第一話 『紺碧の底から来たりて』 その5


 薄暗さにワイヤーが隠されていないかを調べながら、穏やかな中海の波に揺られる船のなかを歩いた。感覚を、広げるように使いながらね。今までの罠を探る技巧に、それ以上をプラスしてもいる。


 ありのままを感じるし、敵の動きに潜んだ思考もより深く予想しながら、という試みも使っているんだ。『プレイレス』の芸術家たちから受けたレッスンを忘れちゃいない。


 古く馴染んだ技巧と知識は、何も考えなくとも機能するからね。この新しい技巧を、イメージしてやれば……自ずと感覚は広がってくれた。


 見える。


 敵の残した痕跡には、あわただしさがあったよ。何も、足跡だけじゃない。船のなかは狭いからな。この狭さに勢いよく駆け込んでくれば、装備であちこち擦ってしまう。壁にも天井にも、新しい破壊の傷跡があった。


「短めのサーベルだ。よく訓練されているようだな。上から押し行って来た外敵が天井に残した傷跡は少ない。壁には、それなり以上に残っている。勢いよく、突撃して、商船の護衛と戦い、少ない数で圧倒していった」


『な、なるほど。傷が『開いている』ほうに、う、動きがあったわけですね』


「そう。引っかかるのは、端から。しかし、それに動きが加われば、鈍りながら広がる」


 わずかな差だが、明白な違いだ。


 しっかりと、それを嗅ぎ取ることで、この場で起きた戦いが『見えてくる』。これは、残念ながら『呪い追い/トラッカー』では感じ取ることは難しい。魔力の痕跡も乏しく、呪術も今のところは見えないからね。


 猟兵としての、『ヒトとして持っている感覚』に頼らなければ見えない。逆に言えば、コツさえ把握しておけば、誰でもやれるという点で優れてもいる。


「動きの差は、明白だな」


『は、はい。船内に、立て込んだ『守っていた方』は、圧倒されています。い、勢いだけじゃなくて、た、多分、慌ててもいるんですね』


「その通り。天井に刃の先を当て過ぎている」


 雪崩れ込む敵に応戦しようとしつつも、質で負けていく。敗戦は濃厚だと感じたとき、胆力は試される。過酷な状況に陥るほどに、ヒトは脆さを見せやすくなった。臆病風に吹かれた者が、見える。


 とっさに逃げ出してしまった。怯えて、暗がりの隅へと逃げ込み、そこで身を伏せる。敵は容赦なく、彼を背中から斬り捨てた。息絶えた人間族の船員が、通路の奥に倒れている。勇敢な男の方が好きだが、死に怯えることも自然だ。中年男だったからね。生き残らなくちゃならない理由も多くあったのかもしれない。


 その年齢から察するに、彼は、きっと。


 誰かの父親であり、夫であったのだから……。


「……敵は、強く、手慣れている。訓練を、よくしていた。実力があるだけじゃなく、こういった状況での戦闘を、考慮して訓練を繰り返していた。全ての行動には、意味があるということだ」


『そ、それを、読み解くべきなんですねっ』


「いまは、まだ集中するよりも、自然体で感じていけ。罠は、オレが見ているから大丈夫だ。ジャン、お前はより広く、この状況を観察するように心がけてくれ」


『わ、わかり、ました』


「訓練しようとも、集中して極限状態になればなるほど……誰しも、悪癖に囚われるものだ。何かを、残す。普通では、感知できない悪癖であったとしても、お前ならば嗅ぎ取れるかもしれない」


『……はい。ぜ、全体を、感じ取るように、さ、探ってみます』


「それでいい。さて、階段を、降りるとしよう」


 血の跡だ。


 引きずり出された重傷者の痕跡を、追いかけて階段を降りる。三層に渡って、その血の跡は続いていた。


「かなりの労力だったな。それでも、運んだ。出血は、脚か。太ももを深く斬られて、そこから大量失血が始まっていた。すぐには死なないな」


『ど、どうして、殺さなかったのでしょうか?』


「他は殺しているのに、不思議だな。わざわざ、労力をかけてまで、負傷者を運んだ。理由に、思い当たるものは一つ見つけた」


『さ、さすがです!……ぼ、ボクは、まだ……』


「ジャン。この血は、『誰』の血だ?」


『……え?………………あっ。これは、お、おそらく……エルフ、です』


「そう。亜人種。この重傷者は、引きずり出されて……この船から連れ出された。生かしておくべき者を、選んでいたな。この重傷を負うまで戦う気の荒く、今度は重労働がしにくいであろう男を奴隷として売るためか……それ以外の理由があるかは分からんが。訓練と命令を感じる。敵にとっては、意味のある行動だった」


 ……遠ざけるための手段では、なかったのかもしれない……とも、思わんよ。重傷者を運んだ痕跡を、新しく見つけられたからだ。一つの部屋に、詰め込んだ。残念ながら、そこで全員が息絶えてしまっていたがね。


 行動がある。


 方針もある。


「亜人種は、運び出した。負傷者も。最下層の船倉に隠れた者の魔力と気配を探るためかもしれん。この痕跡は……より徹底的に、船倉から遠ざけているように見える……」


 死んだばかりの血と死体にも魔力は宿っているからな。感度が良すぎる魔術の才を持つ者たちならば、それに隠れて身を潜む者を、見落としてしまうこともある。強者ゆえの、弱点というものもあってね。それを補うためには、徹底した行動を選ぶものだ。


『せ、船倉に、潜ってみましょう。団長なら、き、きっと、何かを見つけられるはずです。も、もちろん、ボクも全力で探しますが……』


「ああ。オレたちでならば、必ず、敵の痕跡を見つけれるだろう」


 自信はある。


 さっきのエルフとは別の、部屋に詰め込まれて死んだ男の一人の血の道を遡る。この血は、さっきのよりも大量でね。何をしても助からない深さだ。死体と言ってもいい。それを、動かした。動かしていない死者もあれば、動かした死者もある。


 その差が、やはりこの船倉という場所から注意を遠ざけろという命令があったことを示しているように思えてならんね。隠したいことがあったのならば、見破ってやるとしよう。




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