第8話 XX(2)

 ~~~♪ ~~~♪

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「ねえねえ、おかあさん! ゆうきだって! ぼくのなまえとおんなじだね!」


 それは勇気がまだ小学校に上がる以前の記憶だ。

 夕方のリビング。大好きだった子供向けアニメのエンディング曲を聞いていたとき、その中に自分の名前と同じ言葉が出てきたことに気づき感激した、という些細な出来事。


「あら? そうよう。あなたの名前はね、そのお歌とおんなじなの。ようくわかったわねえ」


 偉いわね、と母親が頭を撫でてくれる。


「わあい」


 褒められてはしゃぐ勇気に母親は優しく語ってくれた。


「お父さんとお母さんはね? 勇気がまだお母さんのお腹の中にいた頃、お医者さんから『生まれるのは男の子ですよ』って聞いて、それからふたりで一生懸命名前を考えたの。何日も何日もよ? けど、なかなか良いのが浮かばなくって」

「ふうん?」

「そんなときだったわ。たまたま点けていたテレビから、あのお歌が流れてきたの。さっきみたいに、勇気の~♪ って。そうしたら、お父さんが『これだあ!』って飛び上がってね? 俺たちの息子の名前は勇気にしよう、って子供みたいにはしゃぐの。お母さん、初めはそんな簡単に決めちゃうの? って、思ったんだけど……でも、よおく考えてみたら『勇気』ってすごくいい言葉じゃない? だからお母さんもだんだんその気になってきちゃって……気がついたらお父さんと一緒になって歌ってたの。勇気の~♪ って。笑っちゃうわよね」

「なにがおもしろかったの?」


 ふふふ、と笑う母親を見て、勇気は首を傾げた。


「………………。んー、勇気にはまだちょっと難しかったかしら」

「むつかしいかった!」

「あらま。ごめんなさいね」

「んーん、いいよ!」

「ありがとう。ねえ、勇気?」

「なあに?」

「あなたの名前には、勇気の大好きなあのヒーローみたいに悪者や自分よりも強い相手にだって負けずに立ち向かえる強くて元気で勇ましい男の子に育って欲しいっていう、お父さんとお母さんの願いが込められているのよ」

「いさましい?」

「怖いものや嫌なことにも逃げずに立ち向かっていける、ってことよ?」

「んー……?」

「やっぱりまだ難しかったみたいね」


 母親は小さく苦笑いする。


「おかあさん! ぼく、わかんないけどがんばるね?」


 よくわからないなりに、母親からの期待を感じ取り、勇気は彼女に向かって宣言した。


「うんうん、それでいいわ。ふふっ、勇気はいい子ねえ」


 勇気の答えに満足したのか、母親はそれからしばらくの間勇気の頭を優しく撫で続けてくれたのだった。



  ※



「………………ん」


 何か夢を見ていたような気がする。勇気はゆっくりとまぶたを開けた。


「………………あれ?」


 見覚えのない真っ白な天井が見えた。


「………………え、どこ?」


 しかしそんなことよりも、


「………………生きてる」


 なぜ? 全部、夢?


「真田くん?」

「え?」


 すぐ側で声がして、勇気は首をそちらに捻った。


「白百合……さん?」


 なぜかそこには丸椅子に腰掛けた白百合絢音学園のマドンナが居た。

 彼女は薄く微笑むと、


「ええ、私よ……真田くん。というか……やっぱりあなたは真田くんなのね?」


 などと妙なことを言う。


「……へ? そりゃ……僕は僕だけど?」


 もし、そうでなかったら何だというのか。


「なるほど……。自覚はないのね……」


 白百合が頬に手を当て美麗な顔に困ったような表情を浮かべる。

 どんな表情でも美少女は美少女なんだな、と勇気は暢気な感想を浮かべた。どうもまだ頭が上手く働かない。


「頭が痛いとか、そういうことはない?」

「んー……うん、少しぼんやりするけど大丈夫」


 まあ、寝起きだし。


「起きられそう?」

「え? うん」

「そう……なら、起きて自分でしてもらったほうが早いわね」

「……? う、うん」


 何を? とは思ったものの、勇気はとりあえず言われたとおり起き上がることにした。

 体を軽く捻りベッドに肘をつき、上体を起こそうとしたところで、


「ああ、無理しないで。手伝うわ」


 そう言って、白百合が左手を握り背中に腕を回し介助してくれた。


「えっ、ちょ……っ!?」

「いいから。ほら、遠慮しないの」


 甘い匂いが鼻腔をくすぐり、柔らかなあれこれがあちこちに触れる。


(うわあ、うわあ、うわあ……!)


 気遣ってくれているのに不謹慎だろうとは思いつつも、やはり本能に根差す煩悩には抗えずつい、勇気は左手と背中、そして右半身に全神経を集中してしまう。


(仕方ないよね……だって男の子だもの)


 などと戯けたことを考えていると、


「そういうところは男の子なのね」


 !?


(バレてるうううううう!)


 下心はしっかりと見透かされていた。

 その事実に戦慄する。

 とりあえず、


「ごめんなさい!」


 勢いよく謝った。

 しかし、


「ああ、いいのよ。気にしないで」


 当の白百合から返ってきたのはそんな軽い言葉だった。

 何の気負いもなく、特に嫌悪のようなものも感じさせない、ごくごく軽い口調。


「………………」


 勇気は思わず、まじまじと白百合の表情を窺った。


(てか……うん、やっぱり超美人)


「なあに? さすがにそんな風に見つめられると照れるのだけど」

「……ああ、いやごめん、つい。綺麗だなあ……って」

「あら、どうもありがとう」

「………………どういたしまして?」


 いや、なに言ってんだろ僕。ナンパ野郎かよ。


「でも、あなたもわよ? ──すっごく、ね」

「へ?」


 いや、なにいってんだろこの子。からかわれてんのかな。


「一応、言っておくけれど……別にふざけているわけじゃないわよ?」

「……はあ」


 そう言われてもリアクションに困る。

 たしかに勇気は男にしては小柄だし、撫で肩で、顔立ちも母親に似てどちらかといえば女顔だ。けれど、だからといって同級生の女の子からかわいいと言われて素直に喜べるかといえばそれは……微妙すぎる。


「うーん……ダメね。どうせなら自分で気がついて欲しかったんだけど」


 何を?


「……ねえ、真田くん。自分の胸に、手を当ててみてくれる?」

「胸に……?」


 本当に絢音は何を言いたいのだろう。いわゆる「自分の胸に聞いてみろ」というやつだろうか。


(やっぱり、怒ってる? いや、この感じは違うよなあ……うーん)


 何が何だかさっぱりわからないが、とりあえず言うことを聞いておくか。と、勇気はなんとはなしに右手を選び、自分の左胸──ちょうど心臓の上辺り──に手のひらを当ててみた。


 むにゅり。


「!?」


 ──と、手のひらが、何か柔らかな物体を掴んだ。


「………………」


 むにゅ……むにゅ……むにゅ……。どうして……っていうか……うん、これは非常に癖になる。

 いや。

 癖になるどころか……なんだかきもち──


「ふっ……ぅんっ」


 !?


「はい、ストップ。……真田くん、そこまでよ」

「ひゃうんっ!? ………………って、白百合……さん?」

「ええ、私よ」

「………………。!? ぼ──っ、ぼぼぼっ、ぼくは今、一体なにを……っ!?」


 ぼくは何をっていうか僕、ナニしちゃったの!?

 てか……さっきのって完全に聞かれてたよね!?


(うわあああ! し、死にたい……っ、なんでか生きてたんだけど、今すぐ消えてなくなりたああああああい!!)


 無様に取り乱していると。

 白百合が、


「いいから……ほら、大丈夫よ。落ち着きなさい」


 と言って、勇気の右手を両手で包むようにして優しく握ってくれた。

 白百合は勇気よりも体温が低めなのかはじめはひやりとしていたが、しばらくそうしているうちにだんだんと温まってきて、そうなる頃には勇気もそこそこ落ち着きを取り戻していた。

 それを見て、


「もう大丈夫みたいね」


 と白百合が微笑む。


「……うん、ありがとう」


 まだ多少ぎこちないが勇気も笑みを返した。


「どういたしまして。お役に立てて良かったわ。……それでね、真田くん。さすがにもう、気がついてると思うけど──」

「まあ……」


 そりゃ気づくだろう、という話だった。


「そうよね。でも……やっぱりまだ、ちょっと認めがたいと思うから……あえて私からはっきりと伝えさせてもらうわね」

「うん」

「いい? 落ち着いて聞くのよ……?」

「……うん」


 勇気がしっかりと頷くと、


「こほん」


 白百合はひとつ咳払いをした。それを合図に向かい合う。


「………………」

「………………」


 互いの視線が交差し、否応なしに緊張が高まる。

 そして──。


「まず、見てのとおりだけどここは病院よ。どうしてかは……わかるわよね?」

「……うん」

「それで……ここからが本題なのだけど」


 そう言って、彼女は握っていた手にぐっと力を込めると、その力とは反比例するように、なぜか、どこか申し訳なさそうに口を開いた。


「ええと……ね。真田くん? なんというか……その、こうして改めてとなると大変言いにくいのだけど……。あなたはこの度……えー……こほんっ、失礼。んっ、んん! あー……そのう、より具体的にはあなたというか……あなたの肉体が、というべき話なんだけどね? 勝手だけど眠っている間に色々と調べさせてもらったの。そこはまあ必要なこととして許してくれると嬉しいわ。それでね……うん、その結果それがあれでソレでアレがこうでコレなの」

「し、白百合さん?」

「……っ、ごめんなさい、取り乱したわ」

「あ、うん」


 白百合はすううっと息を吸うと、表情を引き締めた。


「今度こそ単刀直入に言うわ」

「……」


 白百合の剣幕に勇気はごくりと生唾を飲んだ。


「真田くん。あなたのDNAを調べた結果、元来XYであった性染色体の組み合わせが現在XXに変化していることがわかったの」

「?? ええと……?」

「詳しくは割愛するけど、性染色体というのは二十三対四十六本存在するヒト染色体うち性別を決定する一対二本のことよ」

「はあ……」


 テレビで見たのだったか、授業で習ったのか……その辺は忘れたが一応、なんとなく聞きかじった覚えがある。勇気は曖昧に頷いた。


「難しい話をすれば色々とあるのだけれど……遺伝学上、ヒトを含む多くの哺乳類は性決定様式において『雄ヘテロ:XY型』というグループに分類されているの。このグループに属する生物の場合、正常な雄(男性)とはX染色体とY染色体の両方を持つ『XY個体』のことを指すわ。翻ってX染色体のみを二本持つ『XX個体』の場合、その性別は──」


 勇気は自分の胸元を見下ろし、


「………………。雌、つまり……女性」

「と、いうことね」


 白百合は深く頷いた。


「どうしてこんなことになってしまったのかはわからない。色々と調べたけれど現時点では何もわからなかった。けど、これだけははっきりしているわ。真田くん、中身の方はともかく。肉体的な面でいえば──今のあなたは紛れもなく女の子よ」

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