第一話 『紺碧の底から来たりて』 その165
職業倫理に守られたくてね。我々のような、過激な者たちはとくに、そういう観点は必要になる。戦士らしく、巫女らしく、医者らしく、錬金術師らしく、商売人らしく。多くの、それぞれに正しい生き方というものがあって、それらを踏み外せば堕落しやすい。
……あまり、説教臭くなると、少女からムダに嫌われるかもしれないから。黙って闇のなかを戻る。
フリジア・ノーベルにも、考えるべきことがあるはずだからな。黙っていてやろう。彼女には、少しばかり迷惑をかけているのも事実だった。『カール・メアー』を利用している。オレも、潔白な立場とは、とても言えない。
それでも、戦士の職業倫理が見せてくれている。正しい方角をな。
勝利のためだ。
効率的な勝利があれば、『仲間』の死傷者を減らせる。勝利しなければ、全ては終わってしまうし、勝利しても、死傷者が多すぎれば……次の戦いでは負けやすくなるのだ。
効率を考えて、戦わねばならない。
感情のまま、無策の特攻を繰り返すような『死神』では、獲得できない勝利というものがある。ガルフが教えてくれた道を、オレは信じるよ。
足音だけが、響く時間をしばらく過ごした。頭上にある根が、枯れ果ててしなびていることを確認しながらの行程だ。『巣』を破壊した結果は、ちゃんと出ている。それらを何度も確認したあとで……。
立ち止まる。
『風』の魔術を放ち、地下のお掃除だよ。
「……ごほごほ!ホコリとか、小汚いものが舞い散るだろうがっ!!」
「そうだ。そして、オレの足音を消し去ってくれる」
「……なるほど。追跡されないように、しているわけか。賢い。というか、手馴れているな」
「長く戦っていれば、知恵の一つや二つも身につく。学びたければ、覚えておくといい。オレは、歩き方も変えて、足跡のつけ方も変えていたことに、気づいていたか?」
「……なんだ、それ。そんなことまで、世俗のテロリストはするのか」
「また一つ、世俗のヘンテコな風習を学べて良かったな。見聞が広がることは、人生を豊かにするぞ、若者よ」
「聖典に、大切な教訓はある。読み解く力が、足りないから……見落としてしまうだけだ」
「かもしれんな。行くぞ」
「……どこに、かなど、言わないだろうな」
「軍事施設よりは、ずっとマシなところだ。君を、傷つけるような者はいない。もちろん、抵抗しなければ。抵抗すれば、帝国兵よりも厳しい方法を選ばせてもらおう」
「……八つ裂きにして、海に……?」
「いいや。ただ。殺すだけだよ。そんなムダな行いをしたりはしない」
「……悪人のようにも、思えるが」
「それぞれの『正義』が違うだけさ」
沈黙が再開して、またしばらく歩いた。そのあとで、『風』を使う。足跡はほとんど残っていない。有能な猟師や偵察兵を投入して、残存する足跡を発見したとしても、足指の使い方が異なる足跡に、混乱もするだろう。
どんなに急いでも、半日では追いつきはしないし、それだけあれば、この地下通路を使う意味もなくなっている。とっくの昔に、こちらが使い終わっているからだ。
足跡の掃除をしながら、帰還を果たす。
「ここだぞ」
「ハシゴが、あるじゃないか?」
「そうだ。上ってくれるか。拘束を解く。一部だけ。逃げれば、また間抜けな末路が待ち受けているから、試さない方がいいぜ」
「しないさ。私だって、学習する」
学んだ彼女を肩から降ろした。暴れもしない。逃げもしない。
「疑うな」
「行いのせいだな。ほら、後ろを向け」
「……ああ」
その場で少女はくるりと回る。後ろ手に縛られていた手首の拘束を、解いてやった。その代わりに、腰に縄を巻いてやったよ。
「信用しないんだ」
「オレを蹴落とそうとするぐらいの気概があってこその『カール・メアー』だと、評価してのことだ」
「……それは、面白そうだ」
「だが、そうなればオレと一緒にフリジア・ノーベルも暗がりに落ちる。オレたちがこのぐらいの高さでくたばることもないが、報復の一つや二つは覚悟してくれ」
「脅すな」
「忠告しているだけだ。仲良く、ハシゴの上に向かうぞ」
「うん。あ……下から、覗くな」
「スカートじゃないだろ」
「貴様の竜の目玉で、あらゆるスケベで世俗的な行いをするなという意味だ」
ヒトの魔眼を何だと思ってくれているのか……。
これも、行いかな。ケツについての評価を口走ってしまったことを、彼女は考え過ぎているのかもしれない。乙女は、自意識過剰になるものだ。
「分かったから、先に行け。落ちそうになったら、ソルジェ・ストラウスお兄さんが助けてやるからな」
「バカにするな。木登りで、私より優れている者など、お山にもいなかったのだからな!!」
鼻息荒く宣言する。世俗離れしている木登り自慢は、山猿のような勢いで上り始めた。
「おい。アホな速度で上るなよ。オレが持っているロープは、君の腰に巻かれている」
「んが!?」
アホがガチガチに伸びてしまったロープの反動を受け止めて、期待通りに落ちてくる。
もちろん、抱き止めてやるよ。紳士の義務だからね。
「う、うう。情けない……っ。今日は、どこまでも悪い日だ。『大魔王』、貴様のせいに、違いないぞ!!絶対に、そうだ!!」
「まあ、そんな日もある。さて、気を取り直して、ゆっくりと上ろうじゃないか。仲良くな」
「……この失敗は、誰にも言うなよ」
「フリジア・ノーベルの名誉のために、お兄さんは黙っていておいてやる」
「よし。おい、降ろせ。スケベ野郎」
「はいはい」
アホなフリジア・ノーベルを降ろしてやる。ムスッとしたサイアクの日に相応しい表情をしたままだが、こちらを見上げて口を開いた。
「一応、礼は、言っておく。助けて、くれたのだしな」
「素直な態度は、評価できるぞ」
「偉そうに」
「君より有能な戦士じゃあるからね。ほら、行こうぜ、若者」
「未熟者扱いして。すぐに、貴様なんて、追い越してやる」
血気盛んな少女は、ハシゴを掴む。だが、今度は山猿の速さでは挑まなかった。我々のような単純なアホどもでも、数十秒前の記憶はちゃんと覚えているんだよ。
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