第一話 『紺碧の底から来たりて』 その36


 足音が近づいて来る。二人分だ。さっき送り出した見張りは、ちゃんと期待に応えてくれたらしい。神経質で、軽い足音を引き連れて戻って来たな。女だろう。


「女上司がいるのか」


「……あ、ああ」


 あんなに楽しくおしゃべりしていた相手は黙り、ばつが悪そうに夏の空に視線を見上げる。転職しようとしていることを、上司に知られたくはないらしい。この素早い歩き方をする人買いどもの女上司は、厳しい性格をしているのかもしれないな。


 扉が開き、門番の片割れと黒髪の若い女が現れる。ニコリと微笑んでいたが、門番の片割れの左のほほは赤いのが面白い。どうやら、彼女はずいぶんと気が荒いらしいぜ。


「ようこそ、メダルド・ジーの屋敷に!遠方から来られたお客さま!」


「ああ。遠くから来たんだよ。君らの取り扱う奴隷を求めてね」


「私の名前は、ビビアナ・ジーです。以後、お見知りおきを」


「ビビアナ……ジーね。つまり、ジーの娘か?」


「姪っ子です。叔父は両親を亡くした私のことを、引き取ってくれたんですよ」


「人買い野郎にも赤い血は流れていることがうかがえる美談だね」


 不機嫌そうに眉を引きつかせたが、それでも一瞬のことさ。そういう扱いを受けることに慣れてしまっているんだろう。オレも、少しばかり無礼が過ぎる言動だが……挑発してもいるんだ。これも仕事の一環になる。


「叔父は、親切で丁寧な紳士ですよ。お金をちゃんと支払ってくれるお客さまには」


「なら、オレは親切で丁寧な対応をしてもらえそうだ」


「……それで。お客さま。お名前は?」


「ベケスだ。傭兵のベケス。大きな商談を君らに持って来た男。稼げるぞ」


「……ベケスさまですね。聞いたことがありませんが、高名なお方なのでしょう。私のような小娘は、見聞が狭いもので」


 微笑みながらの皮肉か。気位の高さを感じさせる態度だ。嫌いじゃないぜ。言われるがままの女は、つまらないからな。


「それで、そっちの男から要望は伝わっているかい?」


「奴隷を見たいとのことですね」


「そう。全員だ。能力の高い者を選りすぐって、多くを買い取る」


「……ご予算に応じて、こちらも商品の方をご紹介させていただきます」


「先に予算をバラせって?……『手練れ』の人買いに、手の内を見せるとクライアントに損害を与えることになりそうだ。奴隷たちのリストでもあるだろう?」


「それは……」


「無いとは言わさない。帝国貴族と仕事するしかない以上、連中の方式にも従うことになる。ベースが、君らの馴染みのある方法であったとしても、帝国の管理は、緻密なものだ」


「ベケスさまは帝国貴族との付き合いがあられるようですね」


「長く因縁深い日々を過ごしている。超一流の傭兵ともなれば、帝国貴族からもそうでない者からも、声をかけられることが多くてね。世慣れて来るものさ」


「……リストは、あります。しかし、こちらも信用第一の商売です。初めての取引を行おうとしているお客さまに……手の内を明かすことは、損につながりかねません」


 交渉術に長けていそうな乙女だよ。メダルド・ジーは、自分の姪っ子をしっかりと後継者として育てていたのか。後継者でなくとも、十分に商人として仕込んだのだろう。立ち居振る舞いも見事でね、貴族じみた気品はあるが……ぎらつく目は少しばかり気が強すぎる。


「リストを見せてくれないのか?……つまり、商品に自信がないわけだ。良い奴隷も良い人材も、全てはリヒトホーフェン伯爵のモノで、君らはつまらん商品しか与えられなかったと」


「いいえ。そんなことはございません。こちらも独自のルートを持っていますので」


「昔からのルートか」


「そうです。ジーの一族は、古くからこの土地で亜人種奴隷の売買を取り仕切って来ましたから」


「……それを名誉と思えるほどには、しっかりとした人買いの矜持を持っているわけだ」


「……ええ。人買いを、悪い生き方だと思ったことはありませんわ」


「なら、リストを見せてくれなくてもいい。君の矜持を信じよう。その代わり、直接、奴隷たちを見せろ。オレは目利きなんだよ。ヒトを見る目はあるつもりだぞ、ミス・ビビアナ」


「強引な方ですね、ベケスさまは」


「そうだ。有能な傭兵というものは、誰もが強引なところを持つ。その力を、君は買いたくないか?」


「……買う、ですか」


 視線は動かない。こちらをじっと見つめていた。目利きのつもりなんだろうよ。大勢の奴隷を見て来た乙女は、戦士の力量を見抜くこともやってのけるだろう。


「『魔銀の首枷』で縛った戦士では、実力は出せん。忠義もない。君や、メダルド・ジーのために奴隷は戦っちゃくれないさ。だが、オレは君たちが金を支払うのであれば、およそどんな仕事もやってのける」


「貴方は自分のクライアントのために働いているのではなくて?」


「もちろん。だが、ビジネスに貪欲であることも、傭兵の処世術ってわけさ。君らは、問題を抱えているんじゃないか?……亜人種の盗賊たちが狙っている首は、ジーだけとは思えん」


 間違いないことがある。ジーの姪っ子である彼女のことだって、盗賊たちは恨んでいるだろうし、狙っている。


「……私の護衛を申し出てくれているのかしらね?」


「まあ、君は可愛らしいし、商人の娘だ」


「若い女とお金が好きだなんて、正直な生き方をし過ぎているのではないでしょうか?」


「扱いやすい男ってことさ。忠誠を期待しなくても、報酬のためになら努力を惜しまない働き者だ。道具として、使うには持って来いだろう。オレは、君が見て来た全ての戦士のなかでも一番強いぞ」


「……それは、いささか自信過剰ではありませんか?」


「事実だろ。交渉術など忘れて、感じたままを素直に口にするといい。叔父は剣術を君に習わせたな」


「……っ」


「身体の所作は、牙を隠し切れないものだ。それなりの腕になった君には、理解が及ぶだろう。オレは、とんでもなく強いぜ」


「……ええ。いい戦士なのでしょう。道具として、使いたいほどには」


 そういうビビアナ・ジーの目は、まるで狩人のそれだった。道具というか……奴隷として所有したいとでも思ってくれたのかもしれん。戦士としては、一種の名誉じゃある。もちろん、彼女のために働くことはありえないがね。


 これは、交渉だ。


 情報が欲しいだけなんだよ。


「……盗賊を捕まえて欲しいなら、オレを雇うべきだ。エルフでも巨人族でも、どちらでもいい。どっちもだって捕まえられるぜ。連中に困っているんじゃないか?」




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