紙を手渡されたのだが
ラッシュ時の電車内には痴漢が多い。
世の中には目の前に女が居れば触っていい、なんて異常な思考をする奴に事欠かないのだろう。中には卑怯な集団も居て、数人で取り囲み痴漢行為を働く、狂った奴まで居る始末だ。そんな連中は問答無用で去勢してしまえ。どうせ悪さしかしない。
ついでにGPSを埋め込み、常時行動を監視した方がいい。性犯罪者は統計上も再犯率が高いのだから。狂気の性衝動を抑えられないのだろう。懲りることなく犯行を繰り返すだけ。
被害者である女などどうでもいいが、犯罪行為とはまた別の話だ。
でだ、隣に居る奴はストーカーだったのか?
触れるか触れないか程度の距離に居て、ずっと俯いたまま傍に居るんだよ。
時々視線がこっちを向くようで、目が合うとすぐに俯いてしまうが。
ひとつ。
推測でしかないが、痴漢被害に遭って怖い思いをした。そして同じ車両の人物に助けられ、その人物は同じ時間帯に同じ車両にいつも居る。
これを使えると判断した可能性もあるんじゃなかろうか。
つまりだ、体のいいボディガード。犯罪行為を見過ごせない俺だからこそ、都合よく使えると踏んでもおかしくはない。
金取るぞ。タダでなんでもしてもらえると思ったら、大間違いだ。
対価も無しに使われる気は一切ない。女子ってのはこういう点で卑しいんだよ。
もうひとつ。
母さんが言っていた「好かれた」だが、これはあり得ない。
それこそ三文小説であり三文芝居。仮につり橋効果だったとしても、そんなものは少しの時間で覚めるものだ。
隣に居る奴を見てみる。
特別背が高いわけじゃない俺から見ても、少し背が低いと思わせる。頭頂部が見えるんだからな。つむじの部分はやっぱ髪が薄くなるんだな。そこから禿が進行するとか。禿げたらヅラの世話になるのだろうか。それともポンポンポンって、粉を振ってみたり。見て見てぇ、なんて言って粉を塗して禿隠し。
いかん。想像したら笑いがこみ上げてきた。
目が合ったぞ。
「あ、あの」
なんだ? 会話する気は一切無い。名前を教える気も無い。関わる気も無い。いっそ、この場から離れてどこか遠くへ消え去って欲しい。
「こ、これ」
は?
紙を手渡された。それと同時にまた俯いてもぞもぞ。
ゴミを渡されたのかと思ったが、よく見ると封筒のようだ。表面には花柄があり色味はピンクで……。
考えたくは無いが、昔、これと似たようなものを受け取った記憶が。
学校最寄り駅に着いたようで、疑問は学校に行ってから解消するしかない。
さっさと電車を降りてホームから車内を見ると、封筒を手渡した女子が小さく手を振るのが見えた。
いや、考えたくないが、まさかの事態かもしれん。
マジで要らない。マジでうざい。マジで死にそうだ。
手の中にある少し小さめのピンクの封筒。
捨てるか?
ホームから改札を抜け学校へ向けて歩き出すと、背中から声が掛かった。
「長沼。彼女と一緒に乗って来たか?」
意味が分からん。
「なんだそれ」
「助けた子だよ。同じ電車で通学してるんだろ」
「知らん」
「どこの学校の生徒?」
こいつ、知らんって言ってるのに、お構いなしだな。
「知らん」
「お近付きとか無いの?」
「無い」
「せっかくのチャンスを棒に振ってんのかよ」
知らねえっての。お前基準では助けた女子は自分に惚れて、お付き合いが始まるのかもしれんけど。
あいにく、そんなことに興味は無いし、貴重な時間を費やす気も無いんだよ。
青春ごっことか惚れた腫れたは、他所で勝手にやってくれ。
あ。
「その手に持ってるのなんだ?」
気付かれた。
バッグに仕舞えば良かったんだが、捨てる気満々だったせいで、手に持ったままだったんだよ。
「それ、ずいぶん可愛らしい封筒だな」
お前、顔が崩れてるぞ。にやけて気色悪い笑顔を向けてんじゃねえ。
「そうか、そうか。長沼にも春が来たか」
やっぱり惚れられたんだろ、とか言ってるし。知らねえっての。
過去の出来事から想像するに、その可能性は高いんだが。その当時は受け取った封筒を、女子の目の前で破り捨てた。泣きながら走って行ったけど、そのあとがな。
女子数人に囲まれて「ひどすぎる」だの「せめて読んで返事くらいしろ」だの「人の気持ちを踏み躙るな」だの、散々文句を言われたからな。
同じ過ちは繰り返さない。目の前でってのは女子から攻撃される口実を与える。
とりあえず持ち歩いて、適切な場で処分するのが妥当と学んだ。
「お前にくれてやる」
「は?」
「だから俺には不要だからお前に」
「バカか。それは長沼にって渡されたんだろ」
女子の気持ちを少しは理解しろ、と言ってるけど、理解する意義があるのかって話だ。
「メリットが無い」
「いや、あるだろ」
「下僕を所望してるんだろ」
「なんでだよ。それ、どう見てもラブレター」
あとで学校で読んで、それから判断しろと言われた。
学校だと恥ずかしいとかならば、家に帰ってからじっくり読んでみて、その上でどうするか決めるべきだとも。
要らねえんだけど。
教室に入るとアホが「長沼がラブレターもらったぞ」とか、友人に言いやがった。
「やっぱ好かれてるじゃん」
「いいなあ。ねえ、その子可愛いの?」
「痴漢に遭うくらいだから、可愛いか、それかダイナマイトバディとか」
こいつらバカだ。
こんなもの、あとできっちりゴミ箱直行だ。
だが、昼休みに興味を抱き続けた阿呆どもに、読めと強制されたのは言うまでもない。
俺が捨てる可能性を考慮して、捨てるにしても内容を確認してからだと。
一見、正当な理由でもって強要されたが、こいつらは単に興味本位なだけだ。
しつこく読んで聞かせろ、と喚くことから渋々開封して、中身を見ることにしたが。
『先日は助けていただきありがとうございました。とても嬉しかったです』
勝手に喜んでるのかよ。
『あなたの名前は知りませんが、私はずっとあなたを見ていました』
ストーカーじゃん。
『あ、私は
次の文面が想像できた。
『あなたのお名前を知りたいです』
やっぱそうなる。
『本当は口頭で伝えたかったのですが、勇気が出ないのと恥ずかしくて』
知らねえっての。
『よろしければお名前、教えてください。お願いします』
ん?
これで終わり。
なんだこれ?
「ラブレターってのは、本来どういったものだ?」
「なにが?」
「これ、名前を教えてって書いてあるだけだ」
「え? マジ?」
見せてみろと言われ便箋を渡すと「マジか」とか言ってるし。
「照れ隠しにしても、肝心要の告白が無い」
「お礼と名前教えてってだけ」
「あ、でもあれかも。名前を知ったら今度はちゃんとラブレターとか」
ただ、気になる文言があったと。
「ずっと見ていましたって奴」
「それな。なんかストーカーっぽいけど、電車内で見かけて思いを募らせたとかな」
「その線もありそうだな」
やめてくれ。勝手に惚れるんじゃねえ。
結局、名前くらい教えてやれとか言い出すし。きっちり自己紹介して付き合うべきだとも言い出すし。お前ら勝手にくっ付けようとしてんじゃねえ。
要らねえんだよ、乞食の世話をするボランティアじゃねえんだから。
「でもなあ」
「あ、そうだよな」
「長沼なあ」
「なんだよ?」
女嫌いで少しも近寄ろうとしないから、この実態を知ったら幻滅しそうだ、とか言ってるし。幻滅ってのは勝手に想像しておいて、理想と違うとなるからそうなる。
人のイメージを作り上げて、違うとなれば蔑むってのも、女子にはよくある話だ。
自己都合で作り上げたイメージ通り、なんてのは早々あるもんじゃねえんだよ。その辺もまた自分勝手で救い難い。
女子がクソな理由は山ほどあるが、良い点なんて探しても出てこないだろ。
「勝手に幻滅していればいい」
「少しだけ愛想よくすれば?」
「嫌だ」
「ずっと見てたんだから、好かれてるだろ」
妄想の中で理想を組み上げて夢見てんなっての。
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