第一話 『紺碧の底から来たりて』 その20


 晴れた夏の空は、いかにも素直な風が吹いている。明確でブレのない西風に乗りながら、飛翔の速度を上げて行った。


 世界は、まるで平和なようにも見える。あの血のにおいで赤く飾られてしまった商船と、広がる夏の海のおだやかさはあまりにも質が異なっていて、自分が軍事作戦の最中にいるという自覚が薄まってしまいそうなほどだ。


 ミアの猫耳も、黒髪のなかでピコピコ愛らしくリズムを刻んでくれているしね。視界のどこを探しても、しばらくのあいだは敵の可能性を持った影さえ見つけられなかった。商船はいないが、帝国の軍事目標にはされないだろうという自覚があるのか、漁師の小舟が沖合いに浮かんでる。


 陸地に向けて戻ろうとしている漁船もいるし、これから沖合いに大物を狙いに出るつもりなのだろう、海の果てを目指すように帆を風で受け止めている者たちもいた。


「平和なもんだぜ」


「彼らは、帝国軍の攻撃を恐れていないのか……あるいは、生活がかかっているため、怖くても沖に出てしまったのか……どちらかですな」


「商人たちとは、違う価値観で生きているだろう。商船が襲われたからといって、自分たちまで襲われるとは思っちゃいないのさ」


「リスクを無視していますな」


「ああ。ボーゾッドが、残忍な野心家で、名誉や利益に飢えている鬼畜野郎だと知れば、慌てて陸に戻るかもしれん。亜人種だけを拉致しなければならんという法もない」


 『人間族第一主義』があるから、人間族を優遇しようとはするだろうが―――『懲罰部隊』を操る手法を確立している男だ。敵地の人間族だって、手駒にしようとするかもしれない。それに……この中海を帝国軍が奪い返そうとするとき、『プレイレス』の漁師たちも敵となるのだ。


 殺しておいて、損はない。そんな考え方を傲慢な帝国貴族はするかもしれん。商船を狩り尽くして、『オルテガ』を防衛する……では、満足できんだろう。


「ボーゾッドは、『モロー』沖まで、わざわざ『懲罰部隊』の『怪物』を一人使って見張らせていたんだ。本命は、中海全域だろう」


「奪い返したいでしょうからな。第九師団の敗北に、つけ込めれば名を上げる好機だと認識しているかもしれません」


「多くの貴族が戦場では名誉と利益を求める。そのためにこそ、戦をしているようなものだからな」


「出世のために軍事行動を利用する……ありふれた現象ですが、その犠牲にされるのは御免ですな」


「どこの貴族も、罪深いもんだよ。ヒトは増長しやすいし、戦場は単調すぎる。貴族と戦場をセットなんかにしちまうと、ロクなことにはらなん」


 肝に銘じておきたいところだ。オレもガルーナの貴族の一員ではあるし、貴族どころかガルーナ王になるのだから。


「自らの肥大した自尊心に、周囲を付き合わせてしまう。確かに、ろくでもない行いですな。団長も、そうならないようにしてください。愚かな王は、無益な血を流させると相場が決まっていますので」


「そうならんように、有能な部下に頼ることに決めている」


 ガンダラやロロカ先生、それに……『メルカ』の『役人候補』たち。オレが頼りにすべきインテリは数多くいるから、そういう人々に力を借りるのさ。


「自分より有能な者を近くに感じていれば、間抜けな自惚れに囚われることもないだろう。だから、オレよりも優秀でいてくれよ、簡単なことだろうがね」


「……簡単?……そうとも思いませんが、努力いたしますよ。団長に相応しい部下でいたいと考えていますからな」


「ぼ、ボクも、団長には劣るかもしれませんが、努力します……っ。お役に立てるよるに……っ」


「ガンダラちゃんも、ジャンもマジメだねー」


『だねー』


「良いことだが、気負い過ぎるなよ。とくにジャン。過度な集中は、視野を狭めもする」


「りょ、了解です!……そ、そうですよね。今は……先のことよりも……お、『狼』になって、嗅覚で何か拾えないか試しておきます!」


 ぽひゅん!


 いつもの変身音が聞こえて、ジャンは『狼』に姿を変えた。


「マジメだねー」


『だねー』


『こ、この姿でなら、し、集中しなくても、より多くを嗅ぎ取れるんだ。昨日は、や、役に立てなかったから……今日こそ、しっかりがんばらなくちゃ!』


「……まだ、かなり距離がありますが?」


「『呪い追い/トラッカー』の力を組めれば、距離はあまり関係ないんだ」


「便利な能力ですな。そこらの賢者よりも、はるかに有能な力ですが……」


『そ、そんなことありませんよ!?……ぼ、ボク、本当に、やれることが少なくて……もっと、勉強したいって、いつも思っていまし――――あ、あああ!!』


 鼻をスンスン鳴らす音が聞こえる。これは、おそらく良い傾向だった。近づいていた最初の奴隷市場をにらみつけながら、ジャンに訊いたよ。


「何を嗅ぎ取ったんだ、ジャン?」


『し、新鮮な……ひ、ヒトの血ですっ。たくさん。これは、た、多分ですけど……っ』


「方角が一致しているってことだね。きっと、拉致された船乗りさんたちのケガからあふれた血のにおいだよ!」


『……もう、みつけてる。すごいなー、じゃん!』


『ま、まだ。確実なにおいでは、ないんだけれど……あ、怪しさは十分ありますよね!?』


「ククク!……でかしたぞ、ジャン。いきなり、大当たりを引いたかもしれんな。ゼファー、高度を上げろ!雲に隠れながら、あの港に近づくぞ!」


『らじゃー!ばれないように、もこもこのくものしたに、かくれながらとぶねー!』




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