第一話 『紺碧の底から来たりて』 その22


 クジラの死骸の近くまで来ると、ゼファーは一気に高度を落とした。海岸から続く丘の高さより下にもぐれば、遠くからの視線に見つかることもなくなる。いい飛び方だ。可能な限り、敵には見つからない方がいいというのは、どんな作戦であっても変わらない。


 敵から攻撃を受けず、無防備な敵に必殺の一撃を容易く与えられるわけだからな。少数精鋭である我々には、いつだって選ぶべき方針だよ。こっちが言わなくても、『パンジャール猟兵団』らしい飛び方をゼファーはしてくれる。大きな成長だ。


 竜は、ごうまんな生き物でもあるのだがね。それ以上に、『強さ』を必死に求めてくれているからこそ、ゼファーは従順に猟兵の方針に従ってくれているんだよ。


 ナデナデしたくなって、当然だよな。


 オレも、ミアも、ゼファーの首を撫でてやった。


『きゃはは!くすぐったーい……っ!』


 海面ギリギリを滑空しながら、愛らしい笑い声を返してくれる。幸せな時間さ。すぐに、クジラの死骸のにおいへと突っ込んでしまい、全員の表情がそのヒドイ臭いに歪んでしまったのは残念だ。


 だが。考えようである。


「これだけの激しい悪臭であれば、現地の者たちは近づきませんな……」


「『真なる現地の者』たちなら、早めの対処をしてくれたかもしれんぞ。帝国に支配されている状況だ、行動を多く制限されているのかもな」


 悪臭に浜辺を満たされることを、本当の地元民が好むとも思えない。クジラの死骸なんぞ、ときには漂着して来ることもあるはずだ。慣れていることには、対策をするものなんだがね……とっとと焼いちまうとか、食ってしまうとか、浜に穴でも掘って埋めてしまうとか。


 この猛烈な悪臭を、わざわざ受け入れなくてもいいはずなんだよ。それを、していない。させてもらっていないのかもしれん。帝国にとっては、この場所は自らのテリトリーの外端であり、領土の取り合いをしている最前線でもある。


「地元民とコンタクトが取れれば、協力関係をすぐに結べるかもしれない」


「ええ。おそらく容易いでしょうな。中海南岸の人々は、『プレイレス』の人々のなかでも政治的には北部全般と対立してはいるでしょうが……帝国に支配されるよりも、以前の状況の方を好ましく思うはず。『外敵』には、感情的な嫌悪が強まりますからな」


「内側の敵ってのも、厄介じゃあるが……まあ、亜人種も多い地域だ。『人間族第一主義』の帝国軍と仲良くやれるはずもない」


「地元の人たちと接触できたらいいねー……っ」


 そう言いながら、ミアは口もとと鼻を取り出したバンダナで覆っちまった。かなりの悪臭だから、わざわざ嗅ぐ必要はない。


「うう……ぐう……っ」


「大丈夫ですかな、ジャン?」


「……は、はい。すごく、臭いので、辛いだけですっ。そ、それ以外には、問題はありませんっ」


 『狼男』の超人的な嗅覚で、この悪臭のなかにいつまでもいることは辛すぎた。


「ジャン、『狼』に化けて、一気に浜を駆け抜けておけ」


「は、はい……そうさせて―――あ、あれ!?これ……竜の、におい?」


 その言葉にガルーナの竜騎士であるストラウスの兄妹は素早く反応したよ。同時に首を振ってね、『それ』を見るのさ。クジラの死骸。ゼファーも見ていた。死臭のガスに入道雲みたいに膨らみ上がったクジラの腹は、裂かれて『喰われていた』んだ。


 クジラを喰らう生き物なんてものは、そう多くいるものじゃない。しかも、ジャンの鼻を疑えないストラウス兄妹が導き出す答えは、決まっているよな。


「ルルーが、食べたんだ!」


 そう。ルルーシロア。あの白竜が、この漂着したクジラを喰い殺したんだよ。海中で、クジラを圧倒した速度で泳ぎまくり、下からかち上げるように噛みついて、腹を裂いた。好きな臓器だけを味わい、ぜいたくなことにあとは捨てちまったというわけだ。


『ぐるるうう!!あいつが、ちかくにいるのかな……ッ!!』


 好戦的に喉を振るわせるゼファーだが、オレの読みは、その期待に応えられるものではなかった。


「南東へと流れる潮だ。それに乗って、かなりの距離を運ばれたんだろう。それに、この腐敗は……昨日や今日に喰い殺されわけじゃない」


「ルルーは、あちこち放浪するタイプだと思うんだよね。ベイゼンハウドでも、同じ場所にはいなかった。だから、近くにいるとは限らない……このあいだの戦いでの疲れを、癒している最中かも?」


『……つぎは、かつんだ。ぼくが、あっとうしてやるんだ』


「その意気だ」


「うんうん!ルルーと切磋琢磨して、強くなろうね!」


 とんでもない悪臭のなかでも、良いことと出会えれば心も弾む。ルルーシロアの痕跡を感じられた。それは、竜騎士であるストラウス兄妹にとっては、最高に楽しいことさ。戦いで経験値に、肉で応えている。ルルーシロアは、このあいだより一回りも二回りも強く成長しているはずだ。


 それは、楽しくなるよ。


 ライバル心を抱くゼファーからすれば、心中穏やかなことでもないが。衝突し合えば、また両者共に力を増すことになる。良い関係性ってことさ。


「ジャン、ありがとうね!」


「う、うん……っ。はあ、はあ、はあ、はあっ」


「限界だな。ほら、ジャン、先行しろ!」


「い、イエス・サー・ストラウス!!』


 『狼』の姿に化けたジャンは、浜辺に飛び降りた。強烈なダッシュを見せつけてくれたよ。浜の砂が爆破でもされたかのように高く、大量に、舞い散っていく。


「……我々も、降りるとしましょう。この悪臭のなかに、長くいることは健康的ではない」


「うん!ルルーの痕跡を見れたから、十分!」


「ゼファー、浜に降りてくれ」


『らじゃー!……ちゃーくち!!』


 砂浜を削るようにして低空飛行は終わった。ルルーシロアのことを考えているせいで、気が立っているゼファーだが、砂の感触を蹴爪で感じるのはたまらなく楽しいらしい。うろこが嬉しそうに波立っていた。


 愛らしい姿を見て、ストラウス兄妹はニヤニヤしながらも、その背から飛び降りる。


 作戦開始だ。二人して、この悪臭から逃れるために走ったよ。ガンダラも、続いてくれる。オレたちほど速くはないが、なかなかのスピードで。やはり、この悪臭のなかにいるのは辛い。


 おかげで、誰も近づかない浜から上陸できたんだがね。


 これも、思えばルルーシロアのおかげでもある。それは、何とも嬉しい事実だった。近いうちに、『家族』になってもらうとしよう。ミアが、その契約を結ぶことになる。


「……『ドラゴン・キラー・コンビネーション』を、もっと磨かなくちゃね!」


 バンダナの下にある唇は、きっと不敵に笑っていた。アタマのなかで、ミアはルルーシロアと戦っている。良い傾向だが……すぐに、切り替えることにもなった。丘を登れば、これから潜入する街並みが、よく見渡せたからな。




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