第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その339
―――強い信念は、信仰にさえも囚われない。
フリジアがどれだけ自己犠牲を支払っているのかを、ビビアナは知っている。
痛みや苦しみに価値を持たせることは、それこそ痛ましさがあるかもしれないけれど。
『人買い』の娘は知っている、ヒトは痛苦に試されて真価を見せるものだ……。
「フリジアは、信じられる。ストラウス卿も、必ず彼女の言葉を聞いてくれる」
「……それは、それで……」
「問題だとでもいうの?あなたは、考えを改めるべきだわ」
「もう、行動に出てしまっているんだぞ。動き始めたんだ……」
「ヒトはいつでも生き直せるものだぞ、シモンとやら」
「生き直せだって……?私の行動が、選択が間違っていると……」
「対立している場合では、ないと言いたいのだ。あるいは、それを利用した卑劣な取引なんてしても、お前たちは自分を誇れるとでも言うのか?」
「誇りだとか、そ、そんな小さなもののために、動いちゃいない……こ、故郷のためなんだぞ!?」
「いいや。不安に駆られて、信じられなくなっているだけだ。こんな謀略を、街の者たちの総意として良いのか?ビビを人質に取ったという事実が、お前たちのせいで歴史に刻まれるのだぞ」
「お、汚点だとでも?私たちは、『オルテガ』のために行動している……」
「誤解をなくそう。私は架け橋になってやれる」
「うるさい。わ、話術でたぶらかそうとしないでくれ!」
―――神経質な猿みたいに、追い詰められた爪をシモンは噛んだ。
子供時代に修正したはずの癖が、長い時間を越えて浮かび上がる。
故郷の土と仲間たちの血が、爪の間には付着していて固まり始めていた。
血を洗い落とす時間さえも、彼にはなかったのだから追い詰められてもしょうがない……。
―――不安定に揺れる瞳が、仲間たちを頼った。
誰もがその視線から、逃げはしなかったものの。
この状況に責任を負いたくなかったのか、あるいはそもそも完全な同意をしていないのか。
シモンに適切な答えをくれる者は、この場にいなかった……。
「み、みんな、ずるいぞ。私のせいだけにするのか?……ど、同意したハズなのに」
「シモン、お前に決定権は委ねられたということだ。お前だけが、新しい不要な衝突を回避できる」
「わ、私だけが……」
「『オルテガ』の未来を考えての行動だ。それなら、今一度、考え直してみてくれ。お互いを信じる道を選べば、より傷つかずに済む。戦いは、多くを破壊し過ぎているだろ。これ以上、無益な血を流さなくてもいい」
―――フリジアは、軍事的な専門家でもない。
まして政治的な理解力なんて、あるはずもない。
だが、無益さは本能からでも分かった。
互いを信じられないからこそ、この状況は生まれつつある……。
「信じてくれ、シモン」
―――シモンには、あまりにも大きな重圧だった。
理知的ではあるし、商人ギルドからの信託を得られるほどにはマトモな男だ。
しかし、一市民であることには変わらない。
フリジアの真っ直ぐな瞳さえも、彼を追い詰めてしまう……。
―――信じるべきか、それとも。
恐怖はいつのものように、想像力を糧にしてふくらんでいった。
ビビアナ・ジーを拉致しようと考えて、行動に出てしまった。
『手遅れ』なのでは、ないだろうか……。
―――フリジアのように、政治音痴ではない。
商売人は、まして支配者が幾度となく変わってきた『オルテガ』の男は知っている。
あらゆる時代において、すべての支配者に共通する特徴があった。
誰もが裏切り者を、許すことはなかったんだ……。
―――竜を乗り回す英雄は、例外だと言うのだろうか?
さまざまな種族の、あらゆる時代の英雄たちとは異なって?
英雄は、自分と懇意にしている者たちを襲おうとした男を許しただろうか。
すくなくとも、シモンの知っている歴史には登場しない……。
「後から、ちゃんとソルジェ・ストラウスとの仲を取り持つから」
―――そうなったら、『おしまい』かもしれない。
『プレイレス』を解放し、不敗の帝国軍を各地で打ち破ってきた英雄だ。
そんな『怪物』と、目の前にいる少女は言葉を交わせる仲だという。
判断を、間違っていたのかもしれない……。
―――戦闘の熱狂や、『ルファード』に支配されることへの恐怖。
そういうものが、彼を追い詰てしまっていた。
そもそも、議員たちはどこにいるんだろう。
『オルテガ』の正統な政治的リーダーたちは、自分をどう判断するのか……。
―――政治屋らしく、彼らは様子見するだろう。
政治屋らしく、下っ端を見捨てることに躊躇することはない。
英雄と、ただの行商人と頭に血ののぼっただけの若者たちだ。
シモンに「君なら伝統を取り戻せるよ」と言ってくれた議員は、シモンを守るのか……。
「そ、それこそ、ありえないじゃないか……ッ」
―――シモンは知らされてもいなかったが、『オルテガ』の議員たちは彼らより従順だ。
ソルジェと『自由同盟』の軍門に、とっくの昔に下っている。
軍事力を使い、脅した。
亜人種たちとの共存を承諾しなければ、何だってするのだと……。
―――議員たちは命が欲しかっただろうし、『自由同盟』を恐れていた。
この同盟のリーダーであるクラリスの手腕についても、恐怖を抱いている。
クラリスはいくつも都市を占拠して、同盟の軍事力向上に励んでいるからね。
やさしい女性だけど、誰よりも政治のプロフェッショナルだよ……。
―――『オルテガ』を、『クラリス色』に染めていいと言うのならば。
またたく間に新たな統治者として、この城塞都市を支配したかもしれない。
すくなくとも、それをやれる実力は持っている。
優秀な手駒であるルードの狐に権力を委任して、派遣するだけでも十分だ……。
―――ボクや姉が、この都市の伝統を根こそぎ破壊する。
不可能だと、思っていないよ。
『オルテガ』の伝統の根は、深くてしつこりだろうけれど。
新しい統治者に柔軟に対応してきたのも、彼らの特徴なのだから……。
―――その柔軟さ、あるいは弱さについては分析者のボクより当事者の方が詳しい。
シモンは、吐き気をもよおしていたよ。
胃袋が、不安と孤独で跳ねまわってしまう。
議員たちは、どうせ自分たちを守ってくれないと悟ってしまったんだ……。
―――泣きそうな顔になるし、実際のところ涙が血走った眼に浮いている。
仲間たちの不安は募っていき、戦場にこだまする言葉はシモンを揺さぶった。
「ストラウス卿の援護に向かえ!」、「結束し、女神の呼んだ怪物を倒すのだ!」。
多くの者が、ソルジェの協力に向かってくれている……。
―――彼らが、シモンたちの凶行に気づいたら。
血祭りにされるのは、誰だろうか。
『オルテガ』と『ルファード』の協調を乱す不穏分子として、シモンは殺されるかも。
賢くて知恵の回る小市民は、その事実に呑まれてしまっていた……。
「わ、分かったよ……『カール・メアー』、そ、それに……ビビアナ・ジー」
「分かって、くれたのか?」
「そ、そうだよ。追い詰められているのは、私の方だ。もう、この道しかない……」
「今なら、許せる。この包囲を解くんだ」
「……ああ、そうだね。本当に、悪かったよ」
―――シモンはうつむいたまま、フリジアとビビアナに近づいていく。
彼はまるで亡霊のように元気はない、戦う力なんてどこにも感じられなかった。
尼僧らしく、フリジアは彼を元気づけてやるべきだろうかなんて考えてしまうほどに。
シモンに、そんな容赦は必要なかったのにね……。
―――シモンは思い出す、ずっと昔の思い出だ。
かつて子供だった彼は、この『オルテガ』の石畳の上を駆け回った。
歴史の授業が好きな彼は、読書好きでありオタク野郎で眼鏡だった。
もちろん、仲間を率いて先頭を走っていたわけじゃない……。
―――彼は逃げ回っていた、同世代の男の子たちからは最適のいじめの対象だ。
「弱虫野郎」、「がり勉雑魚」。
歴史と数学は好きだし得意だったが、子供たちのリーダーになる者はいつも乱暴者だ。
危険な魅力を持つ粗暴な連中は、シモンのようなマジメで物静かな男よりもモテる……。
―――自分より馬鹿な連中に、追い回されて捕まって殴られた。
英雄ばかりでこの世は出来てはおらず、シモンのような弱者が大半を占める。
大人になれば、賢さやひたむきに上の命令に従える弱さは評価を変えたものだが。
シモンは『オルテガ』のために尽くす、優秀な道具となったのだ……。
―――「だから、お前は雑魚なんだ」。
その言葉は、大人になってもこびりついている。
父親にも言われたし、いじめっ子からも言われた。
どうせ誰かの下で生きるしかない、ただの雑魚だと見限られた……。
―――子供時代に、早々とね。
実際のところ、彼は確かにその評価に相応しい。
小市民であり、英雄とは呼び難い男だ。
フリジアとビビアナに近づく今も、理解している……。
「私は、わ、分かったよ。思い知らされた。ほ、本当はね……誰かの言いなりになるなんて、雑魚のままいるなんて……嫌なんだって……私は、変わるよ。父さんは死んだし、ロッキーも昨夜の戦いで、死んじまったんだ。私は……歴史に名を残すよ」
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