第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その553
―――ゾロ島のキケの人生訓は、古くもあったが現代にも適応可能だよ。
けっきょくのところ、組織は不協和音で崩れ去ることが多いから。
とくに悪人たちの組織はね、自分を正しいと信じられない組織に頑強さはない。
目指しているのが個々の欲望であり、大儀らしいものはないわけだしね……。
―――何かしらの問題が起きたとき、自分の責任だと主張できる悪人は少ない。
およそ悪人という生き方には、余裕というものが足りていないからね。
奪った金があったとしても、それは正当性に欠いてしまうものだから。
混沌とした日々に耐えられるのは、悪よりも正義の方だよ……。
―――『ルードの狐』のなかには、地獄の虜囚生活を十年続けた者もいる。
爪をはがされ、片目までつぶされた。
目を失うという行為は、かなり特別な拷問でね。
戦闘中の怒りのなかでも狙う者は少なく、やるとすれば怒りではなく憎しみがいる……。
―――そんな拷問を受けたとしても、『ルードの狐』は口を割らないだろうね。
ボクたちは正義のために生きているからだ、クラリスへの忠誠と愛国心というものさ。
ルード王国を裏切るのであれば、死んだ方がマシだと心から思える。
狂気的だと感じる人たちもいるけれど、正しいと信じた道に命を捧げるのは喜びだ……。
―――戦士という立場に、正義や大儀が不可欠なのはこういう理屈からだよ。
地獄の苦しみにも痛みにも、耐久してしまえるからだ。
健康的かどうかまでは、ちょっと自信はないけれどね。
強さがあるのは、分かってもらえるんじゃないかな……。
―――正義を持てない悪人たちに、この力を使える者を見たことはない。
『ルードの狐』も、ちゃんと報復をするからね。
目玉をえぐってやるまでもなく、どんな悪人も降参したものだ。
腐敗した組織は、攻撃を仕掛ける者として怖くはないのさ……。
―――イージーな敵だから、こちらからすればありがたい。
元・盗賊たちは、ゾロ島のキケの差し出した道に飛びついた。
帝国を打倒するという正義を、彼らも受け入れてくれたよ。
威厳のあるキケは、やはり鬼教官としての資質が十分だ……。
―――レイチェルはその様子を見ながら、過去を思い出せる。
愛おしい夫との記憶だよ、彼はキケのようにいかつくも力強くもなかったけれど。
誰かを説得するための能力そのものは、たしかにあったんだ。
ふたりが会った入江で、愛を語るようにサーカス団へと導いてみせたからね……。
―――本来は保守的な種族である『人魚』を、見事に口説き落としたんだ。
サーカス団で成せる正義を、彼はおそらく世界でいちばん信じていた。
芸の才能がないと悲嘆していながらも、「君ならたくさんの人を笑顔にできる」。
泣いていた涙が乾くよりも先に、彼自身が笑っていたから……。
―――人生を変えてくれる時間は、そういうものだよ。
一種の感動というものが必要で、そういう力は正義が持ち得る場合は多い。
帝国軍に殺されてしまった夫に、この若者たちを尋問させたとすれば。
きっと、いつの間にか口説き落としていただろう……。
―――「いっしょに、サーカスをやろうよ!」。
戦場に誘うような真似を、彼は絶対に出来なかったけれど。
敵を殺すよりも価値があると信じている行いに、誘ったはずだ。
あの正義を断れる者は、きっといなかった……。
―――遠くに来たものだと、レイチェルは感じる。
サーカス団のアーティストだったときは、自分も怒りや憎しみと無縁だったのに。
愛する夫を殺されたから、あの居場所にいた仲間たちを皆殺しにされたから。
正義は変質して、痛みに満ちた怒りになった……。
―――それは大きすぎる悲劇だったよ、人々の命もそうだし。
レイチェル・ミルラと仲間たちが生み出したはずの、多くの笑顔が失われた。
天幕の下にいたころのレイチェルの笑顔は、二度と元には戻れない。
悲しさも感じてしまうから、ソルジェとの約束があって良かったと彼女は思う……。
―――いつか、サーカスの天幕の下に戻るのだと。
復讐の日々が終われば、それはきっと新しい日々の始まりになる。
ソルジェも復讐者だけの道を進んではいない、もっと豊かな道を選んだ。
我らが『人魚』の踊り子は、いつか夫の遺志を継いで笑顔で踊る……。
―――夏の海を、レイチェルは見通した。
星明かりの下では、いつだって夫の気配を感じられる。
心地良くて、さみしくて愛おしい痛みだ。
それと同時に、異物も感じ取ったよ……。
「……ん。どうしたんだ?」
「波に、不穏な気配が混じっているんですよ。敵の船かも。偵察してきましょう」
「あんただけを、行かせる気はねえ。疲れているハズだ。バケモノどもと、たったひとり、海の中で戦っただろう」
「私は、強いですから問題はありません」
「頼れよ。女神とやらに魔力を吸われるのが、どれだけ辛いかは、こっちも体験済みだ。あれを喰らって、休まないで働ける者は、さすがにいねえよ。あんたにも、ワシらを上手く使ってみるための練習になるだろう。この海で、ワシらよりも早く敵に気づけるなら、その感覚を、ちょっとは学ばせても欲しい」
「ふむ。それは、生産的な学習になるかもしれません」
「『人魚』の極意は掴めなくても、漁師だ。海に生きる者には、何かしらの糧になる。生粋の戦士よりも役に立たないと、舐められるつもりはねえんだよ。いっしょに、戦おう。そっちの方が、きっと強くなれる」
「……分かりました。いっしょに。とても、良き言葉ですね」
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