第2話 告白(2)

(ですよねー)


 うん、知ってた。

 それは百パーセント予想できた答えではあったものの、勇気はがっくりとうなだれた。脈などない、そんなことは初めからわかっていた。

 とはいえ相手は誰もが認める校内一の美少女である。勇気にだって白百合に対する憧れや淡い恋心ぐらいはあったのだ。たとえ無謀な相手がでも、想うだけなら自由だ。


 その淡い想いすらもたった今、衆目のもと木っ端微塵に打ち砕かれたわけだが。


(もういいや、帰ろう……)


 ともあれ押し付けられた「ミッション」自体は果たされたのだからもういいだろう。

 むしろにとってはこうして勇気が玉砕するところまでがワンセットなのだろうし。

 きっとさぞかし満足してくれたことだろう。


 案の定。


「ギャハハ、ウケるぅううう! 真田ぁ? お前、白百合さんに告るとか無謀すぎィ! まともに鏡見たことあんのかよ、おい」

「ぶふっ、ちょ、ひど! 佐伯、おまっ、笑いすぎだって!」

「いや、お前も笑ってるけどな? まあ、笑えるけど」

「ったく、白百合さんもいい迷惑だよな。あ、白百合さん! うちの真田がごめんね?」

「グハッ、うちのって千田ぁ、お前は真田の何なんだよ?」

「んあー、ダチ……いや、飼い主?とか??」

「なら、ちゃんと躾ろよ」

「ぶはっ、ちょ……っ、もうやめてえ!」


 佐伯、清水、須釜、千田。この茶番劇の仕掛人たちだ。

 一応でも進学校に通っているだけあって明らかな不良とまではいかないものの、各々が体育会系でガタイがよく、声も無駄に大きくやんちゃな彼らは、勇気も所属するこの二年七組でクラスの顔役を自任している連中であり、周囲もなんとなくそれを認めている。


 こいつらが自分たちの顔役だなんて勇気は絶対にごめんだが。


 四月、二年生に上がって間もなくの頃から勇気は佐伯たちによる陰湿ないじめを受けていた。いじめが始まったきっかけはもう覚えていないし、もしかしたらきっかけなんてそんなもの何もなかったのかもしれない。


 最近やけに絡まれる。そう気づいたときには既に手遅れで、勇気は佐伯たちの玩具だった。


 もちろん抵抗はした。しかし無駄だった。全員が運動部に所属し体も大きく力も強い佐伯たちに対し、背も低く撫で肩で典型的もやしっ子の勇気が抗いきれる道理などなかった。今回の強制公開告白しかり、である。


「………………」


 勇気は佐伯のにやけ面を上目遣いでじとりと見た。暗にやることはやったぞ、これでいいんだろ。そんな気持ちを込めて。


「おいおい、睨むなよ真田ぁ。俺たちは名前ばっか勇ましくってヘタレなお前のためにちいとばかし背中を押してやっただけだぜ? ありがてえだろ? なあ、くん」

「ははっ、よかったじゃんか真田。憧れの白百合さんに、みんなの前で告白できてさ。まさに晴れ舞台ってやつだ」

「うははっ」

「いやいや、お前らほんとひでえなあ」

「お前が言うなし」


 一体何がそんなに面白いのか……。

 佐伯たちは適当なことを言い合いながらげらげらと笑い続けている。

 野次馬たち、つまり他のクラスメイトたちはといえば、一部佐伯たちに同調する者や、呆れたように笑う者、気まずそうに目をそらす者や勇気に対し同情や憐れみの籠った視線を向ける者などその様子はさまざまだ。


(白百合さんは……)


 ふと。

 勇気は謂わば自分に対するいじめの巻き添えでくだらない迷惑を掛けてしまった彼女の反応が気になり、そっとその様子を窺い──


「!?」


 思わず息を飲んだ。

 咄嗟に悲鳴を漏らさなかった自分を誉めてやりたい。

 そこにあったのは無。

 完全なる無表情。

 勇気の目に映る彼女は今、白磁のように色白で、人形のように整った顔に、能面のような無表情を張り付けていた。

 

(こ、怖い……っ)


 ぞわっと鳥肌が立った。

 その佇まいはぞっとするほど美しい。

 ただ、あまりにも綺麗でいっそ無機質にすら感じる今の彼女を到底、自分たちと同じ人間とは思えない。

 

(美人がキレると怖いって聞いたことあるけど……こういうことなのか)


 などと、ある意味実地で学べたわけだが、問題はその怒りの矛先である。


 白百合絢音は頭が良い。

 ことの経緯などとっくのとうに理解しているだろう。

 もしかしたら最初からわかっていた可能性もある。

 だったら助けてよ、と少しは思わないでもないがそれはさすがに理不尽というものだろう。

 当然だがいじめは実際にいじめるやつが一番悪い。次にそれを助長するような連中だ。その他の傍観者について勇気は加害者とまでは思わない。誰だって進んで面倒事に関わろうとは思わない。立場が逆なら勇気だってそうだ。

 その点、白百合は傍観者に含まれる。

 十中八九、勇気が佐伯たちからいじめを受けていることは知っているだろうが、彼女はこれまで一貫して無関心を貫いてきた。

 勇気の判断基準でいえば、絢音は味方とは言えないが敵でもない、ということになる。もっと言えば、単に同じクラスというだけで、関わり自体がほとんどないのだが。


(……てか、これまでまともに話したこともないし……)


 そんな相手に衆目のさなか告白するなど、いかに佐伯らに強制されたとはいえ、勇気は白百合に対してかなり失礼なことをしてしまっている。ある意味嫌がらせみたいなものだ。

 心配しすぎかもしれないが、勇気はこれまで自身に無関心、無関係だった絢音に対し、わざわざ自分から非友好的な形で関わりを持ったに等しい。これはもうキレられても仕方ない。

 とはいえ、


(うぅ……主犯は佐伯たちなんです。僕はこんなことしたくなったんだ。本当に仕方なかったんです……)


 勇気は心中で言い訳をしつつ、床に視線を落とした。

 とてもじゃないがこれ以上は白百合の方を見ていられない。


 その時だった。


「くだらない……」


 季節は初夏だというのに、底冷えしそうなほど冷淡な声が響いた。

 白百合だった。

 続けざま、佐伯たちに対しまるで汚物でも見るような目を向けながら、


「佐伯くん。これが高校生にもなってやることかしら? 恥ずかしいとは思わないの? 正直、同じ人間として品性を疑うわね」


 と、彼女は吐き捨てる。

 それに対し、


「はあ? いやいや、俺が一体何したってんだよ」


 と佐伯はへらへらとした態度で躱そうとしたのだが、


「はぁ……。そういうの、いらないから。あなたたちが普段から真田くんに何をしているかなんて周知の事実でしょうに。それともあれかしら? 自分の品行すらも省みれないほど馬鹿なのかしら? だとしたら品性だけでなく知性の有無についても疑わないといけなくなるわね」


 白百合が容赦ない追い打ちをかけたことで、


「んな……っ!?」


 と、目を剥いた。


「……おいおい、ちょっと待ってくれよ白百合さん。その言いぶりだと、あんたも知らんぷり決め込んでたわけだろ? それって要するにあんたも同罪ってことじゃないのかよ」


 佐伯は眉をひそめつつ反論を口にする。

 白百合に対し、同じ穴の狢だろう、と言いたいらしい。

 しかしそれでも白百合はどこ吹く風だ。


「あら。一応罪は罪として認識できているのね? びっくりよ。意外だけど少しだけ見直したわ。それなら私も認めましょうか。ええ、たしかに私は真田くんがあなたたちからいじめを受けているのを知った上で、それをこれまで放置してきたわ。もちろんかわいそうだとは思っていたけれど……でも、わざわざ止めようとは思わなかった。なぜなら私は物語に出てくる正義の味方なんかじゃないからよ。普通、人は自身に直接害が及ばない限り、大抵のことは見て見ぬふりをするでしょう? まあ、人道的見地から言えばあまり誉められたことではないかもしれないわね。──けど、それが何? 自身の平穏を守るためにする『見て見ぬふり』は決して罪なんかではないわ。むしろ人として──いいえ生物としての本能、謂わば当然の権利ね。私はただ、それを行使しただけ。何が問題なの? もしもそれが罪になるというのなら、日々世界のどこかしらで起きているテロや紛争をただテレビのニュースで流し見ているだけで特に何もしない私たち日本人は全員が咎人ということになるじゃない。──と、まあ私はそう思うのだけれど……どうかしら? ねえ、佐伯くん? 私、何か間違ってる?」


 白百合の言い分はかなりの極論……いや、もはや暴論だった。しかしある種の正論でもある。少なくとも勇気は彼女に同意する。

 それに──


(白百合さんてこんな風にしゃべることもあるんだな)


 白百合は特に寡黙な性格というわけではない。人気者故、よく友人知人から話しかけられるし、その際には気さくに受け答えをしている。

 ただ、おしゃべりかというとそれもまた違う。優等生、が一番イメージに近いだろう。

 そのためこれほど舌鋒鋭く多弁を振るい相手をやり込める姿は、これまで勇気が白百合絢音という人物に対し抱いていたイメージを大きく覆すものであり、場違いにも感動を覚えた。

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