第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その379
―――レナスの価値が強まり、それをおぞましい悪人どもが求め始める。
『人買い』と傭兵が、レナスと母親の住む家を襲ったのだ。
アリーチェが女神イースといっしょに、その現場へとたどり着く。
殺された母親の遺体は、切り刻まれて無残だった……。
「ひどい。拷問されたみたい」
『見せしめとしたのだろう。レナスを脅すために。レナスは……このあとも……』
「私たちなら、変えられるはずなのに……」
『……過去は、変えられないが。この襲撃がなかった世界を創ることは……』
―――ちいさな女の子の姿になった女神イースは、そのちいさな手を伸ばす。
無残な遺体に、変化は訪れない。
女神イースは全身に痛みを覚えるが、それでも構わず力を使おうと試みる。
焼かれるような苦痛にも、耐えてはいるのだが……。
「変わらないね。これは、何か変。まだ、あなたの力は残っているもの」
『……ふむ。そのはずだが……これは、もしかすると』
「なに?なにが、わかったの?」
『レナスは、この現実を変えたくないのだろうか……』
―――悲劇的な過去を、神さまの力で変えられたなら。
それは大きな幸せな時間に、なるはずだった。
一般的には正しいし、多くの子供たちの見せたてくれた笑顔もそれを肯定している。
だけど、ありふれた正しさが万能だとは限らない……。
「そうだね。お父さんとお母さんが亡くなったことは、とても悲しいけど。それを、なかったことにしたいとは思えないかも。本当に大切だから、悲しいことでも、受け入れられるのかも……」
―――価値あることは、ヒトそれぞれに異なるものだから。
誰もが痛ましい過去を、変えてしまいたいと願うとも限らない。
死は、とても厳粛なものでもある。
触れて欲しいと願わない者だって、もちろんいるだろう……。
―――ミアの願いから、始まった行いだ。
それに、アリーチェが参加することで。
ここまでやって来たものの、レナスと直接出会えてはいない。
むごたらしく殺された母親の死体が、そこにあるだけ……。
『……これが、正しい道だという保証はない。レナスは、望んでいないのかもしれない』
「……私もね。死んでしまったことが、なかったことになるのは、ちょっと嫌なところもあるよ。でもね。それでも……このあいだ、悪いヤツを倒すときに……ふたりが来てくれたときは、すごく嬉しかったの。女神イース、あなたは、すごくいいコトをしている」
―――死んだ後でも、戦った娘のために。
両親の魂は、駆けつけてやりたくもなるはずだ。
それはアリーチェにとってもそうだし、レナスにとってもそうだろう。
女神イースは、そのちいさくなった腕に力を集めていく……。
―――無残な死体が光の粒子に変わって、女神イースの手のひらに吸収されていった。
彼女の記憶が、蘇る。
地上から呼び寄せた魂の一部と、照らし合わせながら。
女神イースは、レナスの生まれた日を幻視する……。
「はあ、はあ。生まれた。私の赤ちゃん……っ」
「よくやったぞ!ああ、男の子だな……オレは、父親になった。お前は、母親になったぞ!」
「うふふ。元気な声で、泣いているわ……名前は、どうしましょう?」
「候補は三つあったけど、決めた。レナスだ。お前は、レナス・アップルだ!」
―――ふたりは、生まれたばかりのレナスを抱きしめてあげる。
おっぱいを飲ませてあげながら、そのちいさな頭を母親になった者の手がなでた。
多くの祈りが、捧げられていく。
レナスの人生に幸が多く与えられるように、長い祈りが始まるのさ……。
「あなたの人生が、幸せであふれていますように」
―――すべての願いは、尊いものだけれど。
すべての願いを叶えてあげられるほど、神さまは万能じゃない。
世界もかなり歪な完成度で、正しい願望さえもはねつける悪と不運がいた。
レナスの人生は、『人買い』にさらわれてしまうまで幸せだったのに……。
―――客観視すれば、とても不幸な人生だろう。
両親と死別して、自分は『人買い』に去勢までさせられた。
声変わりを防ぎ、美声という価値ある商品を守るために。
祈りと真逆の悪意も、この世にはうろついている……。
―――牢の奥底で、切断された部分を押さえつけてうずくまる者がいた。
母親を殺された衝撃もあるし、自分の体に起きた絶望的な痛みと喪失も痛ましい。
自分を無理やり変えられてしまうことの苦悩は、言語を圧倒する。
筆舌にしがたい、どれだけの描写でも伝えきれるわけがないだろう……。
―――暗がりのなかに閉じ込められ、苦しみと絶望にもがくだけ。
あわれなことに、レナスは罪悪感さえも抱えてしまっている。
母親に対しての祈りだけで心を満たしたいのに、それが出来ないからだ。
痛みと苦しみで、自分のことを考えてしまう……。
―――父親から、聞かされていた事実があった。
レナスの出産は、相当な難産だった。
ベテランの産婆も、深刻な顔になるほどの戦い。
激烈な痛みとレナスと自身の死への不安に耐えながら、母親は戦い抜いた……。
「とてつもない苦しみのあいだ、それでも、母さんはお前のことだけを祈っていたんだぞ。もしものときは、赤ちゃんの方を……お前を優先してと……すごいことだ」
―――それなのに、自分は切り落とされた部分の痛みを考える。
自分が変えられてしまったことに、不安がっていた。
それは母親のしてくれたことと、あまりにも違っているような気がする。
ボロボロと罪悪感のあふれた涙が、冷たい牢屋の底を濡らしていくんだ……。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
―――それは、謝るべきことでもない。
置かれた状況が、あまりにも違い過ぎることだ。
レナスは孤独な戦いを強いられていたし、はげましてくれる者はそばにいない。
誰もが分かるはずだ、レナスは別に悪くなんてないんだよ……。
―――それでも、レナスは謝り続ける。
母親のことだけを、必死に考えたいと願った。
痛みに耐えて、それをしたいと。
聖歌隊にいてか細い体つきだけど、立派な息子として誇ってもらいたかった……。
―――そう主張できる権利も、奪われたような気がするから。
レナスは苦しくて、母親のことだけを考えられない。
罪悪感を背負い、罰を求める無実の子供がいた。
爪がはがれるまで床を引っ掻きながら、謝り続ける……。
―――何日も、何日も。
やがて、レナスは歌い始める。
嗚咽で潰れかけた喉に、見事な歌を。
母親のための歌だったが、それを『人買い』だけが聞いていた……。
―――ろくでもない男でね、レナスの美声に感動しただけじゃなく。
女のように改造した身体を楽しもうと、襲い掛かってしまった。
汚されていく自分は、ますます何かの資格を失ったとレナスは信じる。
それが客観的に正しくなかったとしても、レナスにとってはただひとつの認識だ……。
『……こいつは、許さん』
―――当然だ、女神イースは激怒している。
それに、そのとなりにいる新たな女神も。
女神イースの背中に抱き着いて、力を貸した。
『トリックスター』の、強大な権能が『追跡』をさせる……。
「……うん。こいつは、もう、あなたたちの『カール・メアー』に殺されてしまっているけれど。それだけじゃ、足りない。お父さんもお母さんも、こういうヤツは絶対に許しちゃおかない。千年苦しんだ、おじいちゃん。力を貸して」
―――『人買い』の男の魂の残りかす、地上に残ったそれを女神たちが見つける。
それを『再生』し、まがい物の命を与えてやれた。
赤い竜は罰を与える者のいかつい顔で、牙を使う。
それを呑み込み、胃袋のなかで千年燃える罰を科したのさ……。
「……私が、神さまなら。こういうことも、しないといけないかも。だって、とんでもなく悪いヤツっているもん」
―――アリーチェは力を貸した、それと同時に。
女神イースから力の使い方を、修得もしている。
継承していくのさ、女神イースの慈悲と罪科の獣の罰の力も。
幼く可能性のかたまりのような、『トリックスター』の成長に限界はない……。
―――ボクが『三つ目の勢力』を、気にしている理由も分かるはずだ。
女と子供の守護者でもあり、命と気高い騎士道を愛するアリーチェ。
彼女の『審判』と『救済』は、この戦いに疲れた大陸を癒す可能性はある。
戦災の苦しみを救い、悪を罰する女神の新教団……。
―――アリーチェは、『狭間』の女神になるかもしれない。
虐げられた者たちの心の、最高の受け皿であると同時に。
モチベーションと、『力』を与えるかも。
神々への祈りが強まり過ぎると、神さまも教団の信徒も争いを始め出す……。
―――理想の世界を、求めたとき。
宗教というものは、現状を破壊しようとするものだから。
アリーチェは正義と権能の使い方を、またひとつ学んだ。
とてもやさしい子だという点には、大いに心配性のボクは救われる……。
「さあ。レナスを追いかけよう。あの子、また……どこかに行ってしまったもの!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます