第一話 『紺碧の底から来たりて』 その29


 知るべき情報を、シモンから聞けたことはありがたい。そのあと、街並みについての細かな質問をぶつけた。路地裏の狭さとか、日中にはどれぐらいの人通りがあるのかなんてことをね。


 時刻による街並みの変化は、偵察の所見だけでは探り切れない。職人たちのギルドの取り決めのせいで、昼食時間が決められていたりすれば、その時間帯には街並みが大きく変わるかもしれない。


 人の多さで逃げ道を塞がれることだってある。腕力に頼れば、猟兵であれば無理な突破は可能だ。今日はジャンがいるから。四頭引きの軍馬に引かれた戦車よりも、『巨狼』モードのジャンの方が突破力は強い。大暴れしてもらえれば、いくらでも方位は破れるものの、市民に被害を出しかねん。


 そういった行いは、職業倫理に反するし、少数精鋭である『パンジャール猟兵団』の組織哲学に反するものだ。避けるべき愚行は、避けた方がいいんだよ。敵対者には、可能な限り情報を渡すべきではないものだからね。


 しかし。


 竜太刀を背負った赤毛の大男の人間族……というだけでも、正体を悟られるほどには有名になってしまっている。名誉が世界に広まるのは、ありがたくもあるが、猟兵としての戦い方としてデメリットも増えたという考えもやれる。


 ガルフがいたら、何かしらのアドバイスをしてくれるはずだった。


 ……死者とは、会話できない。


 できないが、感じ取れるものがある。


 ―――『恐怖』に変換させてやればいい。


 たぶんね、我らが猟兵の祖は、そう言ってくれるような気がしている。


 勝ち得た名誉が消せないのならば、それを恐怖で飾るべきだ。オレの名を聞いただけで、多くの帝国兵どもが震え上がるようにしていかなければならん。


 過度な残酷さではなく―――圧倒的な『強さ』と『有能さ』で。そっちの方が、こちらの堕落も防げる。職業倫理を欠けば、名誉も失い……ヒトとして、当たり前の行いもやれなくなっちまうのさ。そんな男は、やがては裏切られる。失望は、大きな損失なんだよ。


 現にね、残酷な人買い野郎で、商売上手なメダルド・ジーは敵が増えている。襲って来た亜人種たちだけでなく、本来は『仲間』であるはずの商人からも嫌われているんだ。ヤツが、もう少し名誉や職業倫理に厚い態度を取れる男であれば、シモンはここまで口を開かなかったかもしれん。


「……うんうん!おっちゃんのおかげでー、かなり地図に描き込めたね!」


「……それは、暗号かい?」


「そだよー」


 竜騎士の暗号さ。ミアにもしっかりと教えているよ。リエルからすれば、ヘンテコな文字とのことだが……これもストラウス家の伝統、ガルーナの竜騎士の文化だ。可能な限り伝えていくべきだ。


「鳥、みたいだね?」


「うん。鳥の絵が、暗号のもとになってるの。どんな鳥なのか、どこを向いているか。それでね、色々なことが伝わってくるのー」


 渡り鳥の種類で、季節が分かる。季節が分かれば、どんな風が吹きやすいのかが竜騎士には伝わる。ストラウス家の知識さ。このヘンテコで感覚的な文字には、きっと、オレが考えている以上の意味がまだ含まれているはずだ。


 アーレスめ。


 もっと、教えてくれていたら、より完全にミアへ伝承することも叶ったのだが……。


 文献には残らない、というか、文章には変換不可能な感覚の伝え方ってものもある。それを、もっと教えて欲しかった―――今となっては、ストラウス家の『本流』の教えを継承しているのは、姉貴と……甥っ子だけだろう。


 コンプレックスが、ちょっとだけ胃袋をチクチクと刺激するがね、気にしないよ。『本流』を、超えればいいだけだから。猟兵として生きた時間は、それをオレに成し遂げさせてくれる。ゼファーも、一緒にいてくれるからね。ストラウス家の伝統も、いつか超えてやれるさ。


「……旅慣れた子なんだねえ」


「うん。たくさんの先生がいたから、強くなれたの。もっと、強くなっちゃうよー」


「あはは。それは、将来有望だね」


 シモンが喜んでいる。


 いいヤツだな。商人としては、少しばかりいいヤツ過ぎるかもしれないが、我々としてはありがたい。この友好的な態度に、もう少し、甘えてみることにしよう。


「……シモンよ」


「は、はい。何でしょうか?何でもご質問を!」


「『怪物』の噂を、聞いたことはないかな?」


「『怪物』……ですか?その、魔物の一種でしょうか?」


「深海の魚のように、醜く歪んだバケモノだ。魔物というか……ヒトが、それに姿を変える」


「……御冗談を?」


「冗談であれば、良かったんだがね」


 沈黙が、生まれてしまった。からかわれているとでも、シモンは心配したのかもしれない。冗談に対しての苦笑を選ぶべきなのかとか、ユーモアで応じるべきかとか、考えているのかもしれん。だとすれば、問題はない。


 ボーゾッドは、地味な動きをしているようだから、その方針が反映されているかもしれん。

隠したい『怪物』どもについての情報も隠ぺいしようと必死となっているだけってことか、『怪物』の数は、オレが考えているよりも少ないのかもしれないからね。そういう状況であれば、とくに問題はないが……。


 ……困り顔が選んだ沈黙に、哀れさを感じ始めたから、この息苦しさを帯びた沈黙を破るために口を動かそうとした。そんなとき、さまざまな噂に精通した行商人シモンは口にしてくれる。


「……『ギルガレア』のおとぎ話では、そういった『怪物』の物語も出てきますが。あれは、その……おとぎ話ですからね」




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