ!? っだよ……ッ、これ!?」
佐伯の体は金属でできたごつい椅子に拘束具で固定されていた。
冷たく、無機質で、わざとらしいほど角張った、いまどきユニバーサルデザインやバリアフリーに真っ向から喧嘩を売るような無骨な椅子だ。四本の脚はご丁寧にもコンクリートの床に埋め込まれている。
──拷問器具。
そんな言葉が脳裏を過る。
慌てて周囲を見渡せば、この空間には窓が一つもない。
唯一、以前映画で見た監獄で使われていたような、ところどころ塗装の剥げた厳めしい金属扉が、異様な存在感を放っていた。
青白く寒々しいLEDに照らされたやけに広々とした室内はコンクリート打ちっぱなしで、雰囲気としては地下室のように思える。壁や壁際に置かれた棚には如何にもな「道具」や「器具」がこれ見よがしに掛けられていたり置かれていたりするが、佐伯はそれらの存在を努めて意識の外へと追いやった。
うっかり具体的な使用法など想像してしまった日には、とてもじゃないが漏らさずにはいられない。
「なんだよ……なんなんだよ……」
ともすればガチガチと踊り出しそうな奥歯を噛みしめ、佐伯は現状に至るまでの経緯を──自らの記憶を浚った。
「たしか……ガッコが終わって……」
佐伯は一人で街に出た。
それから──
「そうだ……! 白百合!!」
※
例の件で怒りに任せ独断専行したことで、今は清水たちともなんとなくギクシャクしており、かといって真っ直ぐ家に帰るという気分でもなかったので、少しゲーセンにでも寄って行こうかと思ったのだ。
そして馴染みの店に向かう道すがら、近道をしようとちょっとした路地に入ったところで──
「──! 白百合……っ」
突如現れた白百合姫──
「こんにちは」
二日間、学校へ来ていなかった彼女は、どういうわけかきっちりと制服を着込んでおり、いつもと変わらぬすまし顔で語り掛けてきた。
「ご機嫌いかがかしら? 佐伯くん」
そう言って、白百合は薄く微笑む。
綺麗な──、以前であれば間違いなく見惚れてしまっていたであろうその笑みに、しかし佐伯は薄ら寒い思いを抱いた。
「………………」
「どうしたの? 顔が引き攣ってるわよ? ふふふ……その様子だと、私が現れた理由には心当たりがあるようね」
──ヤバい。
ヤバいヤバいヤバい……っ、今のこいつは「なにか」がヤバい。本能がガンガンと警鐘を鳴らす。
「ねえ? 一応、聞いてあげる。──どうして?」
「………………」
「……ふうん。あっそう、黙りなのね。ま、別にいいわ。あなたの言い分なんてどうでもいいもの」
「………………」
「虐げられるのは弱いから──弱いものが悪い。それがあなたたちのような屑の理屈……そうよね? ああ、別に返事は期待してないから。反論も論外。言い訳なんてもっといらないわ」
「……何が言いてぇんだよ」
「そうね。端的に言うと……今度はあなたが虐げられる番──、ということよ。因果応報、というやつね」
「はあ?」
「──神崎」
「はっ」
「!? がッ──」
※
「クソッ」
そうだ──、思い出した──。
白百合が「かんざき」と口にした直後──、背後から鋭い声がして──
「ふざけやがって! 犯罪者はどっちだよ……っ」
おそらく──というか、ほぼ間違いないだろうが──自分は「きんざき」なる人物によって後頭部を強打され、昏倒したところを拐われてきたのだろう。目的は……あまり想像したくない。
──と、
「!」
がちゃり、と鍵の回る音がして、この部屋唯一の出入口にあたる扉が、微かな軋みを伴ってゆっくりと内側に開いた。
現れたのは──
「おや。お目覚めのようですね」
パンツスーツをきっちりと着こなした長身の美女だった。現在置かれている状況がそう思わせるのかもしれないが、ややつり目でキツそうな印象を受ける。
続いて──
「ご機嫌いかがかしら? 佐伯くん」
スーツ姿の美女が扉を押さえる傍ら、楚々とした足取りで制服姿の白百合が入室してくる。本日?二度目となったその台詞は明らかに嫌味だろう。もちろんこっちは「ごきげん」なわけがない。
「……てめえ」
今は到底、逆らえるような状況ではない。と、頭では理解していても、苛立つ感情は押さえきれなかった。
「何考えてやがる……いきなり誘拐とか頭おかしいんじゃねぇか? ──犯罪だぞ」
強がりも込めて、恫喝するようにそう言うと──
「あら」
白百合は上品な仕草で手で口元を覆い、その大きな目をわざとらしくぱちくりさせた。
「ねえ、聞いた? 神崎。盗人猛々しいって、まさにこういうことを言うのね。私、まさかこのことわざを実地で体現するひとがいるなんて思わなかったわ」
「多分に面の皮が厚いのでしょう」
表面上は上品に、しかし明らかにこちらを嘲るような白百合の言葉にスーツ姿の美女──「かんざき」が無表情で追従する。
「………………」
──こいつが「かんざき」か……くそったれ。
佐伯は密かに憎悪を募らせた。
「まあ、怖い。あなた睨まれてるわよ? 神崎」
「……どうやら、いまだ自身の立場が理解できていないようですね」
「そう……それはあまりよろしくないわね。なら、あなたがわからせてあげたらどうかしら?」
「よろしいのですか?」
「やり過ぎてはダメよ?」
「──かしこまりました」
「………………」
主従関係にあるらしい二人の、まるで小芝居のような、それでいて不穏なやりとりを、佐伯は戦々恐々とした気持ちで見守っていた。
……いったい、何をする気だ……。
胸に手を当て、恭しく白百合に答えた「かんざき」が、両手に
「な、なんだよ……」
「………………」
「おっ、おい……っ」
「………………」
「──ひ……っ、くっ、来るな……! こっち来んなよ!」
「祈りは済みましたか?」
「や、やめろ! お前ら……いくら白百合グループだからって、こんなことしてただで済むわけないぞ! 絶対に訴えてやるからな!?」
「お黙りなさい」
「ぎゃっ!? ……っが、なっ、こ、こいつ……マジで殴りやがった……」
「……おやおや、これはまたおかしなことをおっしゃられる。逆にお尋ねしますが、どうしてこの状況で殴られないと思ったのですか?」
「………………」
「少しはご自分の立場が理解できましたか? なるべくならお早めに、もっと素直になられることをお勧めしますよ」
「ひっ、よせっ、やめろっ、ヒ……ッ、ヒィッ────」
※
──歯の根が合わない。
白百合絢音に連れてこられた密室で、椅子に体を固定された清水は、耳の奥でカチカチと繰り返し鳴る硬質な音をBGMに、壁掛けのモニターを流れる悍ましい光景を眺めていた。
「………………
目に飛び込んでくるのは、幼馴染みの親友がリアルタイムで拷問を受ける凄惨な姿。拷問官の役を務めるのは白百合絢音と一緒にいた──あのとき自分を取り押さえた──スーツ姿の美女だ。彼女は眉一つ動かさず、ただ淡々とした様で佐伯の肉体を痛めつけていく。
始まってからしばらくの間は、天井に吊るされたスピーカーから佐伯の聞くに堪えないほどの絶叫が響いていたのだが、画面外から白百合の声で「うるさいわね」の一言があって以降、佐伯の口には詰め物がされ、今では時折小さな呻き声が漏れるのみだ。
──俺は……いったい、何を見せられているんだ……。
これが現実の出来事とは、とてもではないが信じられなかった。
友人が主演のスプラッタ映像だなんて何の冗談だ──いや、冗談にしても質が悪すぎる。こんな倫理もへったくれもない行為が許されるのか。
──ここは日本だぞ……!?
本当ならもう、とっくに目をそらしたかった。
友人が嬲られ、変わり果ててゆく姿など、誰が好き好んで見るものか──。今すぐ体ごと顔を背け、踞り、耳を手のひらで覆ってしまいたい。
──しかし、今の清水にはそうすることができなかった。
それには手足や頭が椅子に固定されているという物理的な要因もあるが、ここに連れてこられたとき「これからモニターに流れる映像を終始目に焼きつけるように」と、白百合に厳命されてしまったからだ。
別に瞼まで固定されたわけではないのだが、こんな胡乱な場所まで大人しく同行し、あまつさえ拘束されることまで受け入れてしまった時点で心などとっくに折れている。
ましてや「後でどんな内容だったか確認するから」とまで言われては、もはや全て見る以外の選択肢などあるはずもなく──。
清水は命じられるがまま映像を眺め続けた。
長く、気が触れてしまいそうな時間だった。
振り返ることができないため、今はその姿を見ることは叶わないが、後ろで自分と同じように拘束されている
少し前まで須釜のすすり泣く声と千田のえずく音が聞こえていたのだが、いつの間にか静かになり、代わりに酸っぱい臭いとアンモニア臭が漂ってきた(もっとも、自分ではあまり感じないだけで清水自身からも同じ臭いがしているはずだが……)。
一番酷い目に遭っている佐伯は当然として、自分たちにも、もはや人としての尊厳などありはしない。
「ちくしょう……これが同じ人間のやることかよ……っ」
※
「──なんて、今頃彼らは思っているのでしょうね」
佐伯数馬に対する「仮の」仕置きを終え、一度新鮮な空気を吸いに外へ出た絢音は、傍に控える神崎に向かって口の端を吊り上げた。
「自分たちの行いをすっかり棚に上げ、当たり前のごとく被害者面をする……どこまでも度し難いことです」
「ええ、まったく。本当になんというか……彼らは屑の鏡ね。でも──もし、こんなもので終わりだと思っているのだとしたら……」
「彼らは真の絶望というものを知ることになるでしょう」
「ふふ……。自分たちがすでに『いない』ものとして扱われていると知ったら……、いったい彼らはどんな顔を見せてくれるのかしらね?」
「さあ?」
神崎が、彼女にしては珍しく、にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「神崎、悪い顔してるわよ?」
「おっと、これは失礼しました」
「ふふっ、まあ悪い顔はお互いさまよね。さて──」
それじゃあ──いつ教えてあげましょうか。
クスクスと笑いながら、絢音は歌うような口調でそう言った。
※
あれからもう何ヵ月経ったのだろう……。こちらへ来てからというもの、佐伯の日にち曜日の感覚はすっかり希薄になってしまった。
ここはタイ・バンコクにあるとある店。ネオンの灯る薄暗い店内では裸同然の美女たちが「ゴーゴー」のリズムに合わせステージ上で体を揺らしている。こちらではメジャーな「ゴーゴーバー」というタイプの風俗店だ。
佐伯は今、この店の従業員として日々働いている。仕事は正直キツい。つい数ヶ月前まで日本で暮らす普通の高校生だったのだから当たり前だ。そして一口に従業員と言っても、佐伯の担当は店を切り盛りする「スタッフ」ではない。お客さまのお相手を務める「キャスト」の一人。それが今現在の佐伯に与えられた役割──立場だった。
エキゾチックな美女たちに混ざり、音楽のリズムに合わせ、ステージ上で体を揺らす。時折ポールに肢体を絡めたり、胸や尻を突き出して、男性客らに向け性的アピールを繰り返す。哀しいことに、それが自分でも段々と上達しているのがわかる。
──ああ、俺はいったい何をやってるんだろうな……。
仕事内容からも判るように、現在、佐伯の体は生まれつき備わっていた男性のものではなくなっている。ここへ来る過程で強制的に施された「手術」によって、女性のそれへと「変えられて」いた。
そして佐伯自身がそうであるように、周りで踊る同僚たちも一見すると美女揃いだが、実は皆「元」男性ばかり。
そう、ここはいわゆるニューハーフ──タイ風に言うなればレディボーイ──専門店なのである。
「カズミ~! 指名ハイったヨ~!」
「ハ~イ!」
「カズミ」というのはいわゆる源氏名だ。スタッフに呼ばれ、媚びた声で返事をする。初めは気色悪く思っていたそれにももう慣れた。
「あれ? 君、もしかして日本人?」
呼ばれた席に行くと、そこにいたのは全員パッと見三十代半ばくらいに見える日本人のグループだった。三人連れで、皆なかなかのイケメン……イケオジである。それに何より金持ちそうだった。
──今日はツイてるかも。
佐伯は内心でそっと胸を撫で下ろす。
どうせ最終的に「そういうこと」をするのなら、相手は脂ぎった不細工なおじさんよりは若くイケメンで、ついでに金持ちであれば尚よかった。
──なんだかんだ、ここに毒されてきてるよな……。
佐伯は今でも一応、自身をへテロセクシャルの男性だと思っているが、いつの間にか同性であるはずの客を「女性目線」で品定めしている自分に気づき、呆れた気持ちになる。
──まあ、別にもうどうでもいいけど。
すでに日本に佐伯の帰る場所はない。
あの日、
見捨てられたことに対しまったく恨みはない、とまでは言えないが全ては自業自得の招いた結果である。今ではもう仕方がなかったのだろうと割りきった。なんなら、こんなことになって申し訳ないまである。
──祥太郎たちはどうしてっかな。
最大の気がかりは幼馴染みの
三人にしてみれば佐伯の暴走のとばっちりを受けた形だ。
主犯は佐伯ということで、多少の情状酌量が与えられたらしいが……どうなったのかはわからない。
もしもいつか再会することがあれば、たとえ許されなくとも土下座して謝ろうと思う。
──はは……、ぶっ殺されちまうかもな。
「──どうしたの? 早くこっち座りなよ」
「あ」
少しぼうっとしていたらしい。イケオジの一人が自分の太ももをぽんぽんと叩いて「ここに座れ」とアピールしている。その手首には金の「ロレックス」──やはり金持ち。
「ご、ごめんなさい! お兄さんたち皆イケメンだから少しびっくりしちゃって」
媚び媚びな笑顔を浮かべ、精一杯
「あ、ちなみに『元』日本人ですぅ」
「おお! やっぱりそっかあ。いやあ、現地美女もいいんだけど、やっぱこうして見ると日本人がいいなあ」
「えぇ……私、そこ以外に魅力ありませんかぁ?」
「ああ、いやいや、そんなことはないよ。すごく可愛い」
「きゃっ、ありがとうございますぅ」
こうしてバンコクの夜は更けていく──。
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