第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その325


―――女神イースは、ようやく理解する。


ミアの心をへし折るなんて、不可能なのだと。


ソルジェと同等の精神力の持ち主かもしれないし、下手するとそれ以上だからね。


絶望とは、もっとも遠い場所にミアの魂はいた……。




―――誰に似ているかなんて、それは言うまでもない。


残酷な現実から、想像力が引き出した恐怖。


無限に膨れ上がる恐怖を背負ったまま、彼女は娘を連れて檻から逃げた。


誰も守ってくれないかもしれない、あまりにも『自由』で不安な広大な世界にね……。




―――どれだけ巨大な恐怖にも、彼女は負けなかった。


広い大地と、見果てぬ空はときどき怖いものだよ。


そこには自分の味方なんて、誰一人いないかもしれないのに。


ミアのママは、旅立っていく……。




―――女神イースの権能が、あまりにもリアルな可能性の光景を作るほど。


無限の種類の恐怖を、ミアのママは想像していく。


絶望は数多くあったはずなのに、それでも彼女は自分と娘の命を賭けるのさ。


もちろん、毎回ね……。




―――「この選択が、正しい道につながりますように」。


「お願い。神さま、星、空、風……誰でもいいから、私たちを助けてください」。


「英雄たちの魂よ。マルーの一族を、見守って」。


「あなた……私たちの娘だけでも、どうか……」……。




―――無限の絶望は、それぞれに応じた形の祈りを呼んでいく。


恐怖に泣きながら、この世界の不寛容さに怒りながら。


不運に嘆きながら、ヒトの本性を悲しみながら。


それでも、彼女はいついかなるときも歩いていく……。




―――おぞましい絶望と苦しみが支配する、牢の暗がりから逃げ出した。


あるときは娘を抱きしめ、あるときは娘を背負って。


あらゆる可能性に、いつも同じ意味のある選択で挑んでいく。


彼女はいつでも、戦い抜いた……。




―――ミアと、まったく同じような魂の持ち主だよ。


あきらめずに、戦い続ける。


どれだけの大きな苦しみや、絶望が相手だったとしても。


やさしくない世界に、独りぼっちでも戦いを挑む……。




―――そんな母親の姿を見たミアの心が、くじけるはずもない。


ふたりは、とてもよく似ているよ。


心だけじゃなく、13才になったミアの姿はママの姿にまた近づいた。


彼女の遺した可能性が、そこにいる……。




―――女神イースは、攻撃の方法を変えることにした。


絶望に繰り返し挑み、苦しみながらも希望を選ぶ彼女の姿は消えていく。


ミアは思わず彼女に歩み寄る、触ろうとして腕を伸ばすが触れることはない。


幻は質量なんて、持っていない……。




―――想像していたはずだが、それでも動いてしまう。


大いなる空を見上げる彼女の顔に、「ママ……」とちいさな声をかけながら。


13才になった手を伸ばし、まるで霧に触れたときのような空虚さを知る。


幻には質量もなくて、さわることも不可能だった……。




―――神さまは、あらゆる祈りに応えてくれるわけじゃない。


誰もが自分だけではどうにもならないときには、神さまに必死に祈るけれど。


多くの願いは、叶うことなく何処かに消え去っていく。


神さまは捧げられる願いが多すぎて、忙しすぎるのかもしれないね……。




―――消え去っていく定めの幻が、怖いぐらいに晴れて広がる空から視線を下ろす。


ミアの猫耳が、ビクンと揺れていた。


記憶のなかにいる通りのやさしい笑顔で、彼女はミアを見ていた。


身長の差がなくなりつつあるミアを、ちゃんと見ている……。




「大きくなったわね、私のミア」




―――強い心が、泣いていた。


戦いの最中であるのに、お構いなしに。


強力な敵がすぐ近くにいるのに、そんなことなんてどうでもいい。


抱き着いてアタマを撫でてもらう、記憶の通りのやわらかい温かさで……。




―――幻は質量を持たないし、触れることも叶わない。


だが、神さまは特別な力を持っているものだ。


すべてのヒトの願いを叶えることはないけれど、ときどき奇跡を起こしてくれる。


ミアはママに、抱きしめてもらえたのさ……。




―――幻は、ゆっくりと消えていく。


記憶は消えることはなく、新しい思い出も愛ある限り永遠だ。


ミアは涙をぬぐって、『笑顔』を選ぶ。


ママのいなくなった青い空の下で、女神イースを見た……。




「ありがとう、女神イース。ママに、本当に会えちゃった!」




―――この戦いは、『正義』と『正義』のぶつかり合い。


怖いぐらいやさしい女神と、恐ろしく強いボクたち。


それぞれが欲しい『未来』の形は、違うだけ。


正しい道を求めて、力で奪い合う……。




「あなたは、とてもやさしい神さまだね。それが、分かったのが嬉しい。だから、迷いなく全力で戦える。だって。あなたの『正義』には、全力で倒す価値があるもの!」


『……ああ。来るがいい。心を封じられないのであれば、直接、叩きのめしてやるだけのこと』


「勝っちゃうよ。私ね、覚えているから。ママの言葉を」


『……挑むがいい。互いに背負っているもののために、私も譲らぬ』




―――昔々、そしてつい先ほど。


ミアのママは、愛娘に言葉を遺した。


「いきなさい」、それだけ伝えて彼女は死んだ。


死んだからといって、その言葉は終わらない……。




「勝負だ!!女神イース!!私があなたを倒してあげる!!」





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