第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その342


―――合理的な判断ではあったけれど、フリジアは納得できなかった。


ビビアナをひとりぼっちにするなんて、不安でしょうがない。


優れた商人で、交渉の達人であったとしても。


この男たちが暴挙に及べば、殺される可能性はあるのだから……。




「私も、いっしょに連れて行け」


「ちょ、ちょっと。フリジア!?」


「一蓮托生が、いい。お前を守ってやりたいのだ」


「ストラウス卿の応援に。ミアのためにも……」




「お前をこの男たちに預けたままでは、気になってしょうがない」


「悪人同士の友情なんて、泣かせるね」


「うるさい。だまりなさい、シモン」


「ああ。いいとも。だが、どちらにするんだね?」




―――ビビアナは、理解しているよ。


自分よりも『カール・メアー』の巫女戦士の方が、よほど危険だという事実をね。


政治的な保護は、ほとんどない。


暴走した若者たちに殺されるリスクは、ビビアナよりもフリジアの方が高いのさ……。




―――だからこそ、遠ざけておきたいと考えたんだ。


それは、実に妥当で正しい判断だったけれど。


世の中が正しさだけで作られていれば、苦労はない。


ビビアナは親友を抱きしめ、秘密の凍えを使った……。




「あなたを、守りたいの」


「……うん。たぶん、分かってる」




―――秘密の声に、少女は微笑んだ。


そのまま、隠し持っていたナイフを地面に投げ捨てる。


フリジアは武装を、解除してしまったのさ。


シモンはブーツの先でナイフを蹴って、遠くへと転ばせた……。




「ほら。剣も、ナイフも持っていないぞ」


「いい心がけだ。『カール・メアー』と言え、尼僧の言葉を信じてあげるよ」


「……ビビ、私は……その、お前には、きっと正しい考えがあると思う。賢いから。でも、それでも、やっぱり……」


「……いい子、なんだから」




「ごめん。何か、作戦を台無しにしたのかもしれないが……」


「……はあ。分かったわよ。フリジアが一緒なら、私も安心していられる」


「ああ。一緒で、いい。そうじゃないと、嫌だ。そのために、ここまで戦った」


「……ミアも、ストラウス卿も……きっと、大丈夫よね」




「彼らにはがんばってもらうさ。私たちも、援護に向かうよ。君たちを、議員の家に連れて行ったらね」


「じゃあ、さっさと行きましょう。その方が、生産的だもの」


「いいとも。ついて来たまえ」


「叔父さまのために、『繭』だけには手を出さないようにしてね」




「構わないさ。私たちも、得体の知れないものに近づきたくは―――」




―――世の中は、いつだって思い通りにはいかないものだ。


とくにシモンのような、大した力を持っていない普通の男の場合は。


才能が豊かであったなら、周りを自分のために仕えさせることだって可能だよ。


だけど、そういう人物は限られているものだ……。




―――しばらくの間、この状況を支配していたようなつもりになっていたシモンだけど。


彼の視界に、破滅が動いていた。


『繭』を使って脅しをかけていた若者のひとりが、彼の目の前で消えたんだ。


一瞬で、『繭』に取り込まれてしまったのさ……。




―――金色の糸が暴れて、『オルテガ』の若者たちのひとりを『分解』する。


叫び声さえ上げられなかったんだ、絡みついた糸はあまりにも自由を奪ったから。


皮膚を貫いて、筋肉と骨格のすべてを拘束した。


一瞬の早業が終わると、糸は人体を内側から切り裂いて破壊したんだよ……。




―――破裂して飛び散る赤い物体は、もはやシモンに親近感を与えることはない。


ただの血まみれ、ブロック状に切り分けられたシチューのための肉みたいなモノ。


ヒトであったと連想するのが困難なほどの、赤い肉片たちがボトボトと地面に転がる。


『繭』はこうして獲物を分解したあげく、『捕食』を開始した……。




―――肉片たちが、『繭』に吸い込まれていく。


その金色のかがやきの奥で、おぞましい工程が始まった。


筋肉の繊維を引き裂いて、新しい形に『編み直す』作業らしい。


裂かれる音と縫い合わせる音と、骨をすり潰すゴリゴリとした音があふれる……。




―――どんな顔になっていたのか、シモン自身には分からない。


だが、ビビアナとフリジアを反応させるには十分すぎたようだね。


ふたりも若者たちも、自分たちの状況を無視してシモンの視線を追いかける。


血の赤と金色の製造のあげくに、新しい姿となった獣を見たよ……。




『ぎぎぎ、ぎぎいいい!!』


「う、うわああああああああああああああああああああああッッッ!!!」




―――それは、赤い猿のような形をしていた。


ヒトから創り出したからか、それとも別の意味があるのか。


歯ぎしりしながら、身長1メートル程度の皮膚のない赤い猿が走る。


狙ったのは、自分を見つめていたシモンだったよ……。




「ひぐう、うあああ!?」




―――飛びついたそれは、驚くべき筋力を有している。


一瞬でシモンを押し倒し、乱暴な拳で彼の顔面を何度も打ちのめしていく。


鼻が折られて、頬骨が砕かれるのが分かった。


死を感じさせるには、十分すぎる痛み……。




「や、やめろ!!」




―――助けてあげたのは、他ならぬフリジアだ。


シモンの仲間たちよりも先に、彼女が行動して赤い猿を引きはがしにかかる。


あわてた仲間たちも、すぐさま助けに入ったけれど。


シモンはこの数秒のあいだに、重傷を負わされたいた……。




―――暴れる赤い猿を、数人がかりで押さえつける。


どう処理するべきか、全員が迷ってしまった。


そもそも、コレが何なのかさえ理解していない。


誰よりも早く、ビビアナが命令を放った……。




「ナイフで、首を切るのよ!!」


「そ、そうだなっ。おい……やれ……私が、押さえつけておくから!!」


「あ、ああ!!」


「これで、き、切り落とすぞっ」




―――若者たちは、赤い猿の首を切り落とした。


赤い猿は、さすがに絶命する。


転がったアタマは、しばらく恨めしそうにギリギリと歯ぎしりしていたけどね。


その顔には、目も耳も鼻もなくて口だけがあった……。




「こ、これ……『何』なんだ……っ」




―――血まみれの顔で起き上がったシモンは、当然の疑問を口にする。


今の彼には、姑息な政治的駆け引きなんてアタマに残っていない。


自分を殺そうとした怪物の正体について、何よりも気になる。


だが、問いかけを口にしながら彼も予想は立てていた……。




「め、女神イースの……し、しもべ……に……さ、されたのか……彼は……っ」




―――想像と記憶が見せた、おぞましい可能性。


それが小市民シモンの心にあふれ、吐き気をもよおさせたんだ。


『ヒトを改造できる』、たった数秒のうちに。


それが『繭』であり、女神イースの強大な力の一端なんだよ……。




「そ、そんなものが……わ、私たちの目の前に……い、いるのか……ッ」




―――逃げたくなる、あまりにも怖すぎた。


恐怖と相性のいい想像力のせいで、シモンは自分があの赤い猿に変えられるのを心配した。


猟兵や強者ならば、『繭』にさえも女神にさえも挑めるだろうし勝つかもしれない。


だが、シモンや多くの者はただの犠牲者になるだけだ……。




「い、いやだああああ!!た、助けて……助けてくれええ!!」


「お、落ち着け!!」


「そうだ、シモン……あんたはオレたちの……ひ、ぐうう!?」


「あ、あああああああああッッッ!!?」




―――『繭』は、赤い猿を作っただけではない。


赤い猿に『使わなかった肉と骨』で、自らに『脚』を製造したようだ。


昆虫のように細く長い脚ではあるが、なかなかに強靭だった。


血に飢えた野生の獣のように、新たな獲物へと飛び掛かっていたのさ……。




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