第一話 『紺碧の底から来たりて』 その23
「……ふー」
ミアが息を吐いて、意識を変える。
小さな指で、なぞるように街並みを宙に描き取った。記憶しているのさ。ガルフの教えに従い、まずは退路から把握しにかかる。生き延びることは、少数精鋭の猟兵にとってクリアすべき最大の課題だ。
「街の南北に開けた道があるね……北に抜ければ、港に出られる。港の兵士の数は少なかったから……ゼファーに回収してもらえれば、楽に脱出できちゃう。船に『火球』を叩き込んで燃やせばいいよ」
「あいつら、帆を降ろしていないからな。燃やせる」
「うん。炎の壁になるよ。遮蔽物になる。矢を射ることが、困難になるよ。あとは、煙に隠れて、すぐに逃げられる!」
「ああ。いい逃走ルートだ」
「南は、それに比べたら難しい。敵に追い詰められ続けちゃうもん。私たちだけなら、逃げられるけど……」
「囚われた奴隷を解放しても、逃げ道はないな」
「……海に逃げた方がいいね。船を奪って、それに乗ってもらって、北に向けて一気に逃げる。それが、きっと理想的な逃走コース。もちろん、今すぐにどうこうっていうのは難しい……」
「まずは、状況を把握することにしましょう。港町に近づき、情報を集めなくてはなりません。市場は、奴隷だけを扱っているわけではありません。外部からの商人も、集まっているはず」
「情報源になるな」
「ええ。奴隷を買い付けに来た商人もいるはず。そういった者は好きにはなれませんが、知りたい情報を持っているでしょう」
いつものように無表情だがね、それでもガンダラは感情的になっていた。当然か。奴隷としての苦しみを、誰よりも知る者の一人なのだから。
……こちらの視線に気づいたガンダラは、首をのけ反らす。
「大丈夫ですよ。冷静に、副官としての役目を果たします」
「知っている」
疑うことはない。ガンダラは、そういう男だ。どんな状況だろうが、心情であろうとも、最善を尽くすことに価値を見出し続けられる。いつだって、より正しいことをしようと試し続けるタフでマジメな副官殿さ。
「では、移動を開始しましょう。団長とジャンは、あの街に潜入することに長けています。ミアも、そのバンダナでケットシーの耳を隠せば十分でしょうが……巨人族である私は、状況次第では『奴隷ごっこ』をする必要もありますな」
「『魔銀の首枷』か」
「用意していますよ。楽しい道具ではありませんが。良い変装道具です。もしもの時は、私の主にでも化けてください」
「ああ」
巨人族の奴隷と、人間族の主。そんなものが『不自然でない組み合わせ』になってしまうのが、悲しくて変えるべき現実ではあった。有効だからこそ、甘んじて利用させてもらうことにするわけだがね。
そうだとしても。ちょっと言っておきたいことがある。
「今夜はいい酒を呑むぜ、ガンダラ」
「……ええ。そういたしましょう。より生産的な状況にして、勝利の兆しに完敗したいところですな」
「おう」
酒は、そういう使い方をすべきだよ。26年も男をやっていると、ようやく正しい使い方が見えるものもあってね、酒はその一つだった。とても素敵な道具なんだよ。
「じゃあ、行こう!」
『は、はい!』
元気よく歩き始めたミアを追いかけて、『狼』モードのジャンも走り……ヒトの姿に戻った方が良いのだと気付いたんだろう、慌てて変身を解く音がした。その音が、何だか救いになるんだよ。
あの太い首に、機能こそ消し去っているが『魔銀の首枷』を自らはめるガンダラの背中を見ているオレには、ジャンの慌てた態度が癒しになった。
歩くよ。
ガンダラに並び、追い抜くようにして。主従っぽく見せるために、あえてガンダラは歩みを遅くしてくれている。応えなくてはいけない。今夜の酒を美味くするための勝利を獲られるようにしなければならん。
クールに行動すべきさ。
感情は封印し、思考に頼る。じつに、ガンダラ的な時間だ。
真夏の暑さに揺らぐ地面を踏む。常に、冷静さとは真逆の感情が、足の裏から心臓に伝わって来やがるのさ。これはね、つまりは怒りなんだよ。オレの副官に、みじめな演技をさせてくる『今』が嫌いでね。ぶっ壊して、全部変えてやりたくなる。
一歩ずつ。
歩くんだ。
世界をぶっ壊して、変えちまうために。
心臓は怒りを喰らって、とても元気に脈を打つ。笑顔だ。戦いに相応しい表情を選んだ。ちょっとは無理があるかもしれないが……怒りは隠さないとね。何せ、もうすぐ……あの港町へと向かう道で、品物を広げている旅商人と遭遇するんだ。
こいつは、貴重な情報源。
オレたちの知りたいこと、知るべきこと、何もかもを知っている男かもしれない。脅かさないように、スマイルを作るとしよう。ジャンを交渉役にするのは、ちょっと無理がある。団長さんとしての話術の出番さ。
ああ。
あちらも、オレたちを認識した。ビジネスのための顔面を作り上げて、愛嬌に細められた瞳を使いやがる。値踏みしているような、商人らしい視線で我々を観察し、どんな集団なのかを予想した。
間違っちゃいない。
オレを見ているな。奴隷を連れた粗暴な男だと思っているのかね?……だとすれば、屈辱でもあるんだが、今は甘んじて……笑顔を返しておくとしようじゃないか。だって、世界をぶっ壊さないといけないんでね。
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