第7話 XX(1)

「真田くん! 真田くん!!」


 一見気弱そうで小柄なクラスメイトの男の子、真田勇気の名を呼び、絢音あやねは彼の自宅玄関の扉を叩き続けた。


(お願いよ──出てきて──!)


 ここに着いてから既に十分近くはこうしているだろうか。

 絢音の色白な繊手は扉に当たる部分が赤く変色し痛々しく腫れてきている。

 やがて──


「おね、がい……っ、いかない……でっ」


 とうとう力尽き、絢音は扉に縋りつくように膝をついた。


「うっ……うぅ」


 泣いている場合じゃない。しかしどうしようもない無力感から熱いものが込み上げてしまう。

 このままでは彼がこの世界からいなくなってしまう。絢音にはそんな確信があった。

 彼の内情にはそれほど詳しいわけではない。ただ、絢音は昨日の放課後、少し話しただけで直感的に理解していた。

 真田という少年はたしかに少々気弱なところがあるかもしれないが──だからといって、あれは決して意志薄弱な人間ではない。

 むしろ、どちらかといえば頑固だろう。

 昨日、絢音が「どうして抗わないの」と尋ねたときの目。そこには己の矜持を傷つけられた者の特有の光が宿っていた。

 彼は彼なりに抗っていた。「ひたすら堪える」それが彼の選択だったのだ。それを何も知らない絢音他人からとやかく言われたのが──言い方は悪いが──気にくわなかったのだろう。

 あのとき彼は、瞳に、一瞬だが絢音を射殺さんばかりの──それこそ憎悪といっても過言ではない色を浮かべて見せた。

 だからこそ思う。きっと彼は自ら幕引きを行う。

 自殺、ではなく自決。

 逆らうよりも堪えることを選ぶ彼なら、もはや堪えることもできなくなったそのとき、あっさりとこの世で生きるという道を捨て去ってしまったとしても驚かない。きっと彼は、彼のルールに従い決着をつけるだろう。

 ひとによってはそれを「逃げ」と呼んで非難するかもしれない。──いや、大半がそうだろう。

 けれど絢音には、彼を責めるつもりなど毛頭なかった。

 悪いのはそういう決着を彼に選ばせた周りの人間だ。

 それは佐伯たちであり絢音や学校関係者ら傍観者であり……そして、あまり言いたくはないが真田をそういう人間に育ててしまった彼の両親だろう。


(──だからって)


 今、絢音が真田の生存を諦める理由なんてない。

 たとえそれが彼の望みだとしても。


「絶対に死なせないわよ……っ」


 自分でもよくわからない、沸々と沸き上がる熱い義侠心を胸に、絢音はもう一度立ち上がった。

 するとそれを見計らったように背後から声がかかる。


「お嬢さま」


 振り返ると、いつの間に車から降りてきたのか神崎かんざき志桜里しおりが控えるように立っていた(志桜里は絢音の父親の複数居る秘書のひとりであり、普段は主に絢音の付き人のようなことをしている女性だ)。


 なに?

 そう絢音が視線で問いかけると、


「ここは強引にでも踏み込むべきと具申いたします」


 志桜里は真剣な面持ちでそう答えた。


「え」


 あなた何を言ってるの?

 絢音は一瞬だけぽかんとした。

 しかし、


「……そうよね。もはや四の五の言ってられないわ!」


 決断は早かった。

 だてに生まれつきお嬢さまなどやってない。これがたとえ自分の勇み足で終わったとしても、そんなものは後で白百合家の力でどうとでもなる。今はやらぬ後悔よりもやる後悔だ。


「行くわよっ、神崎!」


 絢音は志桜里を引き連れ真田家の敷地を駆けた。

 庭に回り、中はおそらく居間か何かであろう最も開口の広いサッシ戸に目をつける。

 絢音は躊躇わず志桜里に命じる。


「神崎──やってちょうだい」

「はい」


 命じられた志桜里にも一切の躊躇はない。

 彼女はどこからか取り出した伸縮式警棒を使って一撃でガラスに穴を開けると、そこから手を入れクレセント錠を外しサッシ戸を開いた。


「どうぞ」


 やっていることは空き巣そのものだが、志桜里の所作にはそんなことは微塵も感じさせないだけの恭しさがあった。


「ええ!」


 絢音は靴を履いたまま室内に踏み込んだ。


「──真田くん!」


 そこは事前に予想したとおり、真田家の居間であるらしかった。

 いわゆるリビングダイニングキッチンと呼ばれるタイプだ。


「真田くん!?」


 しかし、求めていた姿はそこにない。


「おそらく自室でしょう。──念のため、バスルームも確認すべきかと」


 絢音に続いて室内に入ってきた志桜里がそう提案する。


「そうね」


 絢音は志桜里に頷くとすぐに駆け出した。


「真田くん!」


 真田家の詳しい間取りなど知るよしもなく、


「どこ!」


 手当たり次第に扉を開けて行く。


「どこなの!?」

「……あとは二階だけですね」

「そうね……」


 二階建てとはいえそう広くもない一軒家。一階の捜索はすぐに完了した。幸い、というべきかバスルームにも異常はなかった。


「行きましょう!」


 あらかじめ見つけていた階段を駆け上がる。二階には扉が三つあった。

 一つ目。


「真田くん!」


 違った……おそらくは彼の両親の寝室。

 次!


「真田くん!?」


 物置……っ、ここも違う。

 ラスト!


「真田くん!! ──っく、……開かない!」


 間違いない──ここだ──この扉の向こうに、彼は居るはず!


「真田くん! ──私! 白百合絢音よ! 居るんでしょう!? お願い──ここを開けて! 真田くん!!」


 ドアノブをガチャガチャと揺すりつつ、絢音は扉に向かって呼びかけた。


「真田くん! 返事して!」


 しかし何度呼びかけても、さらに扉を叩いても返事はない。

 そして──


「神崎……っ」


 どうしよう、と。

 そばに控える志桜里を振り返ったそのときだった。

 扉の向こう側でドンッ! と、何かとても重いものが床に落ちたような……。そして状況からしてとてつもなく不吉を予感させる……大きな物音がした。


「……っ」


 絢音は肩を震わせ、思わず息を飲んだ。


「お嬢さま! 下がってください!」

「!?」


 姉のような従者の、滅多にない剣幕に気圧され、絢音は言われるまま一歩後ろに下がる。

 それを確認すると志桜里は、


「──ッ、らあぁああああああっ!!」


 裂帛の気合いとともに、扉に向かって後ろ回し中段蹴りを放った。

 ドゴンッと、ちょっとした交通事故のような音がして、扉が内側に向かって吹き飛ぶ(かろうじて蝶番は無事だ)。

 

「………………」


 絢音は大きな目を丸く見開いて、一瞬だけ呆けたものの、


「っ! 真田くん!!」


 すぐに我に返り、室内へと駆け込んだ。

 するとそこには──


「……っ、真田くん!?」


 黒髪の小柄な人物が床にうつ伏せに倒れていた。顔は見えないが背格好からして真田に違いない。

 素早く視線を走らせれば天井には梁に結ばれ半ばから千切れた荷造り紐、そして彼の首元にはその片割れらしきものが巻きついている。


(やっぱり!!)


 絢音は自分の予想が間違っていなかったことを確信するとともに慌てて真田の体を抱き起こす。


「真田くん! しっかり──」


 が、


「え……?」


 そこで絢音は固まった。


「……だれ?」


 顔色は最悪だが……パッと見は勇気に似ている。

 けど。


(ご兄……とか?)


 いや、そんな話は聞いたことがないし状況からしてこの場にいるのは本人以外にはあり得ないだろう。

 そう、あり得ないのはずなのだが、


(だとしたら、これは一体……)


 絢音の視線が、自分の抱き起こした人物のに釘付けになる。

 しかし絢音の抱いた諸々の疑問は──


「お嬢さま! 考えるのは後回しです。!!」

「!?」


 志桜里から放たれた衝撃の一言で一旦、先送りとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る