第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その343


―――新しい悲劇が、生まれていく。


『繭の怪物』の狂暴さと異質さに、若い戦士たちでは対応が遅れた。


そして、この脅威はかなりの強さである。


槍で突こうとも、剣で斬りつけようとも止まってくれやしない……。




―――痛覚なんて常識的な機能を、搭載してはいないのかもね。


女神イースの権能と『蟲』の力で編まれた、規格外の『何か』だから。


戦士がまたひとり、押し倒されたあげくに取り込まれる。


悲鳴を伴う『改造』は、数秒で終わってくれたのは唯一の幸いなことだろう……。




―――赤い猿が作られて、そいつは命を爆発させるような全力さで暴れた。


戦士たちも圧倒されてしまい、混乱はより大きくなっていく。


ビビアナは考えた、この敵が際限なく増える可能性についてね。


ありえるよ、『蟲』の軍事利用はこれまで何度も見て来たのだから……。




「増えるかも、しれない!!」


「ふ、増える……っ!?」


「『繭』を、どうにかしないと……どうにかしないと……ッ」


「だ、だが……『繭』は……」




―――言うまでもなく、メダルド・ジーを復活させるための唯一の方法だよ。


『どうにかする』という言葉が示す解決策なんて、たくさんあるわけじゃない。


とくに戦場で暴れて、ヒトを殺す危険がある相手に対してはね。


捕まえるのは、無理だろう……。




「こ、殺せ!!こ、殺すしかないよ……っ!!」




―――シモンの言葉が、戦場に響いた。


ビビアナは雷の直撃でも受けたかのように、体をふるわせる。


ありえないことだ、その選択をするなんて。


叔父を助け出すために、戦士でもない彼女はこれまで勇敢に耐えて来たのに……。




「や、やめて!!叔父さまを、殺さないでッッッ!!!」




―――当然の主張ではあったけれど、感情とは裏腹の理性が計算を始めている。


殺す以外に、解決策なんてあるのだろうか?


そういう疑問に対しての答えを、ビビアナは見つけられない。


不憫なまでの賢さだ、ただの女の子なら泣き叫んでいるだけでも良かったのに……。




「こ、殺さないでと……ぐはああ!!?」


「ひ、ひえええ!?」


「強い、つ、強いよ、こいつ……ッ」


「増えて……ふ、増えちまうぞ……っ」




「ならば、圧倒して狩り尽くせばいい!!」




―――そこらに転がる槍を拾ったフリジアが、赤い猿退治に向かう。


幾度もの試練を乗り越えた彼女は、『仮面』に頼らなくても強さがあった。


一瞬で赤い猿を仕留めるが、その裏側で猿がまた作られている。


『繭の怪物』は、手下を生み出す度に大きさを増していたよ……。




―――赤い猿に使わなかった部分を吸収して、自らの姿を巨大化する材料に使っている。


どこまで巨大化するのかは、分からない。


少なくとも『ゴルメゾア』という死者で編まれた巨大な敵を、フリジアは知っていた。


竜と同等の大きさにまでなったアレが、また作られたらどうなるのか……。




―――戦場について多くを知っているわけではないが、明確なリスクが心に浮かぶ。


十中八九、敗北する。


全員が疲弊した状況での新たな強敵の登場なんて、士気をへし折るかもしれない。


心身共にやられたら、勝利は夢のまた夢……。




―――となれば、被害を最小限にしなくては。


とくに『繭の怪物』の巨大化を防ぐことが、どう考えても重要だ。


女神イースに魔力を吸われたフリジアには、かなり酷な選択となる。


長く戦える余力もないのに、『繭の怪物』と競り合えるほどの達人はここでは彼女だけ……。




「私に、任せろ!!あいつに、食われないようにするんだ!!」




―――『繭の怪物』に、取り込まれないほどの強さを持つ達人。


その最高のカードで抑え込みながら、状況の改善を図るのみ。


作られた猿の対策は、ほかの戦士たちに任せて一対一で戦うんだ。


エースの役割であり責任であり、犠牲を強いる選択だった……。




―――心を、操らなくてはならない。


自分の心を、完璧に制御するんだ。


己にそう言い聞かせながら、フリジアは強敵に挑む。


肉片と骨が、無数の金色の糸で編まれたおぞましい怪物に……。




―――『繭の怪物』が、金色の糸で編まれた長い脚を振り回す。


その先端には、白い骨があった。


ヒトの骨だから、鋼ほどの硬さがあるわけではないものの。


怪力と長大なリーチが鞭で打つような速さを帯びると、かなり凶悪な攻撃になる……。




―――回避と防御に徹しつつ、槍でリーチの差に対応した。


消極的な情勢に、フリジアは追い込まれてしまう。


勢いと感情の爆発で、仕留められたとすれば良かったのに。


考えてしまえば、体力の消耗以上に心理的な負担が増えていくからだ……。




「殺せ、こ、殺すんだ!!」


「い、いや……お、叔父さまあああっ!!」




―――相反する言葉が、フリジアを引き裂きにかかる。


信仰の奴隷だったころならば、命令だけに盲目的になれば良かったのに。


自由意志を得た今となっては、その責任からフリジアを守ってくれるものは何もない。


この『自由』は、いつものようにヒトの心を苦しみ責め立ててくるんだ……。




―――ビビアナにとっての最後の『家族』、それがメダルド・ジーだよ。


親も知らない捨て子のフリジアに、その具体的な大切さは分からない。


想像しようにも、比較対象がないのだから。


親なんて絵本や童話や孤児の仲間たちから聞かされた、他人の思い出にしかいない……。




―――それでも、分かる。


奪ってはならないものだ、しかも親友の親ならば。


フリジアは『繭の怪物』に攻め立てられながらも、反撃の手が緩んでしまう。


ただでさえ強い敵に対して、躊躇なんてすべきじゃないのに……。




―――『自由』だからこその、苦しみもあるものだ。


誰かの命令や、信仰に対してのみ突き進んでいられたら。


どれだけの苦悩を、背負わずに生きていけるものだろう。


『自由』が持つ、毒めいた辛さの側面に少女は苦戦していた……。




―――誰かに、頼りたくなる。


今までだったら、女神イースに頼れたというのに。


もはや、それを望むことさえおこがましいだろう。


そんな権利は、自分で否定してしまった気がしてならない……。




「ふ、フリジア……っ」




―――悲しそうで、辛そうな声を背中に聞いたんだ。


この声のためなら、何だってしてあげたくなるのに。


能力の限界というものがある、器用にこの『繭の怪物』を抑えきりながら。


メダルド・ジーの臓腑が届くのを、待つなんて……。




―――猟兵でさえ、困難な任務だったはず。


まして疲れ果てつつあるフリジアなら、いくら何でも無理難題すぎた。


そもそも、『繭の怪物』を単独で倒すことも難しいのだからね。


迷いを抱えたフリジアの体に、鞭打つ攻めが当たった……。




「あ、ぐう!?」


「ふ、フリジア!!」




―――鋭くとがった骨片が、彼女の左腕に当たってしまう。


痛み以上に、『改造』されやしないかという恐怖がフリジアをゾッとさせた。


攻撃と同時に、『蟲』を植え付けられるかもしれない。


悪い想像ばかりすれば、積極的な攻めは行いなくなる……。




―――操れ、操れ。


自分の心を、完璧に操るんだ。


フリジアは自らに言い聞かせながら、恐怖を押し殺してみせる。


達人の領域にまで至らせる、魔法の心理操作術を使う……。




―――だが、相反する目的が技巧の切れ味を奪い取っていたよ。


『殺すべき』だし、『殺したくない』。


どちらかでいいなら、とても楽だったのに。


フリジアの動きは、どんどん陰りを帯びていく……。




―――理解しては、いるんだよ。


どれだけ自分が、親友から嫌われる結果になったとしても。


この『繭の怪物』だけは、殺さなくちゃならない。


フリジアには、親友から親を奪う使命が背負わされたんだ……。




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