第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その558
―――太いロープを引くときに使う掛け声が、星明りの下に響いた。
戦場でも海上でも、歌と音楽は大切な道具だったよ。
心をひとつにするものであり、敵を威嚇するものでもあった。
進軍のラッパは有名だ、軍歌の種類は多くある……。
―――戦術的に、とても有効だからだよ。
それがまして、レイチェル・ミルラの『指揮』においては特に。
『諸刃の戦輪』が奏でる音に、戦士たちは完璧な呼応を果たした。
足で甲板を叩くように踏む、うなりの声はひとつに融け合っていく……。
「な、なんだ……っ」
「亜人種どもは、いったい、何をやっている!?」
―――帝国兵どもの多くは、この地方の『引き歌』を知らない。
それらは固有のバリエーションを持つものだから、なかなかそれに気づけないね。
『プレイレス』の中心部から比べれば、この土地は田舎ではある。
支配者が度々代わり、奴隷貿易の中継拠点でもあった……。
―――そんな土地の『引き歌』は、荒々しく狂暴なものだ。
怒りと恨みが、しっかりと染みついたものだよ。
それは夜の海上で聴きたいものじゃないね、売られていく者の恨みがある。
鞭打ち痛めつけられた者の怒りがあり、閉塞した世界の可能性を壊したがっていた……。
「神よ、神よ!!聞いてくれ、オレは無実だ!!」
「聞いちゃいないさ、お前の神は、荒くれ者を見捨てたのさ!!」
「無実のまま、捕らえられ!!安い金で、売られちまった!!」
「逃げ出せば良かったんだよ、ド間抜けめ!!」
「船を引け!!船を!!ロープと鎖が、オレたちにはお似合いだ!!」
「銀貨三枚、盗んだだけだ!!」
「オレはパンと引き換えに、同じ体重の小麦袋と取引だ!!」
「恨みは骨髄までに、染みわたり!!」
「神よ、神よ!!」
「やめておけ!どうせ、オレたちの声は届かない!!」
「無慈悲な神々には、きっと地上は見えてねえ!!」
「無慈悲だから、見えているんだ。無視されているだけ!!」
「もう十年だ。故郷には、待っていた女がいたのに!!」
「どいつもこいつも、オレたちのことを忘れている!!」
「彼女は違うね、彼女だけは!!」
「きっと、他の男の子を産んでいるだろうぜ!!」
「ぶん殴られたいのか!ケンカなら買うぜ、そういう風に生まれちまった!!」
「港に戻れば、安酒でガマンだ!故郷の料理は、もう二度と!!」
「口に入ることはない、老いた両親も、とっくに墓の下!!」
「すべては、『人買い』どもせい!!」
―――ヒトは過去で出来ていて、ゾロ島にいる漁師たちの多くは不幸だった。
『引き歌』の歌詞は、変則的なものが多い。
歌い手たちが作った曲の流れに対して、即興で歌詞を乗せていく。
日替わりで変わっていき、歌った本人さえ翌日まで歌詞を覚えてはいないさ……。
―――半ば無意識的な歌詞の選別をしていてね、それは即興の面白さがあった。
そして、明確にあったのは世の中への怒り。
それはこの大陸の事実上の支配者である、帝国への怒りとほぼほぼ近しい。
即興歌の多くがそうであるように、その内容は次第に苛烈なものへとなる……。
―――レイチェルが呪われた鋼で生み出しているリズムも、それを煽ってもいた。
音なんかでヒトの心が操られる、それはありえるのだろうか?
そんな疑いを世の中は持ちがちだけれど、答えは『十分にあやつれる』の一言だ。
戦場で鋼を構えている男たちが歌えば、それは特殊な儀式になる……。
―――命が危険にさらされている空間には、そもそも張りつめた緊張感があるものだ。
不思議な力ではなく、自らの感情の解放を促してくれるからに過ぎない。
感情が昂りやすくなっていて、怒りというものは敵を前にすると統制を失う。
レイチェルの音に操られ、彼らは狂暴性を隠せなくなった……。
「帝国兵どもを、ぶち殺せ!!」
「オレたちの敵を、八つ裂きにするんだ!!」
「どんな殺し方でもいい、可能な限りの苦痛を与えてやろう!!」
「どいつもこいつも、片っぱしから皆殺しだ!!」
―――荒くれ者たちの、殺意にあふれた歌声。
取り囲まれた状態で、そんなものを浴びせられ続けたら。
帝国兵どもも、恐怖に陥り始めていた。
ここでも指揮官の腕前が、見て取れる……。
―――こういったとき、どうすべきだったのか。
レイチェルの答えは、「歌わせれば良かったのに」だ。
歌には歌、歌声で怯えているのなら恐怖を払う歌で挑むのも士気を保つ方法になる。
その種の器用さと、心理的な理解をやれなくちゃいい指揮官ではない……。
―――混乱していく帝国兵どもに、命じられないまま。
レイチェルは『次』の策を、始めることにした。
彼女も歌うんだよ、敵は歌わずに怯えて聞きに入ってしまったから。
人魚の復讐を始めるには、打ってつけの状況だった……。
「怖がってしまうと、聞き耳を立ててしまうものです。皆の、無念を。届けてあげましょう。死にたくなるような歌というのも、あるのですから。帝国兵よ。覚悟するがいい。私は、まだリングマスターほど、やさしくなれていない。乙女じみた残酷さを、まだ身と心に宿している。あの日、私の仲間たちのサーカスを見ずに、ただ殺しただけの帝国兵。心に刻むがいい。海より深い、恨みがあるのだと。それが、どれほどの凶暴さを招くかを。味わえ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます