第一話 『紺碧の底より来たりて』 その11


「……お兄ちゃん」


 背後から聞こえた声に、うなずきながら返事した。


「もう大丈夫だぞ。警戒しなくても、完全に死亡した。呪いも、見当たらない。ジャンは?」


『ぼ、ボクの鼻でも、同じです。の、『呪い追い』に引っかかる呪いは、ない、です!』


 断言するのも成長だ。己の能力に自信を持つことは正しいことだよ。求めているのは、不安を消せるほどに集中と考察で磨き上げた『専門家の答え』だ。ジャンの鼻の能力の高さは猟兵の全員が知り尽くしているし、オレの魔眼の『呪い追い/トラッカー』の力だってかなりのものさ。


 呪術を追跡することに関しちゃ、とっくの昔に専門家であるオレたち二人の意見が一致したというのならば、それはかなりの高確率で正しい状況把握を行えている証拠だと考えていい。むろん、警戒を完全に解くことはしないがね。


「……こいつは、何なの?」


「立場は、『懲罰部隊』の帝国兵。襲撃の命令を出した者は、帝国貴族、ボーゾッド伯爵。手段に……醜く強力な水中の『怪物』に化ける呪術を使った」


「殺すと、呪いが解けるんだね」


「そのようだ。だが、ミアは近づくなよ」


「うん。近づかないようにする。呪いは、変な罠みたいに機能するのもあるかもだし。油断はできないもんね!」


「その通り。こいつは、持ち物も大して持っちゃいないからな」


 上着もつけちゃいない。『怪物』化のさいに肥大化した脚によって引き裂かれたズボンだけさ


「ボーゾッドにつながるものを持って作戦に及ぶことはしなかっただろう。こいつは、オレの強さも知っていた。リスクを承知で挑むのならば、『仲間』につながる品を持って動くことはない」


『で、ですよね。こいつは、ボーゾッドを気に入ってはいなかったみたいですけど。お、同じ立場の仲間のことを大切にしていたように見えます』


「じゃあ、何も手掛かりはないのかな?」


「そうでもないさ。こいつの肌に、刻まれている入れ墨は『犯罪歴』だ」


 竜太刀の先端を使って、右腕を跳ね上げさせる。腹の上に置くような形となった手の甲には、馬の刻印があった。美しいデザインではなく、刺々しく事務的な形で描かれたものがね。


『か、体のあちこちにもですけど、腕には、た、たくさんの入れ墨がありますね……』


「馬泥棒以外にも、色々とやって来たんだろう」


「泥棒なんだ」


「泥棒以外にも、やっているようだがな……貧しい生まれだったのは、本当らしい。成長によって広がった肌のせいで、歪んでしまった入れ墨もある……」


『ま、まだ若そうな男ですよね?』


「二十代前半といったところか。ガキの頃に、それなりの犯罪者だった。顔も、あちこち傷跡だらけ。こっちは戦歴と勇敢さを示している。良い戦士ではあった。犯罪者として育たなければ、道を踏み外すこともなかったのかもしれん」


 人生は、たしかにフェアではない。より恵まれた者と、より貧しい者。そのどちらかとしか出会うことは叶わないものだ。


 それでも、正しく生きなければならない。職業倫理や、道徳心でもいい。オレの趣味ではないが、信仰がくれる神さまの正しさで人生をマジメに過ごせるのならば、それだっていいさ。


 どうにかして、正しくあろうとし続けなければならない。そうでなければ、過酷な生まれの者であるほどに、道を踏み外しがちだ。


 この男の右腕と左腕は、罪の歴史であふれている。それに、額には焼き潰した痕跡があった。


「火傷で消したな。額に刻まれる罪は、何にせよ重い。人生をかけて償うべきだと考えられるような大罪を犯した証だ」


「……バンダナとかで隠せそうだけど、そうじゃなければ……」


「ああ。マトモな者は、こいつに近づくことはない」


 転落というものは、加速してしまうものだ。罪の重さを知っても、一緒にいてくれる『仲間』を求める……そんな都合が良い要求に応えられる者は、どうしたって限られちまうよ。


「流れ着いた先は、『懲罰部隊』か。社会から疎外されるような重罪人たちでありながらも、その結束と忠誠が強い……軍に入る前からつるんでいた連中なのかもしれん。そうでもなければ、悪人が命がけで誰かを庇いもしないだろう」


「盗賊たちを、帝国軍が雇った?」


「『オルテガ』は複雑な城塞に守られた都市だというからな。それを素早く制圧しようとすれば、出自にも毛色にもこだわらん採用もあながち悪くないかもしれん」


「急いで集めたんだね。使えそうなら、悪人でも良いと。でも……それだけじゃなかった」


「ああ。ボーゾッド伯爵というヤツは、かなりの悪人だな。こいつらが『ちゃんと軍規を違反することも知っていた』んだろうよ」


『え、ええ!?ど、どういうことですか!?』


「ボーゾッドってヤツが欲しかったのは、『普通の帝国兵』じゃない。『悪人として罰を与えられる帝国兵になれない連中』だった気がするよ。それなら、職業倫理を守れるはずもないような戦士を雇うかもしれない。普通の兵士が欲しいなら、こんな連中は雇わないもん」


 ガルフにしっかりと職業倫理を保つことの『効果』を教えられているのがミアだ。戦場なんかで悪を成す者は、どこまでだって堕落してしまう。堕落を防ぐために、戦士としての職業倫理を守ることが大切だ。


 それを理解しているミアからすれば、犯罪だらけの人生だった男を、ボーゾッドが信用するはずがないことも知っているんだよ。


「『迷宮都市オルテガ』の攻略に使いつつ、軍の物資に手を出すことも待っていた。そのどちらも叶うのであれば、ようやく、帝国兵として生きる機会を与えてもいい……そう考えるのならば、悪人を部下として雇うことも貴族は許容できる」




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