第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その321
―――女神イースが、フリジアを守ってくれた。
おかげで戦いは、それからの数十秒だけ止まったよ。
赤い翼のなかで、抱きしめられた腕。
夏の暑さも気にならない、その感触と温かさ……。
―――フリジア・ノーベルは、子供のころから欲しかったものを得ている。
とても幸せな時間でありながら、自爆を失敗したことを彼女は悔しがってもいた。
『カール・メアー』の巫女戦士らしい、自己犠牲と痛みの美化かもしれないね。
異常かもしれないが、それでもフリジアらしくはある……。
「命がけで、もう一度だけ……」
『しなくていい。それだけが、真実だ』
―――やさしい顔と、やさしい声だった。
ちょっと前までのフリジアだったら、この瞬間に女神イースの傀儡に戻っただろう。
だが、フリジアは成長していた。
よりフクザツな人間性を得て、より自分の心に詳しくなっている……。
―――女神イースは、最愛の存在に変わりはない。
まるで母親みたいにやさしくて、世界を救えるほどの力を持っている。
忠誠を持つべき相手であったが、それでも今はもう状況は進化した。
最愛の存在であり、敵だったよ……。
「うう、うう……ッ」
―――魔力を吸われて、体力も限界だ。
そのうえで気力まで揺らいでしまったなら、立っていられなくなる。
脚から力が抜けてしまい、膝から崩れ落ちそうになった。
もちろん、フリジアが地面に倒れることはない……。
―――女神イースの腕が、ちゃんと抱きしめて支えてくれているからだ。
まるで赤子のように力なく、ただ母親に身を委ねるように。
心が引き裂かれそうなほど、痛くなった。
自分が捨ててしまった関係性が、あまりにも尊く思えてしまう……。
『生きろと、言ったのだ。泣く必要はない』
「う、ううっ。うあ、うあああああああ!!」
―――ミアとビビアナと出会っていなかったなら、この苦しみはなかっただろう。
ただひたすらに女神イースの駒だったころなら、迷いのない至福だけを享受できた。
歴史に、『もしも』の居場所なんてどこにもない。
引き裂かれるような痛みを与えられたとしても、生きるしかない……。
―――他ならぬ女神イースが、フリジアの裏切りを許している。
彼女が、平穏さを強めた世界で生きることを望んでいるのだからね。
フリジアは泣きじゃくりながらも、脚に力を込め直す。
ふらつきながらも自力で立ってみせたよ、女神イースは微笑んだ……。
『それで、いい』
―――赤い翼が広がっていき、硬直していた戦場にフリジアの姿が現れる。
立っているだけでやっとの彼女に、ソルジェとミアが近づいた。
女神イースは後退し、フリジアだけをその場に残してくれたよ。
ミアが走り、フリジアに抱きついて支えてあげる……。
「フリジア、下がろう」
「……あ、ああ……すまない。もう、出し切った」
「すごかった。ありがとう」
「……役に、立てたなら……幸いだ」
「うん。自爆なんて、ダメ」
「……ああ。そうだな。もう、やらない……やれも、しない……」
「それで、いいよ」
「……そう、だな」
―――ミアに支えられながらフリジアは歩き、やがてもう一人の親友に抱きしめられる。
ビビアナが合流し、疲れ果てた彼女の体をいっしょに支えた。
女神イースは彼女たちを攻撃することもなく、ソルジェたちも攻撃を仕掛けない。
ほんの数十秒だけ、戦いの場は止まっていたのさ……。
「はあ、はあ……っ」
「休ませよう。フリジアは、もう立っていられない」
「魔力を失い過ぎているのね。横になって、呼吸を整えるの」
「……あ、ああ……はあ、はあ……」
―――フリジアの顔色は、かなり悪かったよ。
心身共に限界近くまで、疲弊しているからだろう。
その場から動かさないように、じっとしていた方がいい。
ムリをすれば心臓が止まり、死んでしまうかもしれないから……。
―――ミアは脈を取りながら、疲弊を理解した。
もちろん表情に、不安なんて出すことはない。
ニコリと笑って、フリジアを安心させようと演技する。
ずっとそばにいて元気づけてあげたいけれど、戦場は残酷だ……。
―――もしもはない、ここは数多の可能性の終着点。
戦場は、いつだって厳しい。
互いの正しさを最終的に示すものは、より強い暴力だ。
ミアは女神イースに顔を向けて、にらみつける……。
「……倒すよ、女神イース」
―――ちいさな体に、殺気が燃える。
女神イースも、いつまでも戦いを止める気はない。
赤い槍を構え直し、ソルジェ目掛けて飛びかかった。
槍の突きはあまりにも速いが、竜太刀はその一撃を完璧に防いでみせる……。
―――甲高い火花が散り、ソルジェと女神イースの視線が交差した。
フリジアの仕事が、活きていたよ。
ソルジェは完璧に女神イースの動きを、見切っている。
どれだけ速く動こうとも、どれだけ力が強くとも問題はない……。
―――たった一撃だけでも、女神イースは悟った。
もはやソルジェに、『カール・メアー』の武術で傷をつけることは不可能に近いと。
技巧も戦術も、流派の哲学さえも読解されてしまっている。
フリジアは、最高のアシストをしてくれたよ……。
『こうも、容易く―――』
「―――容易くじゃねえよ。フリジアの、ぜんぶだ」
―――もちろん、一対一なんて『異常な行い』を戦場でする必要はない。
競り合うふたりに対して、ミアが飛びかかっていく。
正面から、自分の姿を見せつけながらね。
女神イースは竜太刀との競り合いを解除し、間合いを取ろうと試みる……。
「逃がしは、しないッッッ!!!」
―――シアンの『虎』の技巧を、使ったよ。
沈みながらの超加速、おそらく世界でいちばん速い真っ直ぐな突撃。
それを模した攻めは、世界で二番目ぐらいに速かった。
後退しようとした女神イースに追いつくどころか、『追い越した』……。
―――ちいさな黒い影が、弾丸のような速さとなって。
飛びかかる獣の牙のように、女神イースに突き立てられた。
細い首の中央に、女神イースの足元をくぐり抜けながら放ったナイフが命中したよ。
その刺さったナイフを見て、フリジアは大きな涙をあふれさせる……。
「……女神イースよ。どうか、このまま―――」
『―――終わらんよ。私の援軍は、到着したのだから』
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