第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その340
―――子供時代のトラウマの元凶は、ふたりいた。
自分を見限った父親と、いじめっ子のロッキー。
世の中には、他者を陥れることを喜ぶ者もたくさんいるものだ。
マジメなシモンは、そういう趣向の典型的な被害者でもある……。
―――だからこそ、『オルテガ』の密偵まがいの行いをしたのかもしれない。
父親や昔のいじめっ子を、見返すために。
シモンは優秀な男ではあったが、英雄ではなかった。
腕っぷしも悪くはないが、戦場で活躍なんて夢のまた夢である……。
―――商いの才能を使い、『オルテガ』に貢献してきた。
英雄と呼ばれるかはともかく、役には立っている。
自分のことをいじめていたロッキーなんて、ただの飲んだくれの職人にしかなっていない。
レンガを焼くだけの貧乏暮らし、友人は多かったかもしれないし……。
―――腹立たしい事実として、同期でいちばん美しい妻を娶りもした。
だが、彼は昨夜の混乱の最中に死んだのだ。
帝国兵に斬られて、街道の隅に転がった。
英雄にはほど遠い、ありふれた戦場の光景に成り果てている……。
―――つまり、シモンは勝ったのだ。
ロッキーには、勝利した。
不安定な心に宿った、何とも不穏な考え方がシモンを突き動かしている。
いじめっ子の与えたトラウマを目標にするなんて、まともな大人のすることじゃない……。
―――自分は、ああはならない。
ロッキーのように歴史へ名を残すこともなく、ただの死体になるなんて。
あんなみじめな扱いを受けるのは、絶対に嫌だった。
ああならないためには、もはや道はひとつだけ……。
「シモンよ、下手なコトをするなよ。私はな、強いんだぞ。女神イースとも、一対一で競れるほどの達人なのだ。お前たちが襲って来るのなら、容赦はしない」
「そうだわ。あきらめなさい。おかしな真似をすれば、誰も得をしない結果になる」
「……そうかな?私はね、そうは思わないよ」
「やる気ならば、やってやるが……」
「むしろね。この状況は、誰にとってサイアクなのかってハナシだよ」
―――ビビアナは理解する、追い詰めすぎてしまったのだと。
今のシモンからは善良さは消え失せて、肝の据わった一人前のテロリストの眼をしている。
この種の眼をした男が、破滅しか周りにもたらさないことをビビアナは知っていた。
自己保身のために、何だって選べる下衆の顔だ……。
「私だけが、犠牲にされるかもしれない。そうは、させないさ。分かっている。議員のジジイどもは腰抜けぞろいで、私なんて切り捨てるとね!……いいや、私だけじゃない。みんなあ、よく聞いておけよ。この行動に出てしまった時点で、『私たち』はリスク満載なんだ」
―――若い戦士たちを、シモンは脅迫することにした。
自分にだけ責任を負わせて、裏切られるなんてまっぴらごめんだ。
ロッキーが主導した、子供のときのちいさな盗み。
捕まって殴られたのはシモンだけだった、昔からそうだった……。
―――小人物は、『ちゃんと見捨てられる』ものだ。
毎度のように、必ず軽んじられている。
シモンがいつの間にか受け入れてきた、悲しい役回りだった。
その役回りが、今回も押しつけられようとしている……。
―――議員たちからは見捨てられ、守ってはもらえないだろう。
それどころか、彼らはシモンを断罪するかもしれない。
この街の事実上の支配者であるソルジェに、媚びるためにだ。
『オルテガ』という迷宮都市は、聞き耳を立てる商人仲間であふれている……。
―――シモンの行動は、必ず議員たちに知られてしまうはずだ。
議員たちはシモンの暴挙を知れば、『自主的にシモンを処刑するかもしれない』。
守る価値のない、ただの小市民に過ぎない男だ。
殺すだけで、ソルジェに対しての土産になるのなら楽なものだよね……。
「交渉のカードになんて、使われてたまるかよ。あんな、役立たずのジジイどもに。むしろ、逆だよ。使ってやるんだ、この状況を、私こそが!」
―――自分を英雄に仕立てあげるしかない、そこまで状況をこじらせればいい。
シモンは並み以上には賢い知性を使って、ろくでもない計画を作り上げていた。
既成事実があればいい、自分たちは『オルテガ』の議員の命令で行ったと。
そう主張すれば、嘘だろうが何だろうが状況は張り詰めてくれる……。
「お前に、やれるとは思うなよ。そんな実力はないハズだ」
―――フリジアは腰を低くして、シモンに備える。
一秒あれば、地面に殴り倒せるはずだ。
もう一秒あれば、あの日焼けした商人の首を百八十度ひねって始末もできる。
やりたくはないが、もしものときは……。
「どいつもこいつも、私を馬鹿にしすぎだよ。戦場で有名になるのは、蛮勇だけかい?鋼を振り回す達人だけが、かがやくとでも?……違うよね」
―――ビビアナは、悟っていた。
だから口にも出さないし、視線を動かすこともない。
それを見てしまえば、状況はますます悪くなるからだ。
涼し気な顔を作り、余裕を演じることしかできない……。
―――天才的なビビアナ・ジーにも、弱点はある。
それにつけ込まれないように、彼女は心で念じながらもポーカーフェイスだ。
自分さえ助かればいい、そんな冷酷な女を演じようとする。
ビビアナの演技力と交渉能力があれば、状況をコントロールできるかもしれない……。
―――だが、シモンは目ざとく動き始めていた。
獲物に気づいた砂漠の蛇みたいに、こっそりと音を立てずに指示を出す。
剣を腰の裏に隠したのは、フリジアに怯えたからではない。
気づかれないように、仲間たちへ指示を送るためだ……。
―――剣の柄を握りしめた、土まみれの指が動く。
この襲撃を開始する前に、シモンは仲間たちに作戦を与えていた。
英雄的ではなく、小市民的な姑息な戦術を練るのは得意だ。
自然と、その方法を思いつくあたりが彼の器の大きさを表現している……。
―――姑息な演技が始まる、シモンはあえて剣を振りかざした。
フリジアを挑発し、自分の作戦が成り立つように。
分析してもいたんだ、フリジアという少女の生真面目さをね。
『つけ込める単純なガキ』だと、商人は彼女の鑑定を終えている……。
「故郷のために、やるのだ。私たちこそが、英雄となるために。もしも、成し遂げられなかったら。どうせ、全員が殺される。ふたつにひとつなんだ。英雄になるか、無意味で無価値な雑魚として、議員に見捨てられるか。私たちは、前者となる!!」
「そうか、それならば……私も容赦はしないぞ。残念だよ、シモンとやら」
「残念がるなよ、『カール・メアー』の魔女。そんな権利があるはずもない。お前だって、どうせ多くの者から憎まれるだけ。私たちの結束を揺るがす、不穏分子なんだ」
「認めよう。だが、果たすべき責任がある」
―――揺らがないフリジアの瞳は、あまりにもまぶしかったのか。
砂漠の蛇に成り果てた男は、顔をしかめて目を細くする。
それでも口もとは、邪悪な笑みで歪めていた。
追い詰められたシモンは生き残るため、何だってやれる……。
「来い、『カール・メアー』の魔女!」
「一秒で、制圧してやる!!」
―――フリジアは、有言実行した。
斬りかかったシモンの攻撃をかわしながら懐に入り込むと、腹に膝蹴りを叩き込む。
肝臓が大きく揺さぶられるような衝撃のせいで、シモンは意識を失いそうになった。
次の瞬間、剣を奪われながら地面に投げ飛ばされていたが……。
―――完璧な、勝利だった。
もちろん戦いの腕では、圧倒的にフリジアの勝利だろう。
だが、作戦においての勝者は投げ倒された男の方だ。
吐き気をもよおすほどの痛みよりも、勝利の実感が勝る……。
「囮に、かかってくれたな……『カール・メアー』……」
「お、囮だと……っ!?」
―――純粋なフリジアは、ビビアナを心配してしまう。
もちろん、それもふくめてシモンの作戦のうちだ。
シモンの仲間たちが狙ったのは、ビビアナではない。
若者たちが狙っていたのは、ビビアナの愛情だ……。
「動くなよ、この『繭』を焼き払っちまうぞ!!」
―――その言葉は、ビビアナを凍てつかせてしまう。
メダルド・ジーを、蘇生させられる唯一の方法があるとすれば。
あの『繭』のなかに、彼の臓腑を戻すことだけ。
ビビアナは最愛の叔父を、人質に取られてしまったんだよ……。
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