第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その555


―――死がすべての終わりではなく、愛は不滅なものだった。

レイチェルにとっての愛は、海より広いものだよ。

その愛に報いる方法が、復讐であるし。

彼から伝えられた知識を、伝授していくことでもある……。




―――キケは、船のはしから身を乗り出して。

目を閉じると、覚えたての感覚を頼りにする。

海のうねりや、風の音がよく聞こえてくる。

というよりも、アタマのなかにすんなりと入るような感覚に近しいようだね……。




―――ボクが試してみれば、もっと別の感覚になったかもしれない。

これは自分の本能的な感覚を、より明瞭に使いこなすための方法のようだから。

芸術家にとって、この種の感覚を嗅ぎ取るという行いは慣れたものだけれど。

それ以外の職種においては、かなり珍しい感覚なのかもしれない……。




―――集中というものの多くは、意志の力があまりにも多く出しゃばるものだから。

尖らせるようなイメージを持つ方も多いけれど、それとは真逆だね。

ありとあらゆる感覚を、素直にさせるタイプの集中もあった。

キケにも夜の波が見えた、今まで以上に明確に……。




―――鋼と語り合えるドワーフには、この方法は適合していたのかもしれない。

声なき相手の声を聞くのと、かなり似た感覚でキケは使いこなし始めた。

潮流の変化さえも、目視できるような気持ちになっていたし。

おそらく、それを実行するのは容易いだろう……。




「……面白い感覚だな。心も、やけに落ち着いてきやがるぜ」

「そういった副作用もあります。上手に、使いこなすのがコツですね。戦闘の際には、気を抜き過ぎてしまうと、遅れを取るときもありますから」

「なるほど。一長一短あると」

「むろん。完璧に使いこなせれば、武術は無我の境地で最適解の動きをしてくれる」




「さすがに、そういう境地に達するとは思わん」

「ええ。そもそも、そこまでになる必要はありませんよ。多くの戦いで、貴方は孤独ではないはず」

「そこそこ、頼れる若手たちもいるからな」

「そう。貴方の役目は、最前線の戦士というわけではありません。統率者ですよ」




―――年齢から考えても、キケはそういった役割りを果たすべきだ。

まだまだ健康で、一流の戦士としても動けるだろうけど。

混沌とした戦場でひとりの戦士よりも必要なのは、リーダーシップの発揮者だ。

それは落ちつい人物がやるべきであり、キケはどう考えても向いている……。




―――レイチェルはキケに、『追い込み』の戦術を任せてみることにした。

もう敵の船に逃げ場はないからね、キケは狼の群れを率いるリーダーのように。

大きな声で、漁船たちを操りにかかる。

敵船はさほど大きくないから、数で圧倒していたからね……。




「このまま乗り込んで、私が敵をせん滅するのが、最も手っ取り早い戦術ではあるのですが」

「言っただろ。疲れているあんたを、ひとりで戦わせたりはせん」

「ええ。その紳士的な申し出を断るほど、無粋な女ではありませんよ」

「おう!野郎ども、囲め!!クジラを仕留めるときの要領で、動くんだ!!ランプの火は消しておけよ!!闇に紛れろ!!」




―――星明りを頼りにするだけでは、正確な射撃なんて不可能だろうからね。

いい判断だよ、それにある程度は敵に近づいてからの方が効果的だ。

敵を、がっかりさせられるからさ。

戦況が困難になっていけば、士気を削り落とせるよ……。




「……帝国軍は、よく訓練されています。大嫌いですが、その点は疑いの余地など、何処にもない」




―――レイチェルは冷静だ、アーティストとしては必須の技巧だね。

心理操作術を使いこなすことは、感情をあつかうことでもある。

芸術の表現の大半が、自らの感情を動力にしているからね。

これを爆発させるように使うときも、もちろんある……。




―――例えば、体中に力を込めた躍動感のあるパフォーマンスだとか。

でも、情熱的なだけですべてが達成されるわけじゃない。

赤々と燃える怒りがあるように、静かな青で燃える怒りの焔もあるんだよ。

過剰な感情が不要なときは、それを減らす方法だっているのさ……。




―――サーカス時代に、彼女は夫からその方法をよく教わっている。

愛の強い彼女は、いついかなるときも激烈な怒りを抱えているわけだけど。

それを押し殺して、冷静な判断力も発揮は可能だ。

よくコントロールされた感情の持ち主だけが、最高のアーティストなのかもね……。




「よく訓練されている。それだけに、状況不利を理解させれば、武装解除と投降だって可能になるでしょう。リングマスターが、捕虜を取りました。敵も、その事実は理解している。抗ってくれるのなら、皆殺しにしますが……情報の確保を優先しましょう」

「了解だ!!距離を、保て!!間合いを詰め過ぎずに、焦らして、心を削ってやればいい!!あちらが抵抗するまで、攻撃はひかえておけ!!」

「抵抗するのなら、すみやかに!!容赦なく、烈火のごとき攻めで意志を砕きにかかってください!!号令を使い、ぜんいんが一致した動きで、逃げ場をなくす射撃を浴びせればいい!!明確に狙うのではありません!!こちら側の意志を、叩き込んでやればいいのです!!逆らえば、皆殺しにすると!!逆らわないなら、命を助けると!!」

「て、ことだ!!全員、レイチェル・ミルラの命令にしたがうぞ!!彼女は、最高の戦士!!猟兵なのだから!!」




―――猟兵がいる、その大声はあえて敵に聞かすためのものでもあったよ。

帝国兵どもは、震えあがるのさ。

多くの戦場で、『パンジャール猟兵団』の猟兵と遭遇したら最後。

全滅させられることも、多くあったからね……。




「恐怖も使いこなします。夏の夜には、適した演出ですからね」



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