第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その324


―――猟兵が笑う理由は、いくつかあるけれど。


そのひとつが、プロフェッショナルであるためだ。


最高の心理操作術だよ、笑顔は戦うための力を与えてくれる。


『楽しい』という感情の『仮面』で、あらゆる困難と戦うための動機を得るのさ……。




―――幼いミアを背負って、ミアのママは苦しい逃亡の旅を選ぶ。


世界は弱者にはとても残酷で、彼女はいわゆる性奴隷だったから。


媚びなければ殺されるし、笑顔を演じなければ殺される。


そういう悲惨な生き方を強いられて、それから逃れようとして殺された……。




―――それがどれだけ過酷なもので、どれだけの苦しみを持っているのか。


13才のミアも、だんだんと理解しつつある。


世の中を生きていけば、ゆっくりとでも大人になっていくものだ。


ミアのママは、客観的な評価で言えば悲惨な生き方をした不幸な亜人種のひとりだ……。




―――女神イースは見せてくれるよ、ミアの深層心理に刻まれていた記憶をね。


ミア本人だって、思い出せなかったような記憶だ。


亜人種の奴隷に対して、人間族の『人買い』は残酷になる。


ジーの一族のような、比較的マシな連中だけじゃないのだから……。




―――弱者に対して、ヒトは四つの方法で見捨てるものだ。


面白がって迫害に参加する好奇心旺盛な者、自分より劣っている者を嘲り安心を得たい者。


同調の圧に参加することを好む社交的な者、自らの征服欲を満たすため支配する者。


その種類は多くない、だいたいこの四つだよ……。




―――再現性がある行いは、ヒトの本能に根差しているという意味だ。


ヒトが弱者に対して選ぶ悪意は、およそ普遍的なものだった。


本能だから、どんな時代であっても大差はない。


困ったことだが、ヒトはあまり期待できない性質を持ってはいる……。




―――ミアのママは、悲惨な目に遭った。


同じ牢屋にいた者のなかには、自殺を選ぶ者も少なくない。


痛めつけられて、犯されるだけの日々。


それでも笑顔を強いられて、媚びなければ命の保証もなかった……。




―――そのときのミアと同じ年頃の子供も、男の相手をさせられることもある地獄だ。


痛ましい地獄のなかで、多くの女子供が人生をあきらめていく。


死さえも救いに近くなるような、屈辱的な不幸の空間だ。


ミアのママは、そこから我が子を救うために逃亡する……。




―――命がけの逃亡の果てに、彼女は力尽きて死んだ。


ミアだけを逃すことに成功しただけでも、とんでもない奇跡だよ。


同じような試みをした多くの者たちが、何一つ残すこともないまま死んだのだから。


命は軽んじられている、亜人種という劣勢になった者たちのそれはとくに……。




『悲惨な末路となる者たちが、これからも多く現れる。数が少ないという現実は、どうにも変えられない。『お前になれなかった者たちが、どれだけ死んだと思っている』?』




―――たしかに、ミアは幸運だった。


そうなれずに死んだ者たちは、大勢いる。


奴隷ハンターに再び捕まって、奴隷の立場に連れ戻された者もいれば。


追い詰められて死んだ者たちが、この大陸の荒野には数多く転がっているよ……。




『人種の差は、ヒトの恐ろしい本質を明らかにするものだ。これを消し去らなければ、これからも『お前になれなかった者たち』は、苦痛と屈辱の果てに死ぬことになる。そんな未来に、救いなどがあると言えるのか?』




―――『ミアになれなかった者たち』を、女神イースはミアに見せる。


この世の中に絶望しながら、死んでいく者たちの姿を。


その追い詰められた切なる願いを、世界が無視する様子を。


ヒトは弱者に対して、けっして好意的な振る舞いなどしないものだ……。




―――弱者を救う者が、美徳とされるのは希少だからだよ。


多くの者は、見捨てて何も行動しない。


それどころか、大半の者は差別や迫害に喜んで参加する。


『笑顔』を、そこでも見て取れるだろう……。




―――千年間、そんな笑顔も観察して来た女神はあきらめているらしい。


ヒトの本能が、差別を克服することはないと確信しているようだ。


だからこそ、人種の数をひとつにすればいいと考えている。


そうすれば世界はより平穏となると、千年の検証結果は示した……。




―――ボクたちには受け入れがたい道だけど、女神イースにとっては最高の答えだよ。


人種がひとつならば、それらのあいだに起きる争いは消え去る。


亜人種奴隷に対しての残酷な行いもなくなるだろう、人間族の奴隷問題は解決しないけど。


それでも、世界は今よりマシになるのだと……。




『見るがいい。再び、お前の母親が命がけの逃亡を始めるぞ』




―――牢からちいさなミアを抱きかかえて、逃げ出していく。


勇敢だけれど、不安と恐怖でいっぱいの顔だ。


彼女も知っている、同じ選択をして助からなかった者たちの末路を。


自分の選択に、娘の命を巻き込むことが正しいのかも彼女には自信がない……。




―――奴隷としての悲惨な日々を受け入れたなら、死ぬことだけはないからね。


そのときの幼いミアは、選択肢を持っていない。


母親である自分にだけ、我が子の運命を選ぶ権利はあった。


だが、それが正しい結末に至るかは分からない……。




―――途中で倒れたら、途中で奴隷ハンターに追いつかれたら。


意地悪な市民に見つかり通報されたら、最初から痛む脚が悲鳴を上げて動かなくなったら。


運命はその瞬間に閉ざされて、今よりもはるかに悲惨な目に遭う。


そもそも、この広い大陸の何処に逃げたら幸せになれるのかも分からないのに……。




―――あまりにも低い勝率の、命がけのギャンブルだ。


それを選ばずに、プライドを捨てて媚びていれば死だけはない。


リスクを取り逃亡奴隷という選択をすれば、捕まれば死か今より悲惨な日々が確定する。


自分だけでなく、このちいさな愛娘まで……。




―――まだ若い母親にとって、そんな責任の重たい選択をするのは酷だったはず。


どれだけの不安を抱えながら、この勝ち目のないギャンブルに挑むのか。


恐怖に震えながら、それでも彼女はミアを連れて破滅の運命に挑む。


痛めつけられた体で、愛しい娘を抱きしめたまま……。




―――何度も何度も、女神イースはその旅路の始まりを見せた。


彼女には、この始まりが壮絶で痛ましい光景だと思えていたのだろう。


ミアは生き延びたが、ミアのママは息絶える運命にあるのは確かだからね。


もちろん、世界の見え方は人それぞれだ……。




「ママ、ありがとう」




―――道半ばで、息絶えて倒れる母親の姿を見ながら。


ミアは『笑顔』で、立ち向かう。


生きるために、この世界と戦う。


ミアは、そのときから戦士だった……。




『笑う、か』


「うん。嬉しいから。私のママは、怖くても戦ってくれたから。私に、『未来』をくれたから!すごく、自慢のママなんだ。女神イース、ママに会わせてくれて、ありがとう!!」



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