第2話 文芸部員の本分とは



詩織しおりはさ、準備とかないの? 演劇部の」


 ふと、気になったことを彼女に尋ねる。

 俺は全然暇を持て余してても良いのだが、彼女は俺と同じように部室でくつろいでいてもいいのだろうか。というのも詩織は純粋な文芸部員ではない。彼女は文芸部と演劇部とを兼部していて、あっちでは期待の一年生ということになっているらしいのだ。といっても彼女としては演劇部よりも文芸部の活動に力を入れているためにあまり演劇部の活動には参加しておらず、ときたま演劇部の部長が「詩織、今日は練習の日でしょ」と言って無理やり彼女を練習に引っ張っていくのだが。

 そのとき演劇部の部長とは「お互い大変ですね」と視線で互いを労わり合うことが常態化しており、このことからもどちらの部活の先輩にも迷惑をかける詩織が大概なやつだということがわかって頂けると思う。

 まぁおかげで、演劇部の部長(美人と有名)と顔見知りになれたんだけどさ。

 俺からの問いかけに詩織は虚を突かれたように一瞬だけ驚いた素振りを見せるが、すぐにいつものような楽し気な声で答えた。


「演劇部の準備ですか? まぁ一応ありますけど……気になりますか? 教えて欲しいですか? 教えて欲しいんですよね?」


 相変わらず、はてなが多い。

 ここまで「教えて欲しいか」と彼女に言われた俺は、もちろん首を盛大に横に振った。だってウザいし。だって、ここで首を縦に振ったら「やっぱり先輩って、私のこと気になるんですねー。 これだから……」等と言われかねないし。彼女を調子に乗せない、というのも接する上でとても重要なことである。


「そうですか。 ふーん、そうですか」


 興味を持たれなかったことをねているのだろうか、少し頬を膨らませた詩織は無言のまま俺の顔をジーッと見つめてきた。彼女としては構って欲しいのだろうが、俺はさらさら反応する気はない。ここで反応してしまうと、先ほどの無関心が無駄になってしまうからだ。俺は彼女の視線から逃れるように窓の外を眺めることにした。


 それからしばらく経った。

 さすがの彼女ももう”ジーッ”と攻撃も止めた頃合いだろうと視線を横にやると、彼女は俺が思っていたよりも近い所からから未だにジーッと俺を見つめていた。今にも食べてしまおうか、というくらいに近いし、目も血走っている。

 思わず仰け反りそうになる、そんな俺に詩織が一言。


「やっと目が合ったね――」


 そう言うとハイライトが消えた瞳を細めて、彼女はさらにグイッと顔を近づけてきた。声は可愛く作ってあるが、見た目は完全に他の女にうつつを抜かしていた彼氏を問い詰めるヤンデレ彼女そのものである。俺、こういうのラノベとか漫画で見たことある。


「怖いわ!」


「えー、高木さんのパワーアップバージョンだったんですけど」


 声を荒らげる俺に対し、「そんな反応は予想外ですよー」と残念そうに机に突っ伏す詩織。

 まさかとは思うが、「うわっ、可愛いなこいつ!」みたいな反応を詩織は期待していたのだろうか。もしそうであるなら、まずは瞳にハイライトを入れる所から始めるといいと思うぞ。

 ガタっと音を立てておもむろに椅子から立ち上がると、合わせるように詩織も顔を上げた。

 パァっと表情が華やぐ。


「どうしたんですか? もしかして、やっぱり私を襲いたくなったんですね? この可愛げしかない子羊を。 今机の上で小さくなっているこの子猫を」


 口を開けばイラっとさせるのは、ある種の才能だろうか。

 だがここで挑発に乗っては彼女の思うつぼだ。俺は一度目をつむると、大きく深呼吸を一回、二回……気持ちを落ち着かせた。こういう時は、雑念などを思い浮かべずさざ波さえ立っていない水面のような気持ちになることが肝要である。


「……本でも読もうかな」


 ある種仏になった心持ちで目の前の彼女を無視した俺は、彼女が座る席の後ろにある本棚の前に立った。悟りを開いたような、不動の心を手に入れた俺の前に広がるは色とりどりの背表紙。

 詩織とのしょうもないやり取りのせいで忘れてはいけないが、ここは文芸部。言わずと知れた本の虫たちの巣窟そうくつもとい陰キャのたまり場だ。

 そして部員の本分といえば読書である。

 小説を書いたり、漫画を描いたりするのではなく、ただただ純粋に読書を楽しむ――ただただ何もやりたくなかったのか、それとも本当に本が好きだったのかは定かではないが、このような崇高で怠惰な活動理念を堂々と打ち立てられているこの部活に所属する俺は、敬虔けいけんな態度でその活動精神に準ずるべく書籍を吟味する。

 ああ、もちろん文化祭へ文芸部が出店する予定もない。この部室は、本もたくさんあることから一般客らの休憩所として毎年使われており、一緒に回る相手などいない生徒達が文化祭という悲しき時間を潰すためのオアシスとなっている。


「先輩はどれを読むんです?」


 詩織はなんてことなく椅子に座ったまま体をくるっと回転させると、俺の脇の方へ腕を伸ばして一冊の文庫本を手に取った。チラッと見えた表紙には美麗なイラストが描かれており、今流行りのラノベらしいことが分かる。


「お前って、そういうのも読むのな」


 詩織はよく海外の作家の小説や芥川賞やらといった堅苦しい小説を分かった風な顔をして読んでいたイメージだ。そんな彼女の意外な選択を当人に指摘すると、彼女は口端をあげた。


「あまりこういったのは、今まで読まなかったんですけどね。 高校で誰かさんに出会ってからこういった軽めのものも読むことも増えました。 ……ていうか、私の趣味に気づくなんて君も侮れないですねぇ」


 私のことを鬱陶うっとうしいと口では言ってるくせに、とページをめくりながら軽口を叩く彼女を軽く流しつつ、俺も本を探す。黒茶色っぽく変色した木製の本棚には所狭しというようにびっしりと本が詰まっており、優柔不断な俺にとって一冊の本を選択するだけで一苦労だ。

 年季の入った本もあれば最近部費で購入されたものもあり、古くは森鴎外、最近では大森藤ノといったところまで幅広いものが蔵書されている。蔵書の仕方もばらばらで、『羅生門』の横に『ゲーマーズ!』があったりするから、もう何が何だか分からない。しかしこれも部の伝統らしく、「本との出会いは一期一会。 その時偶然手に取った一冊との運命を楽しもう……云々」という理念に基づき、ジャンルや時代等を無視した並びで置いてあるらしい。整理するのが面倒くさいんだろ、などという野暮なツッコミはなしだ。

 さて何を読もう。

 ちなみに好きな小説はラノベということを堂々と公言している俺は、堅苦しい純文学等には目もくれずひたすらGAやガガガなどの文字が書かれた背表紙を血眼になって探している。ただ俺が見ている段が悪いのか、どこにもそういったポップでカラフルな背表紙が置いていなかった。

 ちくしょう、ダブル村上しか置いてねぇ!


「先輩も私と同じものを読みます?」


 悩む俺に、彼女はさっき無造作にとった小説を見せてきた。詩織が指さすところには、彼女が手に持っているのと同じ小説がもう一冊置かれている。

 どうやら間違えて2冊買ってしまったものらしい。俺は何となくその小説を手に取った。それは今話題となっている小説の第一弾。人気なものには抗え精神が豊かな逆張り男こと、俺――東浜龍臣ひがしはまたつおみにとってこういうCMなどでも有名な小説を読むのは屈辱ではあるのだが。

 とはいっても、読まず嫌いというのもあまりよくないことであることも承知の上。俺は気が進まないもののページを捲って、俺が読むに値する小説かを確認することにした。

 まず、表紙のイラスト……神。

 次に扉絵の一枚目……神。

 二枚目の扉絵は、ほぅ黒髪ロングキャラの水着か……神。


「うん、読むしかねぇ」


「結局挿絵の女の子の可愛さに惹かれて読むんですね」


 うわー、とどこか軽蔑けいべつした風に眉をひそめる詩織。

 いつもは飄々ひょうひょうとしていて感情がどこに在るのか読めないやつではあるが、嫌悪感だけはこうやって正直に示してくるあたりが嫌らしい。こいつも最近はラノベを読むと言っていたくせに、思春期の健全な男子精神というものをそれらから学び取っていないようだ。

 何と恥ずべき事よ。

 軽蔑する眼差しを向ける詩織に、俺はあわれな眼差しを向ける。


「絵ばかり見てるから、先輩は人の心情を読み取るのが下手なんですよ」


 わざとらしくどうしようもないと両手をあげて嘆息して見せる詩織。

 急にディスられたのは意味不明だが、常に瞳からハイライトが消えているキャラなんてアグネス〇キオンくらいしか知らない俺にとって、確かに彼女の心情を読み取るのはまだまだ先な気がした。

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