第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その554


―――レイチェルは天才芸術家だけど、軍隊の指揮についてはどうだろうか?

そんな疑問を、ボクは持ったりしない。

およそ強力な指揮能力を発揮している軍人のたぐいは、芸術家ぶっているからだよ。

演説で士気を上げるときのソルジェとか、まさにその典型的な存在とも言える……。




―――戦場というものはね、とても混沌とした空間なんだ。

だから、戦力を確実に統制するだけでも十分に指揮官として優秀と言える。

というか、それがやれた時点でとっくの昔に超一流の指揮官だよね。

どれだけの訓練を積もうとも、その領域に達する者は稀有だった……。




―――キケの船の舳先に、レイチェルが現れる。

キケが彼女に注目を集めさせようと、大声で夜の海に怒鳴っていたから。

ゾロ島の漁師たちは、あっという間にうつくしいレイチェルを見ていたよ。

彼女は舞踏をするときと同じく、長い腕を伸ばす……。




「敵の斥候が、近づいているようです!皆さん、捕らえますよ!」

「りょ、了解だ!!」

「レイチェルの姉御、命令を出してくれ!!」

「手柄を、立てるぞ!!」




―――レイチェルは漁船たちの戦団を、ふたつに分けさせたよ。

北北東の沖に現れた帝国軍の小型船に向けて、正面と左舷から包囲するつもりだ。

波の流れは、東に向いているからね。

正面のこちらに気づかれても、方向転換して逃げるのに手間取るという配置さ……。




―――この指示を出した時点で、レイチェルの作戦勝ちは確定していたんだ。

彼女のすぐそばでキケはうなずいたよ、腕組しながらね。

やがて十分もしないうちに、敵船の影が見えたから。

だが、レイチェルがどうして敵の位置を感知したのかは分からない……。




「私たち『人魚』に伝わる、独特の感性があるのですよ」

「そいつは、ドワーフには分からないものか?」

「どうでしょうか。おそらくは、分からない。ですが、ドワーフには鋼と対話する力がある」

「古い血を持つドワーフには、その種の才能が宿るものだ。鍛練で、才を磨けば達人に。

あれと、似通った力だと?」




「海そのものが、教えてくれるのです。この感性を、教えるのは難しい。私と夫のあいだに生まれた息子も、まだ海の声を聞くのは不完全」

「あんたの、夫は」

「人間族ですよ。帝国軍に殺されてしまいましたが。ユアンダートの、人間族第一主義のせいで。狙われてしまった」

「……そいつは、悲しいことだ」




「息子に、海の声を聞くための訓練として行ったのは、より波を感じることです」

「波を、感じる?」

「揺れているでしょう。それは体が把握します。夜の海でも、星明りを反射して波が揺れるじゃないですか。波も見る。漁師なら、いつもやっている行為でしょう」

「ああ、いつも、だいたいな」




「それを、強化します」

「……強化、する?具体的には、どうやるって言うんだ?オレは、この海を長く知っているつもりじゃあるが……いや、オレ自身の感想など、どうでもいいな。教えてくれ。あんたのやり方を」

「思考から、感覚を解放しろ。ユーリには、そうやって教えました。これは、あの子の父親からの教えでもあります。表現能力を解放するためには、考えるよりも、本能に忠実な方がいいと……いえ、脱線しました。やり方は、おそらく貴方には簡単です。意識を、感覚だけに集中し、何も考えない。五感と、魔力の気配だけに集中する。やってください」

「……五感と、魔力だけを、感じ取る…………」




―――海と長く対話してきた男には、海の声を聞くための下地が完成しつつあったようだ。

ゾロ島のキケはレイチェルの言葉に従い、ただただ純粋に己の感覚だけに集中していく。

「判断はしません。感覚に対して、評価の一切をしないで。ただただ、感じるだけ」。

武術の極意にも似ていてね、それは間違いじゃない……。




―――考えるという行いは、どちらかと言えば抑制/ブレーキなんだ。

本能や感覚的なものに対して、否定的なものさ。

どうしても知識や経験値で『妥当な手法』を採用しようとして、本能を使いこなせない。

レイチェルの指導は、キケに対してその抑制を外すための方法を説いている……。




―――無言で黙り込み、自身に流れ込んでくるあらゆる感覚に対して。

キケはあまりに無防備かつ、素直に集中できていたよ。

海の上は危険なことも多いから、警戒心を常に張ってきたというのに。

今は子供のように無邪気で、体から緊張が失われている……。




―――鋼と語り合うときと、それはどこか共通していたのかもしれない。

これは人間族には理解しがたい、種族的な固有の感覚たちだ。

人魚とドワーフには許された、無生物との対話。

それをキケは流用し、自分の記憶のなかにある『海の記憶』と結びつける……。




―――心のなかに、海が広がっていたらしい。

絵を描くような感覚に近かったらしく、夜の闇もその想像力は払い去って。

漁船たちの船団と、敵船の気配を生々しいまでにキケに教えてきた。

今のキケには、敵船に乗っている者たちが武装を始めた様子まで見えてしまう……。




「矢を、準備していやがる」

「御明察です。キケさん、海の声は聞こえたでしょうか?」

「……いいや。そこまでは、ない。だが、序の口までは、掴んだような気がする。こんなやり方があるのか」

「ええ。本来は、舞台と、お客さまたちの心とつながる方法。そのアレンジ。サーカスの団長である夫が、遺した指導法のひとつ。お客さまたちの心とつながる方法。彼は、パフォーマーとしての才には恵まれなかった。でも、誰よりも、サーカスを愛し。指導法には長けていたのです」



「ありがてえこったぜ。おかげで、オレもこの年にして、新しい技巧を得られた。レイチェルさんよ。あんたの夫は、すごい男だぜ!」

「ええ。知っています。初めて、出会ったその夜から。あのひとは、とてもかがやいていたの」




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