第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その319
―――殉教者たちは、いつでも孤独とは縁遠い。
フリジアたちもまた、その傾向の持ち主だったよ。
不完全な世界に苦しみながらも、彼女たちの祈りは千年続いた。
たとえ世界を変えられなかったとしても、ずっと途切れることはない……。
「『それが、うれしいのですよ』」
『無益である。終わらぬ苦しみに過ぎない』
「『いいえ。これは、それだけの価値があるという証……』」
『救い切れていない。それでは、悲しみだけが蓄積する』
「『可能性が途切れなければ、いつの日にか……っ』」
『それが、今日である。お前たちの道も、私がこの救済をしてやるための生贄となった。お前たちの祈りも背負い、私がすべてを導いてやろう。そろそろ、この果てなき苦行を終えるがいい。我が弟子よ』
―――女神イースは、アルティミスとの『稽古』を終える気になった。
アルティミスを演じているフリジアの体力も集中力も、さすがに限界だったからね。
女神の権能のひとつを使い、彼女は『槍』を創造する。
赤い輝きを帯びた『槍』が、その長い腕の先に現れたのさ……。
『真の槍術を、見せてやろう』
―――アルティミスは、ひるむことはなかった。
女神イースの槍の舞いが繰り出す、無数の攻めの連携。
それらはアルティミスの技巧のあらゆる面で、完全なる上位互換だ。
同じ技で対応しようとしたが、結果は火を見るよりも明らかだったよ……。
―――ぶつかり合う槍が、破壊されていく。
もちろん、アルティミスの槍だけが一方的にね。
バランスも崩されて、構えを維持するのさえ困難になる。
理解していた結果だ、アルティミスは受け入れられる……。
―――壊されていく槍を、仮面の下のフリジアを見つめていた。
よくやれた方だと、満足しそうになる。
ソルジェやミアに休息するためのわずかな時間を与え、女神に言いたいことも主張した。
これだけのことがやれたなら、十分かもしれない……。
―――神さまと、わずかな時間でも一対一で戦えたんだからね。
まるで神話の英雄たちと、同じような偉業ではあるよ。
壊されていく槍から伝わる衝撃だけで、全身がバラバラになりそうなほど痛くもある。
誰かに「よくやった」と、ほめてもらいたくなった……。
―――出し切っている、すべての力をね。
槍を握る手は痛むし、腕の骨もギシギシと軋んでいた。
槍を弾かれないようにと努力するだけで、背中の筋肉まで引きつりそうになる。
肺腑も呼吸困難の痛みで、破裂してしまいそうなんだ……。
―――もしも、フリジアに両親の記憶があったなら。
ふたりから、ほめてもらいたいと願えただろう。
とてつもない偉業を成し遂げたのだから、甘えたいしほめてもらいたい。
アルティミスと同じく、捨て子である彼女にその記憶はないけれどね……。
―――母親代わりになってくれた、『カール・メアー』の尼僧たちの顔を浮かぶ。
だが、きっと彼女たちはフリジアを抱きしめてくれはしない。
フリジアは『カール・メアー』を、裏切ってしまったのだから。
その権利は、もはや失われたような気がしていた……。
「よく……やった……っ。私は、ここまで、よく、がんばれた……っ」
―――『孤独』ではない、戦士としての生き方に充足を感じている。
ただ、欲を言えばひとつだけ。
親という存在に、無条件に自分を認めてくれるはずの存在に。
人生で一番がんばった自分を、誇りに思って欲しいと願ってしまった……。
―――『カール・メアー』から、認められない身となったとしても。
親からなら、愛してもらえたかもしれない。
そんな期待を、極限状態の劣勢のなかで抱いてしまう。
子供っぽいと、彼女自身も思いながらね……。
―――孤児たちのなかでも、捨て子はさみしいものさ。
親から『不必要』だとされたのだから、大きな飢えを抱えているものだよ。
かつてのフリジアも、理解した。
親に対しての期待など、すべきではないと……。
―――それなのに、今このときは封じたはずの願望が再び芽吹いていた。
ビビアナとメダルドの関係を見て、親子の愛情を信じたくなったのかもしれない。
自分に与えられなかったはずの愛を、守ることで十分に満足だったはずなのに。
ヒトの心は欲深いものだと、フリジアは考えてしまう……。
―――どれだけ望んでも得られない、その道はひとつではない。
フリジアにとって、世界から人種による差別の争いをなくすことと同じほど。
親からの愛をもらうことは、不可能に近い困難な道だったよ。
何せ、ずっと昔に捨てられているのだからね……。
―――それでも、神話の英雄たちと同じほどにがんばれた今ならば。
フリジアの親たちが、この事実を知ったならば。
さすがに「すごい!」と、褒めてくれる気がしていた。
抱きしめてくれなくてもいいから、せめて……。
―――ちいさな頃から、理解している。
どんなに努力しても、親からの愛情を得られる日はない。
親はいないのだから、いない者からは愛情どころか憎しみさえも得られはしない。
つながりは一方的に断ち切られ、物心つくよりも先に無かったことにされていた……。
―――優秀であろうと、努力し続けたのも。
本当は両親に愛して欲しかったからだと、フリジアは仮面の下で認めた。
不在の両親の代わりに、『カール・メアー』から褒めて欲しかっただけ。
それは代償的な考えであって、少しばかり歪んでいたかもしれない……。
―――しかし、他に選択肢などなかったから。
彼女にとっての『家族』は、かつて『カール・メアー』だけだったから。
女神イースの聖像の前で、やさしく微笑む彼女を見上げる。
偉大な神さまを讃えるためだけの、表情ではなかったよ……。
―――フリジアにとって、『究極の母親』のイメージが誰かなのか?
それは言うまでもなく、女神イースそのひとだよ。
畏れ多くて口には出せないけれど、ひそかに期待を募らせていた。
誰もいない大聖堂で、フリジアはこっそりと口にしたんだ……。
「……わたしのおかあさんが、イースさまみたいだったら、いいなあ」
―――確かめることの不可能な、切ない願いのひとつに過ぎない。
だから、子供のときから誰にも聞かせることはなかった。
否定されたら、とても傷ついてしまうから。
そもそも誰も答えられないことで、相手を困らせるのは分かっている……。
―――不確かな慰めでは、フリジアも満足できなかったしね。
だから、この願望は誰かに聞かせることはなかったよ。
心の奥底にしまい込んで、それでも忘れることはなく抱いていた願いだ。
そのおかげで、フリジアの母親像には特徴が刻まれている……。
―――嗅覚は、思い出と結びつきやすいものだ。
フリジアは知っているよ、実体験が無かったとしても本や伝聞でね。
「おかあさんって、いいにおいがするんだよね……」。
だから、子供のころのフリジアは想像力の特権を行使する……。
―――『カール・メアー』の聖堂を満たすのは、花の香りだよ。
ルスラエクと呼ばれるラン科植物、それから抽出されたお香の香りだ。
それは清楚な甘い香りを持っていて、かつてフリジアは密かに決めたのさ。
「おかあさんって、きっと。この花のにおいなんだ」……。
―――褒めてほしいと、願った。
仮面の下のフリジアは、戦いのための笑顔を浮かべながらも。
自分にはいないはずの母親に、褒めてほしいと。
神さまはときどき、とてもやさしく願い事を叶えてくれるものだ……。
『ああ。お前は、よくやったぞ。フリジア・ノーベル。お前は、本当に、よく戦い抜いた。休むがいい』
―――フリジアは、泣きそうになる。
とても、嬉しかったからさ。
だからね、フリジアは槍を持つ手から力を抜いていた。
彼女の槍は、その次の瞬間に打ち砕かれてしまう……。
―――本望だと、思った。
これで十分だと、信じられた。
砕け散りながら空へと飛んだ槍の欠片、それらを追いかけながら。
フリジアは、自分の成すべきことをまたひとつ見つけていたよ……。
「……もっと、褒められてみせます……っ」
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