第一話 『紺碧の底から来たりて』 その21


 夏の膨らみ上がった雲に、融け込むようにゼファーは飛んでくれる。空に隠れ場所は少ないが、雲はその数少ない隠れ場所の一つだ。直接、突っ込んでもいいし、背負うことで敵の視界から隠れることもやれる。


 鳥をいつまでも追いかけ続けられないだろ?


 集中力が不意に途切れる瞬間に、色合いやら影や光に視線が遮られるだけでも、容易く見失ってしまう。


 ヒトの視線ってのは、それほど有能じゃない。夏の膨らみ上がった雲に近づけば、竜の姿も隠せる。空を永延と監視し続けられるような生き物じゃないのさ。


 雲に隠れたまま、我々は目標地点に接近していく。


 港が見えた。日に焼け過ぎて色褪せてしまった石材で作られた古い建築物だな。ジャンの鼻が血のにおいを感じたらしいが、視界にはその痕跡はない。大型船は四隻ある……小さな船は、十隻弱だ。


 それなりの港でね、人波でにぎわう市場もある……石材で作られた四角い店が等間隔に並んでいるが、そのどれかに奴隷が集められて残酷な搾取を企む者に売られる日に、怯えているわけだ。この熱い日々のなかで、彼らは十分な水を与えられていただろうか。


 ミアがね。


 静かにそこを見ている。


 ミアの母親も奴隷だったんだよ。ある日、彼女は娘の『未来』を憂いて、命懸けで逃げ出してくれたのさ。とんでもない勇気だし、とんでもない覚悟で、とんでもない愛情だ。周りの連中は全員、敵みたいなものだろうに。


 小さなミアを抱えて、必死に逃げ出してくれたんだぜ。命を使い尽くすまで、逃げてくれた。ミアが自分と同じ奴隷になるという『未来』が、それだけ怖くて嫌だったからさ。死ぬまで、娘を抱えて逃げ続ける……それを覚悟させるほど、奴隷っていう立場でいるのは辛い事なんだよ。


 ああ。


 ほんと。


 その真実を知っていると、どうにもこうにも腹が立つね。オレとミアが、一緒になってにらみつけているあの街並みのどこかには、奴隷が詰められている場所がある。商船の乗組員たちじゃなかったとしても、別の大勢の亜人種たちが……。


 どれだけの。


 ミアと、ミアのママがいるのかね。


 同じような立場の苦しみを抱えた者たちが、あのクソ暑そうな建物の地下で、泣きながら祈っているのか。


 奴隷なんて制度は、やっぱり間違っているよ。ヒトってのは、売り買いされるべき対象じゃない。もっと、意志のままに『自由』が許されるべき生き物なんだよ。


「……全員、助けてやろうな」


「うん!」


 振り返ることもなく、ただまっすぐに街並みを見つめたまま、オレの妹は返事してくれた。誇らしくなる態度さ。かつてのミアとは違って、今では多くの者を助けられる。ミアのママたちもだ。似た状況の者たちを、今日も大勢救える。それは、確かな癒しになるんだよ。


 本当に救いたい者を救えなかったとしても、十分に痛みを和らげてくれる行為となる。かつての自分たちを、ちょっとだけ救えた気持ちになれるんだ。


 良い仕事をしなくてはな。


 ミアのママのために。


 紳士なアーレスが、背中の竜太刀と左眼のなかで燃えているよ。救うべき女性がいるのだと、あの古竜は牙をガチガチ鳴らして叫んでいるのさ。


 集中を作る。


 より知覚の感度を深めて、あらゆるものを見過ごさないように……全てを網羅するような勢いで魔眼を使った。


 そのおかげで、街並みのあちこちに帝国兵の姿を見つけられる。制式な装備を身に着けているが……。


「……やけにガラが悪いヤツも、混じっているな」


『た、態度が悪いカンジなんですか?』


「そうだ。姿勢も良くない。ムダに威圧的だな。王者や貴族でもあるまいに、雑兵が威嚇的な振る舞いをしても無意味なんだが……それでも、ガラが悪いヤツってのは、虚勢を張りたがるもんだ」


「『懲罰部隊』の兵士どもかなー?」


「かもしれん。『十大師団』に所属していない帝国兵だからな、一種の落ちこぼれでもある。たんなる、クズ野郎かもしれんというわけだ。困ったことに、練度を感じない……商船を襲撃した兵士は、練度はあった」


 ただの訓練不足の田舎者かもしれない。戦力を急いで集めたというのであれば、大した訓練期間を確保できなかった可能性もある。


 ……落ちこぼれと犯罪者が、周囲にいた。ボーゾッドは、その環境にもストレスを感じられるかもしれない。環境は鏡のようなものさ。自分を映してもくれる。クズ野郎に囲まれているという自覚ほど、気高い者を悩ませる痛みもあるまい。


 貴族として生まれたのならば、そういう連中とは『違わないといけない』。振る舞いだけでなく、より明確な何かで勝らなければならんのさ。


 ヤツが、こじらせてしまったのは……周囲からの影響もあるかもしれん。


「……何であれ、やはり地上からの偵察が必要になりそうだ。海岸に降りよう。人気のない場所がある……」


「うん。でも、何か……あるね?」


「ああ。あれは、クジラの死骸さ。浜辺に流れ着いて、腐りかけている」


「なるほど。とても臭いというわけですな。人払いはなされますが……」


「ガマン!あの海岸からなら、ゼファーを隠しながら着陸できるし、かなり短い距離で港町まで接近できるもん!」


『で、ですよね。が、ガマンしなくちゃ……っ。はあ、鼻を押さえられないなあっ』


「ヒトの姿に戻ればいいのではないですかな?」


『……っ。た、たしかに。クジラの死骸をやり過ごすまでは、ヒトの姿に戻っておきます!』


 成長しているジャンだが、ところどころ抜けているぜ。それもまた、愛嬌ではあるがね。




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