第5話 スーサイド(1)
「……真田くん」
滑るように走る高級車の後部座席で、
(あいつら……っ、まさかあそこまでするなんて……っ)
今年から同じクラスになった少年、真田勇気が、こちらも同じクラスに在籍する
身近で、いじめなどという下劣でくだらない犯罪を見せられるのは、決して気分の良いものではなかったが、佐伯たちは勇気に対し露骨な暴力を振るうことまではしなかったし、真田の方にも何がなんでも現状から脱け出そうという気概が感じられなかったので、絢音としては「まあ、加害者が飽きるまで堪え続けるというのもひとつの方法ではあるわね」と、静観を決め込んでいた。
極論、絢音が介入すればおそらくは四月の段階ですぐにでも解決できた問題ではあったが、クラス内で起きている問題とはいえ言ってしまえば所詮、他人事である。
無関係な上に当人たちとは性別も立場も違う自分がしたり顔で口を挟むようなものでもないだろう、そんな風に割り切って殊更気にしないことにした。
いざとなれば「どうとでもできる」そんな傲慢な思いもなかったと言えば嘘になる。
──と、多少ニヒルを気取ってみたものの、実のところそんなものは全て建前であった。
絢音の本音はもっと単純で、要は頼まれてもいないのにしゃしゃり出て、人前で正義の味方面をするのがどうにも恥ずかしかっただけなのである。
そのため絢音は「助けに入るにしてもそれは相手に求められてから」という本当に困っている人からしたら「ふざけるな」と言いたくなるような自分ルールを敷いて機会を待った。
本音では、真田のことだって早く助けてあげたかったのにだ。
返す返すも馬鹿馬鹿しい話だが、自分が様子見などしている間にいつか取り返しのつかないことになりはしないかと、本当に気が気でなかった。
斯くして訪れたのが昨日の放課後に起きた「真田勇気救済劇」である。
これまでは真田をいじめるにしてもあまり派手なことをしなかった佐伯たちが、昨日に限っては、よりによって絢音自身と──その他衆人という形で──クラスメイトたちを盛大に巻き込んで茶番劇を巻き起こしたのだ。そのシナリオは真田が絢音に声をかけてきた時点で概ね想像がついた。
つまり、佐伯たちは真田にクラスメイトの前で絢音へ告白する行為を強い、彼に恥をかかせようとしたのである。もちろんそれで真田が振られるまでがひとつの流れだ。
こういった告白の強制は、学園モノの漫画やドラマなどでしばしば登場するいじめの手法であり、大体はモブ扱いを受ける主人公が高嶺の花と評されるヒロインへと無理やり、もしくは何らかの罰ゲームとして告白させられる(結果については作品によってマチマチだ)。絢音も以前読んだ少女漫画で似たような場面を見た(作中では男女が逆だったが)。
絢音は主に人格面に対する自覚から、自分が人として優れているなどとは思わない。しかし単純にガワだけを見たとき、白百合絢音という少女が周囲からどういったイメージを持たれ、どういう評価を受けているのかくらいは把握していた。
誤解を恐れずにいえば、客観的に見て
対して真田勇気という少年は、こう言っては申し訳ないが容姿能力ともにひどく凡庸である。
業腹だが、白百合絢音と真田勇気、このふたりの間に歴然と存在するそのギャップが、佐伯たちに件の茶番劇の着想を与えたのは間違いない。
業腹といえば昨日、真田が声をかけてきた時点ですぐにピンときてしまった自分に対しても絢音は怒りを覚えているのだが。しかもシナリオを読みきった上でそれでもなお流れに任せてしまったことが許せない。
もし。
もし仮に真田から事前に相談を受けていれば。むざむざ彼に恥をかかせるようなこともなかったかもしれない。まあ、それも結局は絢音が受け身だったせいであり、驕りを含んだ言い訳にしかならないのだが。
恥ずかしいとか求められてからなどとぐだぐた言っていないで、はじめから積極的に動いていればいくらでも違う
(まあ……)
それでも昨日の放課後、教室での結末自体は決して悪いものではなかった。
佐伯たちが描いた茶番劇のシナリオは白百合絢音というキャストのアドリブによって破綻し、佐伯たちにとって(真田にとっても)想定外と言える大団円を迎えられたのだから。
しかし問題は終劇の後、緞帳が下りてから起こった。
具体的には絢音たちの帰宅後のことだ。
夜になって、複数のSNSに投稿者不明のとある画像がアップされた。
それは
画像にはモザイクなどの処理は一切施されておらず、少年は性器も丸出しで唯一、頭部だけは彼自身の物と思われる男物の下着が被せられ、中途半端に顔が隠されていた。
しかしそんなものは見る者が見れば一発で身元が判るレベルだ。名前についてもそうだが投稿者には隠そうという意図がまるでない。完全に晒すことを目的としたやり口である。
案の定、被写体となった少年の身元はすぐに特定された。
──私立翔山高校二年七組真田勇気──
普段あまりSNSを見ない絢音が、
元となった画像は、アダルト専門ではなく一般向けSNSを中心にアップされたためしばらくして削除されたが、ネット界隈には愉快犯染みた連中が星の数ほど存在しており、そういった連中はこの手のネタを決して逃さない。一度晒されてしまえば完全に消し去ることなど不可能だ。
それにダウンロードされたものについては傍目には誰が所持しているのかすら判らない。現に、他所のクラスの同級生が端末に保存したそれが、メッセージアプリのグループをいくつか経て、昨夜の内に絢音の元まで廻ってきている。
それを見た瞬間、絢音は怒りで目の前が真っ白になった。手に持ったスマートフォンを壁や床に叩きつけなかったことはもはや奇跡と言っていい。
証拠はない。しかしこれを誰がやったのかなど火を見るより明らかだ。
佐伯たちだ──そうに決まってる。
なぜ……どうしてこんな残酷なことができるのか。
もはや到底、佐伯たちを同じ人間とは思えない。
あいつらは……ケダモノだ。
(私は馬鹿だ……っ)
自分はなんて愚かしいんだろう。絢音は自身の甘さを憎んだ。
いじめを下劣な犯罪と断じて置きながら、真田と佐伯たちとの間にあったそれを三ヶ月近くも放置していた。
言い訳をするなら、いざというときは絶対に助けるつもりではあった。しかしそれも単に「照れ臭いから」などという自分の都合で先送りにしていただけなのだから酷い話だ。その間、真田はずっと苦しんでいたのに。佐伯に品性が云々と言っておきながら、これじゃどちらが下劣かわからない。
特に許せないのが昨日の自分だ。
(あんなことで彼を救った気になって……っ)
あとから振り返れば昨日の絢音は完全に自分に酔っていた。佐伯を言葉でやり込め、真田のために味方を集い、いつの間にかまるで
(そうよ……彼が誰にも助けを求めなかったのは)
佐伯たちにあの写真を握られていたからだったのだ。
自分たちに逆らえば晒す、とでも脅されていたのだろう。
(なのに……っ、私はっ)
したり顔で、どうして? ──だなんて。
「最低じゃない……っ」
ぶちりと下唇を噛み切った。
口内に血の味が広がり、傷口がずくずくと痛む。
(真田くんはもっと痛い……っ)
結果として、絢音がとどめを刺してしまったようなものだ。
佐伯を直接やり込めたのは絢音だが、見ようによってはあのときの真田は佐伯たちに対し従順だったとは言えない。
結局は佐伯たちがどう思ったか、なのだ。そしてその答えは既に出ている。最悪の形となって。
(せめて昨日、あいつらを逃がさなければ……)
四人ともいつの間にか居なくなっていたが、あの場で徹底的に追及し、弾劾し、教師に突き出すなどして完全に潰してしまうべきだった。
そうでなくともどうして後処理を怠ったのか。
なぜ、何かしらの報復があることを予想できなかったのか。
自分で彼らを犯罪者と罵っておきながら、やはりどこかでまだ「やんちゃな少年たち」という印象が拭えていなかったのだ。
実際は犯罪者と呼ぶのも生ぬるい真性のケダモノだったのに──
「絶対に……許さない……っ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます