第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その320


―――満たされたからこそ、新しい願望も抱けるものだ。


槍を打ち砕かれた衝撃が、全身を揺さぶっている。


骨も筋肉も、あらゆる関節たちまでも。


痛いうえに、とても動けそうになかった……。




―――フリジアは自分の限界を、とっくの昔に超えているからね。


精神力を使い尽くすようにして、ここまでの力を出せた。


それなのに、欲深いことだと彼女は思った。


これから先の一撃を、出してみせようなどと願えるなんて……。




―――褒められることにも、魔法はある。


嬉しいから、がんばってみたくなるものさ。


女神イースは、やはりフリジアにとって最高の神さまであり。


やっぱり、『お母さん』でもあった……。




―――戦士としての覚悟だけじゃなくて、これは子供じみた願い。


母親から認めてもらいたいと、がんばる子供のようなもの。


長く孤独な戦いの果てに、心も体も疲れ果てていたとしても。


それは、フリジアに奇跡的な一歩を踏ませてくれる……。




―――武装もしていなければ、敵意さえない歩み。


戦闘でも武術でもありえない、そのあまりにも無邪気な一歩。


敵意の読み合いである戦いの場において、それは相手にも無警戒を誘うものだった。


女神イースも、それを見守るほとんどの戦士たちも……。




―――その一歩を、読み間違えていた。


それは攻撃などではないと、思わせてしまう。


『読み合いを潰すステップ』には、実力以上に状況が必要とされるものさ。


このときのフリジアだからこそ、このステップは可能だった……。




「フリジア、すごい」




―――ミアの全身に、ゾワゾワとした感動の電流が走っていく。


女神イースが完璧な警戒を作っている間合い、その内側にフリジアは踏み込めたから。


もしも、女神イースがまともな生き物だったなら。


この位置からの『暗殺』さえも、可能だったはずだ……。




―――女神イースも、この一歩に気づく。


その瞬間に攻撃されたら、翼でも槍でも間に合わない。


だが、考えてもしまう。


フリジアに武器はないのだと、『これは戦いですらない』のだと……。




―――ああ、きっとガルフ・コルテスも褒めただろう。


戦場を飛び交う無数の戦術は、およそ合理的な悪意で作られているものだ。


いつだって悪意は合理的だから、読解されてしまう。


悪意めいた戦術は、達人レベルならば全て見破られるものだ……。




―――それでも、ごくまれに例外がある。


「悪意ってものは読めるが、無邪気な善意はいつでも読み損ねるもんさ」。


善意は非合理的だからこそ、知性で分析することは不可能に近い。


究極の不意打ちは、いつでも『愛情深い一歩』だよ……。




―――凄腕の暗殺者たちさえも、暗殺されてきた理由でもある。


非合理的な一歩は、賢さでは追いきれない。


賢く分析するほど、迷ってしまう。


しかも、今のフリジアは『仮面』を使った催眠状態だ……。




―――フリジアの動きか、アルティミスの動きなのか。


惑わせる要素は、そこにもある。


フリジアはこの状況に、完璧に適応した。


計算ではなく、ただの意志が成し遂げた『偶然』だよ……。




―――実力にも、運命にも負けない『偶然』。


それを彼女は、自分の力で引き寄せたのさ。


この絶好の間合いで、鍛練し尽くされた体は自動的に動く。


戦士という存在は、そうなるように自分の本能さえも変えてしまっているからね……。




―――攻めるべき絶好機に、フリジアとアルティミスは同時に動いた。


『仮面』による心理操作術は、まだまだ奥が深い。


フリジアの人格は、魔力を練り上げる。


アルティミスの人格は、術の構成を組み上げていた……。




―――ふたりの人格があるからこそ、その作業が同時に行えたらしい。


効能はひとつだ、『圧倒的な速度で魔術が完成する』。


ソルジェとミアさえも、ゾッとするほどの速さでね。


しかも、この魔術は他の意味でも『とんでもないものだった』……。




―――ソルジェとミアは理解して、助けようと動く。


フリジアをぶん殴ってでも、『気絶させてしまうべきだ』とふたりは理解していたよ。


何せ、この魔術は危険だったから。


女神イース以上に、フリジア自身にとってね……。




「『自爆』は、ダメだよッッッ!!!」




―――全身の魔力を、使い尽くすように暴発させる。


そういった『自爆術』も、魔術の世界には存在した。


敵の至近距離でそれを行えば、敵ごと自分を爆破することだってやれなくはない。


通常なら起動までに時間がかかってしまい、敵に対応される可能性が高いけどね……。




―――『仮面』のアルティミスが、フリジアに憑依している今ならば速度は十分だ。


もちろん、そんな魔術を使えばフリジアは死ぬ。


だからこそ、ソルジェとミアも急いでいた。


この狂信的な殉教者の術に、いくら猟兵でも間に合いはしない……。




「フリジアあああああああああああああああああああああッッッ!!!」




―――結末を悟りながらも、ミアは走る。


ソルジェはミアを巻き込まないように、止めるべきかもしれないと考る。


サイアクの状況のなかでも、最善を選ぶのが団長の仕事だ。


それに妹を、もう一度失うなんてことは絶対にできない……。




―――あきらめるのは正しい、もはやヒトでは間に合わないのだから。


だから、ソルジェは一か八かに賭ける。


この状況を、救える者がいるとすれば。


もちろん、ただひとりだけ……。




「イース!!どうにかしろッッッ!!!」




―――敵に叫んでいたよ、何とも感情的な叫びでね。


女神イースも、この瞬間には状況を理解していた。


フリジアが自爆しようとしていることも、その自爆は自らの脅威ではないことも。


たかがひとりの魔力を暴発させたところで、女神を倒せる威力までは至らない……。




―――だから、何もしなくてもいいはずだった。


本当に、この戦場が悪意しかない単純な空間であったらね。


ここは正しさで、お互いを否定し合う場所だよ。


女神イースは、自爆のかがやきを帯びたフリジアを抱きしめていた……。




『……その覚悟は、見事である』


「……おかあ、さ……ん……っ」




―――槍を持たない左腕と、赤い翼たちでフリジアを包み込む。


フリジアは、やわらかくてやさしい感触と香りに包まれていた。


ルスラエクの香りとは、違っていたかもしれない。


でも、あれと同質なものだと理解できる……。




―――それは、彼女が長いあいだ求めてきたモノと同じだから。


たとえ、この自爆で死んだとしても。


十分に幸せな人生だったのだと、フリジアは胸を張って言えただろう。


でもね、女神イースはやっぱり神さまだった……。




―――彼女には、権能が備わっている。


すべての亜人種から、魔力を奪い取る能力がね。


いや、実のところそれは亜人種に限らない。


人間族からだって、奪い取ろうとすればやれるのさ……。




―――女神イースは、ソルジェの願いも叶えてみせたよ。


フリジアとアルティミス、ふたりがかりで作られたはずの高速自爆の魔術。


それから、魔力を奪い取ってしまえば?


もちろん、魔術そのものが動かなくなる……。




「あ、あ……魔力、が……っ」


『それで、いい。お前は……そこまでしなくていい。フリジア・ノーベル。お前は、より平穏になった世界で、長く生きろ』




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