第11話 パワープレイ(1)

「──こ、この子がうちの勇気……なのか?」


 動揺も露にそうこぼしたのは真田さなだ勇気ゆうきの父親だった。


「本当に?」


 ここは白百合グループが経営する総合病院の一室で、彼の眼前には一台のベッドが置かれており、そのベッドでは少女が一人、静かに寝息を立てていた。そして眠れる少女の正体は、誰あろう彼の一人息子である真田勇気である。


(まあ、妥当な反応よね)


 無理もない。絢音あやねは小さく首肯した。


「信じられないのも無理はないと思います。しかし、状況証拠と医科学的根拠から、その子はあなたがたのご子息……勇気くん以外にあり得ません」

「い、いや──、しかしだね……っ」


 真田父が食い下がる。


「っ……」


 絢音は出かかったため息をぐっと飲み込んだ。


 ことの経緯は真田の両親にもすでに伝えている。たしかに、絢音のように実際の現場に居合わせたのでもなければ「息子が突然、娘になってしまった」などという突拍子もない話は容易に飲み下せるものではないだろう。


(だけど……)


 どうしても、絢音は真田父の態度にやるせなさと憤りを感じずにはいられない。戸惑うのは仕方ない──けど、せめて疑わないでほしかった。これは言ってしまえば身勝手で筋違いな感情なのかもしれない。

 ──しかし、ことの経緯は余さず伝えたのだ。真田の部屋にあった遺書だって見せた。

 その上で「九死に一生を得た我が子に対する父親の反応がこれか」と思うと、絢音は少なからず失望を覚えてしまう。どうしたってやるせなくなる。


(もっと他にあるでしょう?)


 と、その時だった。


「あなた」


 真田母だった。

 それまでベッド脇の椅子に座り静かに息子を見つめていた彼女は、その頬にそっと触れ──……


「この子は間違いなく私たちの子供よ。たとえ見た目や性別が変わってしまったとしても、私がお腹を痛めて産んだ子よ……見間違えるはずがないわ。ね? 勇気……」


 そう言って、真田母は真田の頬を撫で、額にかかった髪を優しく指でかき分ける。


(よかった……)


 少なくとも真田母は現状を現実として受け入れている。そのことに安堵するとともに、彼女の母親らしい慈愛に満ちた表情や仕草は、ささくれ立った絢音の心まで優しく撫でつけてくれるようだった。


「……す、すまん……取り乱した。まだちょっと信じられないが……お前がそう言うのなら間違いないんだろうな……。しかし……勇気が女の子に……か。これは現実なんだな……。………………ふう、白百合さん、お礼もまだなのにいろいろと失礼しました。何はともあれ息子を救っていただきありがとうございます。一体、私たちはあなたにどれほど感謝すればいいか」


 真田父も落ち着きを取り戻したのか、神妙な顔で絢音に頭を下げる。


「いえ、私は私にできることをしただけです。それに……できなかったこともあります。どうか、頭を上げてください」


 立場上、大人から頭を下げられることには慣れている。しかし、相手がクラスメイトの親ともなれば話は別だ。少しばかり気まずい。

 それを誤魔化すためだけでもないが、話題の転換も兼ねて、絢音は真田の両親に対しとある提案を持ちかけることにした。


「真田くんのお父さま、お母さま。勇気くんの今後と、例の連中に対するについて、私からいくつか提案があります──」


 絢音の提示した案は、平時であればまず感情的に、そして常識的にもそう簡単に受け入れられるようなものではなかったはずだが、すでに息子の身に起きた超常現象性転換を目の当たりにし、それを現実のものとして受け止めているからか、真田の両親は意外なほどすんなりと首を縦に振った。


「どうか息子を──」

「──よろしくお願いします」

「おまかせください。決して悪いようにはいたしません」


 揃って頭を下げる彼らに、絢音は不敵な笑みを浮かべ宣言した。



  ※



「はぁ……何考えてんだよ」


 いつもとは違う、一人きりの帰り道──思わず愚痴がこぼれた。


 幼馴染みの佐伯さえき数馬かずまは多少やんちゃなところはあっても決して根っからの悪人ではない、と清水しみず祥太郎しょうたろうは思う。自分も似たようなものだが、せいぜいが小悪党止まり。──そう思っていた。ほんの数日前までは……。


(いくらなんでも今回のはやりすぎだ。完全に犯罪じゃんかよ。さすがにヤバいって)


 ことは二日前の放課後にさかのぼる。


 佐伯を筆頭とする清水らのグループは、例によってクラスメイトの真田勇気をターゲットにしたいじめを行っていた。それは他のクラスメイトたちにとってももはや恒例行事のようなもので、なかには不愉快に思っている者もいただろうが、それだってせいぜい眉をひそめる程度で、これまで表だって清水たち四人を咎める者などいなかった。

 担任ですら明らかに見て見ぬふりを決め込んでおり(いじめを認めて査定に響くのが嫌なのだろう)、クラス内には良くも悪くも日本人らしい「ことなかれ主義」が蔓延していた。


 今回のいじめのネタは、真田を脅して放課後の教室で無理やり学園のマドンナ「白百合姫」に告白させる、という清水たちにとっては初めての趣向だったが、これは同じグループの千田せんだが昔見たという漫画か何かから引っ張ってきたネタであり、オチとしては「当たり前」だが真田が振られ、まあ多少──ではないかもしれないが真田にとっては今さらだろう──恥をかいて終わる、という筋書きだった。


 真田は自分たちの命令どおり白百合への告白を敢行し、予定どおりに振られ、佐伯がそれを大袈裟に囃し立て、清水たちはそれに追従し真田を笑い者にした。いつもどおりの流れ、そのまま適当なところで切り上げ、いつもどおり終わるはずだった。


 しかし、そうはならなかった。

 白百合絢音が「キレた」のだ。


 人当たりは決して悪くないが、どこか一線を引いていて、他人とはあまり深く関わろうとしない孤高の存在。清水は白百合に対してそういうイメージを抱いていた。


 事実、彼女は清水たちによる真田へのいじめを把握していたはずだが、これまでは時折ごみを見るような目を向けてくる以外、特に介入してくるようなことはなかった。


 だからこそ、いわば天上人である白百合にとって下賤な輩同士のいざこざになど幾許の興味も湧かないことなのだろう、と清水はそう思っていた。

 少しぐらいネタに付き合わされたところで、自分たちを軽蔑はしても怒りはしないだろうとたかをくくっていた。


 だが実際はどうだ。

 白百合はキレた。


 何が彼女の逆鱗に触れたのかはわからない。しかし、結果として佐伯はキレた白百合によって完膚なきまでやり込められ、真田をからかうために用意したはずの舞台で清水たち四人は道化に成り下がった。


 その上、さらに白百合は言葉を弄してクラスメイトたちを扇動し、クラス内に今後真田に対するいじめを容認しづらい雰囲気を醸成してしまった。あっという間の出来事だった。佐伯の拙い反論など取り合ってももらえない。まさに役者が違っていた。清水たちはこそこそと教室を去る以外なかった。


 悔しくなかったと言えば嘘になる。多くのクラスメイトの前で恥をかかされて、腹が立たないわけがない。特に直截やり込められた佐伯は相当堪えた様子で、一番付き合いの長い清水ですら、すぐには掛ける言葉が見つからなかったくらいだ。


 しかし相手は学園のマドンナ白百合姫──白百合絢音だ。


 本人も十分アレだが親はもっとヤバい。彼女の親とはつまり天下の白百合グループ総帥である。自家も小さな会社を経営している清水にとって「藪をつついて蛇を出す」ような真似だけは絶対に避けたいところであった。

 相手が白百合なら仕方ない、逃げたところで笑われやしない、いやむしろ誰にも笑わせない、そう思えばぎりぎり割り切ることができた。

 

(押すならここか)


 佐伯の親もそこそこの企業で役職に就いているはずで、やはり白百合家とトラブるのはまずい。宥めるついでに──たぶん大丈夫だろうとは思いつつ──念のため声をかけると、案の定、


「んなこた、わぁってんよ!」


 と怒鳴られ、清水は「なら、いいけど」と苦笑いするしかなかったのだが──


「……けど、あの野郎は許さねえ」


 あの野郎が誰を指すのかは明白で、それはさすがに逆恨みだろうとは思ったが、白百合に直接当たれないのなら間接的に真田に当たるしかないだろう。そしてそれはいつものことだ。佐伯がどの程度まで「やる」つもりかわからないが、清水は空気を読んで「そうだな」と軽く追従するにとどめた。


 ──それが間違いだった。


佐伯あいつは馬鹿だけど、俺も馬鹿だった……)


 あの時点で真田をどうするつもりなのか、それをもっと詳しく問いただして、そして最悪は殴ってでも止めるべきだった。


(……いくらなんでもアレはまずいだろ)


 佐伯がSNSを通しネット上に流出させた写真は、真田勇気という一人の人間を社会的に抹殺すると同時に自分たちの犯罪行為を証明する諸刃の剣だ。自撮り以外の写真には必ず撮影者が存在するのだから。


 佐伯はあれでネット関連に詳しいから案外上手くやったのかもしれないが、そもそもインターネットというものが第三者から提供されるサービスである以上、ちょっと詳しい高校生程度が全て誤魔化せるようなものとは思えない。きっといつかはバレる。


 第一、証拠などなくとも状況的には誰がやったかなど明らかだ。


 昨日、今日と真田は学校に来なかった。当たり前だ。あんな写真をネット上に流されて人前に出られるわけがない。


 二日間、教室は針の筵だった。みんな、清水たちが──正確には佐伯がだが──やったことに気づいていて軽蔑しているのだろう。アレはもう「いじめ」の範疇には収まらない。


 佐伯とはあまり口をきいていない。それは須釜すがまや千田らも同様だ。言葉にはしなくとも佐伯を除く自分たち三人の顔には「さすがにやりすぎだ」と書かれており、佐伯もそれは察しているだろう。果たして後悔しているかまではわからないが。


 ──と。


 それはそれとして、不安はもう一つあった。


(……今日も来なかったな)


 この二日間、真田だけでなく白百合もまた学校に来ていないのだ。担任曰く体調不良とのことだが果たして……。

 別に、清水は白百合の体調などこれっぽっちも心配していない。嘘だろうが本当だろうが自分には関係ないからだ。


(てか、絶対に嘘だろ……)


 間違いなく仮病だ。だからこそ不安になる。今、清水たちが心配しなくてはならないのは自分たちの身の安全だ。さすがに物理的にどうこうされるとまでは思わないが、今まさに現在進行形で訴訟の準備をされていたとしてもおかしくはない。

 どういうつもりかは知らないが、白百合絢音は二日前の放課後あのときから真田勇気の庇護者を気取っている。

 そこへきて佐伯の暴走で清水たちは真田に社会的致命傷を与えてしまったのだ。あの女が自らの庇護対象を傷つけられてこのまま黙っているとは思えない。


「!? ──っとお」


 思い悩むあまり、俯きながら歩いていた清水は、足元に影が射したのを見て慌てて身を躱した。


「……っぶねー」


 持ち前の運動神経は過たず発揮され、無事、衝突は避けられた。


「チッ」


 ──ったく、誰だよ。

 前を見て歩いていなかった自分が悪いことくらいわかっているが、それにしたって文句くらいは言いたくなるのが人情だ。一体どんな相手か、顔ぐらい拝んでやろうと目線を上げると……そこに居たのは──


「こんにちは」

「白百合……!?」


 と、


「お嬢さまを呼び捨てとは感心しませんね」


 すらりと背の高いパンツスーツ姿の美女だった。


「っ……!」


 清水は迷わず身を翻した。

 ヤバい! 逃げろ!! と、本能が訴えていた。

 しかし、


「神崎」


 白百合の抑揚のない声が聞こえると同時に──、清水は宙を舞い──


「!? が……ッ」


 アスファルトの地面に背中から叩きつけられていた。

 肺から強制的に空気が押し出され息が詰まる。


 あまりにも一瞬の出来事に、一体全体、何をされたのかまるでわからない。


「抵抗は無駄です。いいですね?」

「──……」


 冷めた目でこちらを見下ろし、そう言い放つ美女。

 それに対し、清水にはもう逆らうだけの気力は残されていなかった。

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